No. |
写真 |
解説 |
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(画像サイズは155KB) この「ブータンの経典」は1986年4月にブータン王国に行ったときに購入したものです。というのも、No59でミャンマーの「行李葉椰子の経典」を掲載したことで思い出したのです。これも偶然にお参りしたお寺の近くでこの経典を見て、読めないのについ手に入れたのです。そのとき一緒だったブータンの高官が間に入り、なぜかその方の名刺もいっしょに保存してありました。若いとはいえ、この経典はだいぶ重さがあり、よく持ち帰ったものだと思います。
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59 |
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(画像サイズは17.6KB) この「行李葉椰子の経典」は2013年3月6日にミャンマーのヤンゴンで購入したものです。たまたまあるお寺にお参りしたときに、この行李葉椰子の経典を見て、そのときにどのようにして作るのかを実際に見せていただきました。そして私の名刺をつくってもらい、紙がない時代からこのようにして経典を残してきたと聞き、なんとか実物が欲しいと思いました。それがたまたまヤンゴンに戻ってきたときに、古い物を扱うお店で見つけたのです。
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58 |
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(画像サイズは17.6KB) この「雲龍大黒天」は2016年12月30日に、偶然のきっかけで手に入りました。おそらくチベット仏教の大黒さまで、唐金製です。姿からみると、雲の上に乗っているかのようで、それでこの名が付けられたのではないかと思います。日本には他にこのような作例はなく、京都の雲龍院にまつられているのは『走り大黒天』と呼ばれていますが、こちらもインドやチベット系のようで、蓮の上に乗り今にも走り出しそうな姿をしています。
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57 |
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(画像サイズは14.2KB) この「イラタカ念珠」は2014年7月12日にロンドンのノッティングヒルの骨董街で購入したものです。このイラタカ念珠は、修験道の行者が使うもので、漢字で書くと、伊良太加とか最多角,刺高と書くときもあります。普通の念珠とどこが違うかというと、写真で見てもわかるように、数珠が丸くなく、角があります。使いにくそうですが、この方が音が高かく出やすいのです。でも、まさかイギリスでイラタカ念珠と出会うとは思ってもいませんでした。
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56 |
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(画像サイズは16.8KB) この石彫釈迦如来は2012年12月9日にインドのブッタガヤで購入したものです。いままで、石仏はわからないということで、ちょっと敬遠していましたが、成道の日の翌日ということもあり、お釈迦さまが菩提樹の下で座っていたように感じ、手に入れました。手を下にしているのは、降魔印で、悟りを妨げようとする魔物を打ち倒したことを表します。だから、これを「降魔成道(ごうまじょうどう)」といい、12月8日に成道会を行うのです。
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(画像サイズは22.3KB) この緑ターラ菩薩像は2012年12月10日にインドのブッタガヤで購入したもので、チベット人の露天商からです。ターラ菩薩は観音さまが流された涙が蓮の花となり、そこから生まれたそうです。まず、右の目から流れた涙からは白ターラ、そして左からは緑ターラが生まれたといいます。この緑ターラ菩薩は、いつでも救いの手を伸ばせるように右足を前に出しているのが特徴で、チベットの人たちは、招福・財運などの願いを込めてお詣りしているようです。
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54 |
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(画像サイズは16.9KB) この金剛薩佗像は2012年12月9日にインドのブッタガヤで購入したものです。金剛薩佗というのはチベットの瞑想法にある仏さまで、身体と心と言葉における一切の否定的エネルギーを浄化してくれる愛と慈悲の菩薩です。その胸から光と甘露が溢れだし、それが瞑想者の頭から身体に瞬時に浸透し、限りない至福のときを迎えるといいます。そして、一瞬の内に浄化されるのです。
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53 |
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(画像サイズは15.2KB) この無量寿仏像は2012年12月9日にインドのブッタガヤで購入したものです。サンスクリット語では「アミターバ」ですが、これを漢訳すると「無量光仏」とか「無量寿仏」となります。つまり、無明の現世をあまねく照らす光の仏さまということです。その音訳から「阿弥陀如来」といい、西方にある極楽浄土を持つといわれています。ちなみに、東方は薬師如来、南方は弥勒菩薩、北方は釈迦如来です。
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(画像サイズは20.9KB) この文殊菩薩像は2012年12月9日にインドのブッタガヤで購入したものです。サンスクリット語では「マンジュシュリー」といいますから、文殊さまの正式名は「文殊師利菩薩」です。右手に智慧の利剣を持ち、左手には経巻を持つかたちが多く、それが仏の智慧を象徴しています。おそらく、この仏像はチベットから将来されたものらしく、小さいながら風格があります。No50と見比べてみると、その違いがわかります。
