※ 質問や今考えていることなど、何でも受け付けます。
 下の【E-mailのボタン】からメールをください。


☆ お手水の作法を教えてください。
 お手水を使うのは、心身を清めるための作法です。

 まず、手水の場所で軽くお辞儀をして、あらかじめハンカチなどを取り出しやすいところに挟んでおきます。
 右手で柄杓を取り、水を汲み上げ、左手にかけて洗い、次に柄杓を左手に持ち替え、右手を洗います。
 再び右手に持ち替え、左の手の平に水を受けため、それで口をすすぎます。そして、もう一度、左手を水で洗い清めます。
 最後に、柄杓を立てて、残った水で柄の部分を流し清め、伏せてもとの場所に戻し、準備しておいたハンカチで両手を拭きます。

 ご質問に「左利きの方も同じようにしないといけないのですか?」とありましたが、この程度の作法ですから左利きであってもできないことはないと思いますので、このようにしてください。



☆ 大黒さまと大国さまとはちがうのですか?
 もともと仏教とともに入ってきたのが大黒天です。昔は、神仏一体とか神仏習合とかいって、神様と仏様の区別をあまりしなかったのです。そこで、以前から信仰されていた大国主命の「国」が「くに」とも「こく」とも読めることから、大黒天と大国主命が習合された、それが日本の大黒さまだといわれています。
 そのまま伝わってくれば何も問題はなかったのですが、明治になって神仏分離が太政官令として発布され、それから分けざるを得なくなったのです。そこで、現在は大黒天を仏様、大国さまを神様と区別をしています。しかし、昔からの大黒さまをそのままお祭りしたいという方も当然おられるわけで、当山の甲子大黒天はそのような神仏一体の大黒さまをお祭りしている日本唯一の本山になっています。



☆ シャクナゲの花言葉は何ですか?
 そもそも花言葉は、ヨーロッパやアメリカなどで生まれたものですが、花の印象は洋の東西を問わず似たものがあるので、日本でもすんなりと受け入れられ、多くの本が出版されています。
 シャクナゲがこの小町山にたくさん植えられている理由をこの「Q&A」の下の方にも書いてありますが、修験道の世界では、桜とともにシャクナゲが霊木視され、そのシャクナゲの語源は、避け難(難を避ける)からきたと言われています。
 イギリスの花言葉の本などには、「威厳」とか「荘重」などとでていますが、むかし、あるイギリス人が酔いを覚まそうと二階のベランダに出たところ、ふとしたはずみで、そこから落ちてしまったそうです。でも、その真下には大きなシャクナゲの株が植えてあったので、怪我一つせず助かったということが載っていました。そして、その後に「危険を避ける」という花言葉もあると書かれています。
 だとすれば、日本で考えられていた「避け難(難を避ける)」に相通じるものがあると思います。
 シャクナゲについては、
「シャクナゲのホームページ」をご覧ください。



☆ 「KOH-TAO live in 大黒さま」の民芸品売り場で見たカエルは何ですか?
 私も見ましたが、これはベトナムなどで作られている「モコック」だと思います。
 もともとは雨乞いなどの儀式用に用いられていたようですが、いつの間にか、民族楽器としても使われています。そのカエルの背中の突起部分を付いている棒でなでると、本当のカエルのような音がでます。
 リズムに乗って使えば、まさに楽器です。



☆ マンダラのコレクションを見ましたが、マンダラはそもそも何?
 「9.Collections」の下部の方でも説明していますが、簡単にいいますと、円や四角のなかにたくさんの仏さまを描き、仏さまの世界を表現したものです。日本でよく知られるマンダラは、金剛界マンダラと胎蔵界マンダラです。
 このマンダラは、仏さまの世界を可視的に示したもので、礼拝の対象であったり、修行をするときの本尊さまとしてまつられたりします。
 私は、ただ、このマンダラを見ているだけで、気持ちが落ち着き、仏さまの世界に遊ぶような心地がします。
 まだ、マンダラを見たことがない方は、「9.Collections」をぜひご覧ください。