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51 |
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(画像サイズは10.6KB) この釈迦生誕像は2012年12月8日、お釈迦さまが成道した日にインドのブッタガヤで購入したものです。お店の話しでは白檀製で、いくつかあるなかで、なんども見比べながらこのお姿に決めました。さらに、その他のお店も4〜5ヵ所ほど見たのですが、これが一番気に入りました。本当はネパールのルンビニで購入したかったのですが、そこには気に入ったのがなかったのです。
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50 |
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(画像サイズは15.9KB) これは2007年3月17日、ネパールのパタンで求めた文殊菩薩です。ここのカトマンドゥ盆地は、もともと大きな池のようなものでしたが、文殊菩薩の智慧の剱で山の一部を切り取ったので、一気に水が流れてしまったので盆地になったという伝説が残っています。ネパールの友人に、その切り取った場所に連れて行ってもらいましたが、カトマンドゥの川が切り立った崖の下を細い流れになっていたところでした。
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49 |
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(画像サイズは12.2KB) これは2007年3月13日、ネパールに到着した翌々日にパタンで購入した日本でよく見られるような形の五鈷です。ネパールでよく見られる五鈷は、五つに分かれたところが一つにつながっているのが多いようです。それも、五つ、六つ、八つ、九つなどに分かれているのも時々見かけます。おそらく、これは日本の五鈷を見本にして造ったのではないかと思います。
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(画像サイズは31.0KB) これは2007年3月17日、ネパールのパタンで購入した六道輪廻図盤のようです。これは壁掛けになっていて、おそらくは仏具というよりは飾り物のような気がします。はじめて見たもので、なんとか欲しいと思いながら値段の交渉をしました。ここネパールでも、その交渉は一筋縄でいかないのですが、何度か経験するうちにそれも楽しみの一つだと考えるようになってきました。
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(画像サイズは14.4KB) これは2007年3月24日、ネパールのアンナプルナ・サウスの山麓にあるシッキュウ(Sitkyu)のロッジに泊まっていた方から購入したヤクの骨で作った数珠です。以前にももとめたことがありますが、これはさらにきれいに作られ、ところどころにトルコ石もはめられています。彼はこれを譲り渡すと、さっさと、近くにいたヤクを見に行ってしまいました。
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(画像サイズは19.1KB) これは2007年3月30日、ネパールの古都、パタンで購入したものです。弁才天像そのものも少なく、しかも四臂がほとんどなのですが、何十軒もの仏像屋さんをまわって、やっと見つけました。これは琵琶ではなく、シタールのような楽器を持っていますが、その先に水を表す水鳥がついています。四臂の仏像のなかには、水鳥が足下で遊んでいるようなものもありました。
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(画像サイズは9.3KB) これは2004年2月16日、京都の数珠屋さんに頼んで作り直してもらったものです。この数珠の玉は、インドのブッタガヤで購入した菩提樹で、そのままでは使いにくいので、2個の親玉と弟子玉と露玉に茶水晶を使い、新たに房をつけました。これで、やっと日本でも使える数珠になりました。
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(画像サイズは12.4KB) これは2004年4月9日、パタンの仏具屋で見つけた新しい五鈷です。形は同一ですが、色づけが少しずつ違ったものがあり、あれこれ迷ったのですが最後はこれに決めました。この一角には多くの仏具屋さんが集まり、見ているだけでも勉強になります。
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(画像サイズは10.8KB) これは2004年4月10日、泊まったホテルの近くで見つけた風鈴のようなもので、仏具ではありません。それでも、この風に揺れて鳴る音色の心地よさに惹かれて、買ってしまいました。店の主人は古いものだといいましたが、新しいような気がします。
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(画像サイズは12.8KB) これは2004年4月9日にNo41の観音像を見つけたパタンで偶然に出会った大きな五鈷です。そこの主人が運悪く不在で、聞くこともできなかったのですが、近くの人が連絡してくれたようで、やっと交渉ができました。値段よりもこの重さ(3.3Kg)が気になったのですが、なんとか持ち帰りました。
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41 |
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(画像サイズは22.8KB) これは2004年4月9日にパタンでやっと見つけた観音像です。今年2004年は、西国33観音霊場をすべて回りきった年なので記念に是非とも欲しかったのです。仏像を専門に造っている工房にありました。もともとは宝石も付いていたのですが、嫌なので外してもらいました。
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40 |
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(画像サイズは15.2KB) これは2002年3月20日にカトマンドゥの古都パタンゴールデンテンプル近くの仏具を造っているところで偶然見つけた五鈷で、今まで求めたなかで最も大きなものです。重さもかなりあり、持ち帰ることが出来ず、後から送ってもらいました。
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39 |
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(画像サイズは15.0KB) これは2002年3月15日にカトマンドゥのタメルのお店で見つけたものです。No.36より少し小さいですが、素朴な感じのする五鈷で、長く使われてきたものに違いありません。このようなものが手にはいると、とてもうれしいです。
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38 |
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(画像サイズは12.6KB) これは2002年3月20日にカトマンドゥの古都パタンの骨董市で見つけたもので、これを一つ求めたら、周りのお店の人が次々に五鈷を持って集まってきました。ここは何時間いても楽しいところです。
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(画像サイズは15.4KB) これは2002年3月15日にカトマンドゥのタメルのお店で見つけたもので、ここの店主に五鈷が欲しいと伝えておいたので探してくれた一つです。No.31といっしょに購入しました。
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36 |
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(画像サイズは15.8KB) これはだいぶ以前に米沢市内のデパートから購入したものです。この写真の下にあるのが30pの竹のものさしです。この当時は、まさかこのような大きな五鈷を海外から持って帰ることはないだろうと思っていました。
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(画像サイズは33.8KB) これは2000年3月25日にネパールの友人が買い求めてきてくれた大黒天(マハカーラ)です。これとほぼ同じお姿はNo.15ですが、こちらは極彩色に仕上がっています。彼によると、極彩色と唐金色と古色の3種類があるということでした。
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(画像サイズは19.8KB) これは2000年4月8日にネパールのルンビニーでもとめたヤクの骨の数珠です。そのお店の方の話では、チベット人がよく買っていかれるということでした。これも、いわば記念の品です。
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(画像サイズは18.6KB) これは2000年4月8日にネパールのルンビニーでもとめた象牙の数珠です。いつかはお釈迦さまの生まれたところに行きたい、と思い続け、やっと実現したので、その記念に買ったものです。そして、そのマーヤ聖堂でこの数珠で祈りを捧げてきました。
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(画像サイズは37.9KB) これは2000年4月10日、帰国する当日にネパールの飛行場内の売店でもとめた仏像です。名前がはっきりしなかったのですが、ネパールの友人の調べで「BAJRA PANI」(バズラ パニ)だということが分かりました。バズラとは五鈷のことですから、五鈷を持った守護神という意味ではないかと思います。
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(画像サイズは14.4KB) これは2002年3月15日にカトマンドゥのタメルのお店で見つけたもので、この店主に五鈷が欲しいと伝えておいたので探してくれた一つです。とても細工が細やかでした。
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(画像サイズは20.9KB) これは2002年3月にネパールを訪ねたお土産として、ネパールの友人より後から送っていただいた水晶の五鈷です。彼の友人のお店からもとめたということですが、私はそのお店には行っていません。
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(画像サイズは24.1KB) これも2002年3月17日に上記と同じ場所で見つけたものですが、これはそのお釈迦さまがさとりを開かれた場所に生えた菩提樹の枝から作られた香合です。とても重いもので、最初は黒檀ではないかと思いました。
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(画像サイズは24.1KB) これは2002年3月17日にインドのブッタガヤーで見つけたもので、石製の香合です。ここはお釈迦さまがさとりを開かれたところですので、そこを訪れた記念に購入しました。
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(画像サイズは8.97KB) これも2002年3月22日に上記と同じ場所で見つけたもので、木製です。お経文は木をくりぬいて入っています。今回は、この2点しかマニ車は購入しませんでした。