☆ 「かてもの」とは何ですか?
 三沢地区の「春の山野草展」30周年記念として「かてもの」という小冊子を先着200名様に配りました。そのときの質問です。
 「かてもの」とは、名君の誉れ高い上杉鷹山公の時代に刊行されたもので、いわば救荒食の手引き書です。それは救荒食の知識の普及と各自の備蓄を勧め、公には備籾倉をいっそう充実させて飢餓に備えるものです。
 今回の小冊子は、米沢山野草会の前会長であった鈴木恒吉氏が誰にも読めるようにと文名中の漢字を一部仮名書きにし、また仮名遣いを現代文になおしたものです。
 ぜひ、この「かてもの」を読み、食べることの大切さを感じていただければと思います。



☆ 不幸が続くのは悪い霊がついているからだと言われました。
 私は絶対にそのようなことはないと考えています。
 たとえば、何代前かのご先祖様がたたっているという話しを聞きますが、もし、自分がそのご先祖様の立場になったとして考えると、自分の孫や曾孫にたたってやるなんて思いますか?もし成仏できなくてという理由をかかげられたとしても、私なら絶対にたたってやろうなんて考えません。むしろ、なんとか幸せになって欲しい、と思うのが普通でしょう。思うに、たたってやろうなどと考えるその精神が、成仏できない理由かもしれません。
 したがって、不幸が続くなどのときには、むしろ悪霊などという他の理由に逃げないで、自分自身の問題として正面からとらえるべきです。ある意味では、少し開き直ることも大切ですが、絶対に受けて立つべきです。
 そうすると、自分の周りの人たちのことを考えたり、自分自身の良いこと悪いことが見えてきます。よく言われることですが、病気などをしたときも、今まで一生懸命に働いてきたから神さまがときには休むことも必要だとして休養を与えてくださったと考えれば穏やかに治すことに専念できます。
 大切なことは、逆境になる原因がわからなくても、落ち込まないことです。世の中には、原因がつかめたとしても必ず解決できることばかりではありません。うまくやれることもあれば、やれないこともたくさんあります。苦しいのは自分だけではなく、多くの人たちは苦しくっても顔に出さないだけのことです。苦しいときには、悪霊や人のせいにすることなく、何時かは笑顔になれると思うことです。最後は、笑う門には福来たるです。



☆ 鳥居について教えてください。
 鳥居とは、『広辞苑』によれば、「神社の参道入口に立てて神域を示す一種」とあります。さらに百科事典によれば、起源はインドの玉垣の門(トラーナ)などと関連するといわれる、とあります。
 では、このトラーナを詳しく調べてみると、1本の横木で2本の柱を支えていることからトーラナという名前が付けられたそうです。そういえば、『My collections』に掲載してあるマンダラのなかにも、このトーラナが描かれたものがあります。そのトーラナの横木中央にはキールティムッカ(誉れの顔)がよく描かれますが、このキールティムッカはシヴァ神から生み出されたのですが、そのシヴァ神の怒りに触れ、自分で自分自身の身体を食い尽くし、とうとう顔と手だけになってしまいました。そして、いつもシヴァ神を祭る建物の前に立てられた門の上に現れて、建物を護ることになったそうです。
 思い出せば、以前お参りしたお釈迦様の悟られたブッタガヤの精舎前にも、このトーラナがありました。それでスライドコレクションの中からとりだしたのが、右の写真です。
 こうしてみると、やはりよく似ているような気がします。