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(画像サイズは10.1KB) これは2002年3月22日にネパールのタメル街で見つけたマニ車です。今回は素朴なものを選びましたが、廻しやすいというのもいかにも実用的という感じがしました。
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(画像サイズは17.2KB) これは2002年3月20日に購入したお釈迦様で、インドからネパールに戻ったばかりのときです。パタンの仏像を作っているところで探しましたが、ブッタガヤーの印象がとても強く、選ぶのに時間がかかりました。
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(画像サイズは12.7KB) これも2000年3月にネパールに行ったときに購入した線香入れです。これはタメルのホテル・バイシャリ周辺の路上骨とう屋さんで見つけたものですが、四角形のものもありました。
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(画像サイズは15.0KB) これは2000年3月にネパールに行ったときに購入した五鈷です。この大きさの五鈷はなかなかなく、六鈷や八鈷などは多く見かけました。やっと探した場所は、タメル街の骨董屋さんです。
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(画像サイズは19.0KB) これも2000年3月にネパールに行ったときに購入したマニ車です。場所はネパール最大のストゥーパのあるボダナート周辺の骨とう屋で、この付近には比較的良い品物が多いように感じました。
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(画像サイズは14.1KB) これも2000年3月にネパールに行ったときに購入したマニ車です。場所はネパール最大のストゥーパのあるボダナート周辺の骨とう屋で、この付近には比較的良い品物が多いように感じました。
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(画像サイズは19.4KB) これも2000年3月にネパールに行ったときに購入したマニ車です。場所はネパール最大のストゥーパのあるボダナート周辺の骨とう屋で、この付近には比較的良い品物が多いように感じました。
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(画像サイズは19.4KB) これは2000年3月にネパールに行ったときに購入したマニ車です。場所はタメルのホテル・バイシャリ周辺の路上骨とう屋さんです。
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(画像サイズは36.1KB) これは以前から捜していた釈迦苦行像を、ある方が見つけて持ってきてくれたものです。後ろの樹はおそらく菩提樹だと思いますが、そのデザインのおもしろさに心惹かれて求めました。
この小さな画像をクリックすると拡大します。
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(画像サイズは26.7KB) これはあるデパートの展示会で求めた虚空蔵菩薩ですが、正確な年月日を思い出せないほど昔のことです。それでも、そのすっきりしたお姿や細工の細やかさに感心したことを覚えています。ネパールの友人のメールでは、ネパールでは「Amitayus」というそうです。
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(画像サイズは36.6KB) これも上記と同じ日に同じところで購入したものです。でも、詳しくは何も分かりませんが、このなんともいえない表情に惹かれてしまいました。もしご存じの方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください。
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(画像サイズは45.1KB) これは1999年2月25日の京都の北野天満宮の梅花祭に行ったときに購入した大黒天です。もちろんインドかネパールの仏像ですが、このようなお姿は現地でもなかなか手に入れることはできません。これも何かの縁と思い、求めました。
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(画像サイズは17.6KB) これも1986年4月にブータンの首都、ティンプーのバザールで求めたマニ車です。これは本体に貴石がはめ込まれてはいますが、全体に簡素な作りです。でも非常に廻しやすいマニ車の一つです。
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(画像サイズは20.6KB) これは1997年10月に日本のデパートの展示会で求めたマニ車です。これは軸が大振りで使いやすそうですが、実際に使っていた形跡はなさそうです。日本に入ってくるのは確かにきれいなモノですが、ただそれだけという気がします。
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(画像サイズは28.8KB) これは1986年4月にブータンの首都、ティンプーのバザールで求めたマニ車です。これは少し軸がずれており、やや回しにくいのですが、これを上手に回しているラマ僧らしき人から譲り受けました。そういう意味では、とても記念すべきマニ車です。
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(画像サイズは25.7KB) これは1996年8月2日に、中国雲南省の麗江で見つけたマニ車です。これはオンマニペニフムという観音さまのご真言が書かれており、上記のものよりだいぶ大降りです。中には意味は分かりませんがお経を書いた小片が入っていました。