☆ 精進料理について教えてください。
 料理のことはくわしくないので、知っていることだけお話します。
 精進料理の「精進」とは、八生道の「正精進」からきたもので、悟りにいたる正しい努力を続けるという意味です。ですから、その努力をするのにふさわしい料理が精進料理ということになります。もっと具体的にいいますと、肉類や臭みのある食べ物を除いて調理したものです。
 これには仏教の「不殺生」の教えがおおきく関わっています。確かに人間が生きるためには動物や植物などの命を絶ち、それで食料を得ているわけですが、それをなるべく最小限にとどめたいということです。そして、自分が生きるために犠牲となった多くの命につねに感謝をするということです。さらに、この大地でともに同じ生命をいただいている動植物などの自然の生きものたちとともに生きようとする姿勢です。それが仏教の世界観でもあります。
 生あるものへの慈悲、それが「不殺生」の本質であり、精進料理の考え方だと私は思います。



☆ 日本独特の色名にはどのようなものがありますか?
 最近は、色名をカタカナで書く場合が多いようですが、漢字で書くとその色名の雰囲気が伝わってきます。たとえば、2005年8月30日に発行された『すぐわかる 日本の伝統色』福田邦夫著、東京美術発行によれば、次のようなものがあります。
 [あ行]
藍色・藍生鼠・藍墨茶・藍生壁・藍海松茶・青朽葉・青白橡・青竹色・青丹・青鈍・青柳鼠・赤朽葉・赤白橡・暁鼠・茜色・灰汁色・真緋・曙色・浅黄色(浅葱色)・浅緑・小豆色・小豆鼠・油色・亜麻色・飴色・菖蒲色・洗柿・退紅・杏子色・苺色・一斤染・謂はぬ色・今様色・浮草鼠・鴬色・鴬茶・鬱金色・薄色・浅紫 ・薄紅・薄墨・薄鼠・空五倍子色・卯花色・梅鼠・裏柳(裏柳葉)・江戸生壁・江戸紫・葡萄色・海老茶・燕脂色・燕脂鼠・遠州茶・遠州鼠・鉛丹色・鉛白・老竹色・棟色・黄土色・黄丹・落葉・御納戸色・女郎花・御召御納戸
 [か行]
柿色・柿渋色・杜若色・褐色・瓶覗・鴨川鼠・韓紅花・芥子色・唐茶・刈安色・枯色・枯野色・土器色・萱草色・黄枯茶・桔梗色・桔梗鼠・麹塵・黄朽葉・狐色・黄橡・黄蘗色・京紫・金色・銀色・銀朱・銀煤竹・銀鼠・支子色・朽葉色・涅色(皀色)・胡桃色・紅・黒橡色・桑染・群青・消炭鼠・滅紫・源氏鼠・憲法色(憲房色)・香色・柑子色・紅梅色・高麗納戸・黄櫨染・木枯茶・濃色・深紫・苔色・焦茶・呉須色・濃鼠・琥珀色・媚茶・昆布茶色・胡粉・小町鼠・小麦色・紺色・紺鉄・金春色
 [さ行】
桜色・桜鼠・錆納戸・珊瑚色・雌黄・紫苑色・芝翫茶・至極色・紫紺・宍色・漆黒・東雲色・錫紵・赤銅色・酒落柿・朱色・生臙脂・猩々鼠・猩々緋・白鼠・白銀色・甚三紅・新橋色・蘇芳色・煤竹色・雀茶・素鼠・墨染・素海松茶・菫色・青磁色・石黄・千歳茶(仙斎茶)・象牙色・宗伝唐茶・宗和色・糸偏にこの燻の右部分を書いて「そひ」と読む・空色
 【た行]
代赭色・煙草色・卵色(玉子色)・團十郎茶・膽礬色・蒲公英色・千種色・茶色・茶気鼠・茶根岸・茶鼠・丁子色・丁子茶・躑躅色・露草色・鉄紺・鉄納戸・照柿・藤黄・鴇色・鴇鼠・鴇羽色・木賊色・鳶色・丼鼠・留紺・鳥の子色
 [な行]
苗色・茄子紺・菜種油色・撫子色・浪花鼠・菜の花色・生壁色・鉛色・丹色・似紫・鈍色・乳白色・濡色・濡烏色・濡羽色・根岸色・鼠根岸・練色・覗色
 [は行]
灰色・梅幸茶・白土・半色(端色)・肌色・鳩羽色・鳩羽鼠・花色・縹色(花田色)・埴・朱華・榛摺・緋色・秘色・一入染・日の出鼠・白群・白緑・鶸色・檜皮色・鶸茶・檳榔子黒・深川鼠・深緑・藤色・柴染・藤納戸・藤鼠・藤紫・二藍・葡萄鼠・紅掛鼠・紅消鼠・紅鼠・伯林青・紅殻色(弁柄色)・牡丹色・牡丹鼠
 [ま行]
紛紅・舛花色・貴赭・松葉色・松葉鼠・蜜柑色・水浅黄(水浅葱)・水色・密陀僧・水縹・海松色・海松茶・紫・紫鼠・萌黄(萌木)・木蘭色・百塩茶
 [や行]
柳色・柳煤竹・山鳩色・山吹色・款冬色・雄黄・羊羹色・洋紅・淀鼠
 [ら行]
駱駝色・璃寛茶・利休生壁・利休鼠・瑠璃色・檸檬色・煉瓦色・蝋色(呂色)・緑青・路考茶
 [わ行]
若草色・若竹色・若苗色・若緑・若紫

 すごいですね。この色名を全部読めますか?
 このなかに1字だけ、パソコンにもない字がありました。これらの色には、それぞれの物語がありますので、ぜひ自らお調べください。



☆ お札の一番上に書かれている文字はなんですか?
 おそらく、梵字のことと思われます。
 これは6〜9世紀にかけて、北インドで流行った書体の1つで、悉曇(しったん)ともいいます。その意味は、成就とか完成などのことで、古来よりさまざまな解釈があります。とくに密教では、仏の働きを表すものと考えられ、その文字そのものが信仰礼拝の対象ともなっています。簡単に言えば、宗教的な聖なる文字というわけです。
 とくに空海(弘法大師)は、この梵字を日本に定着させたといっても過言ではなく、『御請来目録』に「胎蔵の梵字儀軌を受け、諸尊の瑜伽観智を学す」などの記述もあり、入唐中に師の恵果阿闍梨などから多くを学んだようです。
 また、江戸時代の慈雲尊者(1718〜1804)は、この梵字悉曇関係の古文書を収集し、それらに自らの考えをもつけ加え、多くの著作をものにしました。現在の書流も慈雲尊者の流れをくんでいるようです。



☆ お札は1年に一回取り替えなければならないのでしょうか?
 確かに、多くのところでは、1年で新しいお札やお守りに替えた方がよいと話しているようです。
 しかし私は、古くなったから取り替えるのではなく、お札やお守り受けたときの心が薄れてきたから、その気持ちを新たにするために新しいお札をいただくのではないかと考えています。ですから、何月何日に受けたからその一年後までという期間的なことではなく、自分の気持ちの切り替え時にいただくのがベターです。
 そう考えれば、新しい年を迎えた時などには比較的新しい気持ちになりやすいので、新しいお札やお守りをいただくと良いと思います。今年の自分なりの目標などを考えたり、今年の夢などを描いたりするとき、そこに新しいお札やお守りが添えられれば、きっと念願成就できるはずです。