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(画像サイズは17.4KB) これは1997年5月18日に、中国雲南省の麗江で見つけたマニ車というチベット密教の法具の一つです。これは、何かの骨で出来ていますが、それが何かは分かりません。道を歩いていても、このマニ車を回しながら歩いているのを見かけますし、寺院に行けば、回廊部分に大きなマニ車をよく見かけます。
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9 |
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(画像サイズは13.1KB) これは1997年10月に、日本のデパートの展示会で求めた数珠です。出所はおそらくチベットで、材質はヤクの角で出来ており、ところどころにトルコ石や紅珊瑚がはめ込まれています。
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8 |
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(画像サイズは28.5KB) これは1998年9月に、日本で求めた仏像です。出所はおそらくヒマラヤ地方で、ネパールの友人に調べてもらったら 「Green Tera」だということでした。これを売ってくれた方は、虚空蔵菩薩ではないかと話していましたが違うようです。高さは約5pほどで、すごく小さいですが、写真で見て分かるように丁寧に作られています。もし「高さ」の記載がなければ、あなたは何pぐらいに見えますか?
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7 |
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(画像サイズは35.1KB) これも1997年5月18日に麗江の古道具屋で求めた仏像です。おそらく日本でいう千手観音像だと思いますが、その表情がすごく優しく、しかも素朴な雰囲気をもっています。やや右に傾いているのですが、それもむしろ好ましく思われます。高さは約20pほどです。
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(画像サイズは37.3KB) これは1997年5月18日に、中国雲南省の麗江の古道具屋で求めたチベット密教の法具の一つです。確かにNo.2のものより精巧ですが、やけに高かったように思います。そのお店には何度も行き、しっかりと顔まで覚えられてしまいました。ここは古い麗江の町並みが残っている場所で、12年前に訪れたときとほとんど変わっていませんでした。
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5 |
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(画像サイズは18.6KB) これは1996年7月31日に、中国雲南省の奥地、中甸のバザールで求めたチベット密教の法具の一つです。おそらく儀式の時に鳴らすものだと思いますが、長さ45pほどもあり、持ち帰るのに苦労しました。その同じ日に、有名なチベット寺院「松贊林寺」に参詣し、高僧から白い布地の「カタ」を首に掛けてもらいました。
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4 |
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(画像サイズは17.9KB) これは1997年10月に、日本のデパートで求めた経筒です。
ちょうどインド・ネパールなどの物産品を扱っていましたが、これは、おそらくチベットから
出たものではないかと思います。細工も細かく、しっかりした作りです。左3分の1ほどのところから
開くのですが、中には残念ながら経文などは入っていませんでした。
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3 |
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(画像サイズは19.6KB) これは1996年8月5日に中国雲南省の大理で求めた鈴(れい)です。
これも仏具の一種で、通常は五鈷と三鈷と独鈷と、この鈴を一つの台にのせて使います。
これは、おそらく新朝時代、しかも嘉床(Jia Qing 1796〜1820)の頃のものではないかと思います。
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2 |
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(画像サイズは24.0KB) これも1998年6月5日、仁寺洞(Insadong)で求めたもので、
仏具の一種です。正式な名称は分からないんですが、12年前にブータンで同じようなものを
見たことがありますし、これより精巧なものを、中国雲南省の麗江で求めたことがあります。
タンカにもよく描かれているようです。
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1 |
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(画像サイズは21.5KB) これは1998年6月5日に韓国のソウル、あの骨董街で有名な
仁寺洞(Insadong)で求めたものです。仏具の一種で、五鈷といいます。写真では分かりにくいと思い
ますが、巾は25pほどあります。私の持っている五鈷では、二番目に大きなものです。
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