☆ 弘法大師の名前について
 「弘法大師の名前について教えて欲しい」という電話を受けました。
 弘法大師は、774年、四国の讃岐、今の香川県善通寺市で生まれ、名前を真魚(まお)と名付けられました。804年(24才のころ)、東大寺の戒壇院で得度を受け、空海(くうかい)という僧名を得ました。
 さらに804年7月、遣唐使の一員として中国に渡り、長安の清龍寺を訪ねて恵果阿闍梨と出会い、教えを受け、805年、密教を正式に相承した位である伝法阿闍梨を授けられ、遍照金剛(へんじょうこんごう)という金剛名(密教名)を授けられました。この後、自らも空海と遍照金剛とをそのときどきにより使い分けていたようです。
 そして、835年3月21日(62才)、高野山で入定されました。
 入定されて86年後の921年、醍醐寺を開いた聖宝理源大師の弟子で、東寺長者、金剛峯寺・醍醐寺両座主を兼任した観賢僧正(854〜925)の奏上で、時の醍醐天皇から弘法大師号が与えられました。したがって、弘法大師とは、入定後86年後から現代までの名前ということになります。
 考えてみれば、弘法大師という大師号下賜は遅すぎたように思いますが、今では大師というと弘法大師を指すような感さえあります。やはり、その名の通り、仏法を弘める大師、今をも生きる大師だからこそかもしれません。



☆ おみくじの正しい引き方、ってあるんですか?
 おみくじの正しい引き方というよりは、心がけたいことがあります。それは、引く前に、自分が何を願うのかを心に決め、その願いを込めておみくじを引くというのが大切です。そして、その引いたおみくじに書かれている言葉を吟味し、その中からさまざまな教訓やアドバイスを感じ取り、それを実践することによりその願いが叶う、そこにおみくじの意義があります。
 ですから、たとえ「大吉」が出たとしてもそれなりの努力が必要ですし、また「凶」が出たとしても、気を付けて頑張れというメッセージだと受け取れば、そんなに落ち込む必要もないでしょう。むしろ、それは神さまからの励ましの言葉かもしれません。
 皆さんもおみくじを引く前に、まず「自分が何をお願いしたいのか」という、その目的意識をはっきりさせましょう。その気持ちが、おみくじのなかに神さまからのメッセージを読み出す力となります。
 ただし、最近の言葉遊びのようなおみくじは、本来のおみくじではありません。たとえ引いたとしても、そこからは何も出てこないでしょう。むしろ、悪見苦事といって、悪い見方から方向を誤り、自分を苦しめる結果になるだけでしょう。



☆ お守りについて
 「お守りをいただいたのですが、どうすればいいのですか?」という質問を受けました。
 普通は、そのお守りをいつも身につけて、いつも神様に見守っていただけるようにします。そして、そのいただいた時の気持ちを時々思いだし、再確認をし、緊張感を高めます。
 もし、どうしても身につけられない場合には、そのお守りを神棚にあげて、時々お参りすると良いでしょう。



☆ なぜおみくじを木に結ぶのですか?
 日本人は、「結ぶ」ということに特別な意味を持たせているようです。ですから、自分のひいたおみくじに願いを込めて、その願いが結ばれるようにと依り代でもある木に結びつけるようになったのではないかと思います。しかも、木は長い生命力を持っているのでそれにあやかりたいという気持ちもあったことでしょう。
 それと、これはある長老から聞いた話ですが、もし凶のおみくじをひいた場合は片手で結ぶとよい、ということでした。
 しかし現在では、樹木などが傷まないようにと、なるべく指定の場所に結ぶのが常識になっています。私のところでは、その結ばれたおみくじを1月15日の採灯焼きのときにお焚き上げしています。



☆ 大黒さまの袋の中には何が入っているのですか?
 大黒さまが背負っておられる大きな袋には、人間が生きていくために必要なものがたくさんつまっています。もちろん、衣食住といった基本的なものは当然ですが、生きていくための智恵や、さらに広い意味での情報までも含んでいます。
 ただ、それらを持っているというだけでは、何にもなりません。それらを使う、それが小槌の役目で、小槌とは実行力を表現しています。
 私たちは、ただ食べて生きているわけではありません。生きるための意味のようなものが大切です。それをある人は「生きがい」などという言葉で表現しますが、私はそのような言葉では表現しきれないように思います。むしろ「生かされている」という、自分と自分をこえた何かによって支えられているという実感があります。その中で、私たちは生きているように生かされているのです。その思いがなければ、この袋の意味も半分しか理解できないでしょう。
 確かに、目に見えるものも大事ですが、目に見えないものもとても大事です。
 それら、すべてを包み込むように、大黒さまが背負った大きな袋に入っているのです。



☆ お稲荷さんは神さまなのですか?
 日本の各屋敷にお祀りされているのは、お稲荷さんが一番多いそうです。
 では、お稲荷さんは、神さまなのでしょうか。あるいは仏さまなのでしょうか。
 実は、神さまとしてお祀りする場合は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祭神としますし、仏さまとしてまつる場合は、荼枳尼天(だきにてん)をまつることが多いようです。ですから、お稲荷さんは、神仏という範疇を越えた日本人独特の信仰であると思います。その名前(稲成り)からも分かるように、最初は農業神として信仰されたようですが、時代が経ると商売関係者や武士階級にも広がり、さらには芸能関係者も信仰するようになってきたといいます。
 では、お稲荷さんと狐の結びつきはといいますと、前掲の荼枳尼天が狐に乗っている姿が一般的であったためではないかといわれています。
 このお稲荷さんの故事で有名なのが、平安時代、弘法大師が京都の東寺を開くときにこのお稲荷さんをこの寺の守護神として祀ったことです。この縁で、今でも伏見稲荷大社の祭礼のとき、お神輿が東寺に立ち寄るそうです。



☆ 大黒さまとねずみとはどんな関係でしょうか?
 日本神話の中で、大黒さま(大国主の尊)がネズミに助けられたということがあります。
 それは国造りをするために素戔嗚尊(スサノオノミコト)のところに相談に行くのですが、大国主を出迎えてくれたのはその娘であるスセリ姫でした。二人は一目で気に入ってしまい、その場ですぐ結婚をしました。
 しかしその後で、素戔嗚尊からさまざまな試練を与えられることになります。その一つに、素戔嗚尊が野原に矢を放ち、その矢を探して持って来るというのがありました。大国主が野原の中で矢を探していると、その野原に火をつけられました。火に囲まれてしまい、逃げ場を失って困っていると、ネズミがやって来て、「中は空っぽ、そとはすぼんでいる」と言ったそうです。そこで、その付近を足で強く踏んでみると、中は空洞になっていて、大国主はその穴に隠れて火が過ぎ去るのを待っていたそうです。しかも、矢はネズミが探してきてくれました。
 素戔嗚尊は、あの火の中ではさすがの大国主も生きてはいないと思い、葬式の道具を持ったスセリ姫といっしょに野中に行ってみると、そこには矢を持った大国主の尊が現れたそうです。
 その後、素戔嗚尊からもらった弓矢で八十神を追い払い、国造りを始めることになります。

 私は、ここに大国主の尊の大きさがあると思います。素戔嗚尊からさまざまな試練を与えられますが、それらを自分一人で解決したり、奥さんのスセリ姫にさまざまな助言をもらったり、さらにはネズミにまで助けられます。そこには兄弟神の荷物を不平一つ言わずに持ったり、困っている因幡の白ウサギを助けたりする優しさがあるから、助けてももらえたわけです。
 世の中には、一人では解決できないことの方が多いのではないかと思います。私は、大国主の尊のように、ネズミにまで助けられる心の広さが大切なのではないかと考えています。 



☆ お祝い事のときに、お赤飯をいただくのはなぜでしょうか?
 一般に伝えられているのは、赤米との関連説で、昔は赤米を神事に使っていただけではなく、先祖が普段に食べていたその赤米に似せた赤飯を使ってお祝いをすれば、代々につながるご先祖たちとの連帯感をも感じさせてくれるなどというものです。
 実際に、雲南省やブータンに行ったときに見てきたのですが、赤米には不思議な力があると信じられていて、今でも栽培されています。
 しかし、私は赤飯の小豆にも注目する必要があると思います。なぜなら、小豆そのものも、中国では病気にかからないようにする力を秘めていると考えており、しかも日本では赤米より古くから栽培されていたという学者もいるからです。
 でも、どちらにせよ、赤い色そのものが陰陽道では災難や不幸な出来事を強い力で押さえてくれると考えていますから、それら両方相まって使われ始めたのかも知れません。



☆ 花祭りの甘茶とは、何でしょうか?
 花祭りは、仏教の行事で、4月8日(月遅れの場合もあります)に行われますが、お釈迦さまの誕生を祝います。花で飾った小堂の中に誕生仏を水盤の上に安置し、その頭の上から甘茶をそそぎます。そこで灌仏会ともいいます。
 その甘茶は、アジサイと同じ仲間のアマチャからつくられますが、昔は天茶とも呼ばれていたそうです。では、なぜ誕生仏にアマチャかけるのかといいますと、お釈迦さまが誕生した時に天から梵天帝釈天が来て香水をそそいだという故事によるものだそうです。だとすれば、甘茶ではなく、天茶のほうが名前としてはふさわしいような気がします。
 このアマチャにはフィロズルチンという甘み成分が含まれており、この葉を乾燥させてつくったのが甘茶なのですが、いわゆるお茶の仲間ではありません。
 それはそうと、お釈迦さまは、ルンビニーで摩耶夫人が無憂樹(アソカ)の花に手を伸ばした時に生まれたといわれています。ということは、お釈迦さまは花園で生まれたということであり、仏教行事の中にも花供や散華など多くの花々を取り入れられているのもうなずけるような気がします。
 このルンビニーには、2000年4月8日に私も行ってきました。その時のことが『ちょっとお話を』に載っておりますのでご参照下さい。



☆ 『開運星祭り』とは、どんなことをするんですか?
 これは、2月3日の節分のときに厳修する当山恒例の行事です。
 人は皆その年々の気を受けて生まれてきます。『開運星祭り』というのは、年の変わり目である節分に、その当り星を祭って、悪い年は悪事災難をのがれるように、良い年は一層善くなるように祈祷を厳修するものです。
 また厄年というのは、自分の星まわりが、中央・北・艮・坤に位置する年令をいいますが、単なる迷信ではなく、人生の大きな節目であり、こころとからだの曲がり角であり、今までの人生を振り返り、今後の人生を考える期間として先祖の残してくれた生活の知恵です。当山では、星祭りの特別祈祷申込み者の開運厄除の祈祷を一年間厳修いたします。
 なお、リンクに「厄年」というサイトを掲載してありますので、機会がありましたら、ご覧ください
 この『開運星祭り』は、郵送での申込みも受け付けていますので、1月20日までご連絡ください。
 もし、特に隣近所を取りまとめてくださる方は、神殿最奥に御芳名を掲げ、毎朝、家門の繁栄・社業の隆昌を祈願いたしますので、ご協力をお願いいたします。



☆ 『笑う門には福来たる』といいますが、本当でしょうか?
 このようなご質問に対しては、本当とかウソとかいうよりは、笑顔という行為が福という幸せをより多く導いてくれるとしか言いようがありません。
 やはり笑顔というのは、言葉使いにしてもそうですが、人と接するときの態度であり、自分の心の状態が顔にも表れるような気がします。また相手だって、こちらのにこやかな顔と態度でおだやかな気持ちになるのではないかと思います。
 だいぶ前になりますが、インドからブータンに入国したことがありますが、インド人はほとんど笑顔を見せません。狭い道を車ですれ違っても、互いに譲らないので、しかめっ面をした言い合いが続きます。言葉が分からないということもありますが、まさに喧嘩をしているように見えます。
 そんなインドから一歩ブータンに入ると、人懐っこい笑顔で迎えてくれます。入国管理事務所では、パスポートに押したゴム印が少し曲がっただけで、「すみません」というような照れ笑いをするんです。言葉は分からなくても、その笑顔を見ただけで、ホッとした気持ちになったのを今でも覚えています。もともとブータンは狭い道が多いのですが、すれ違うと運転手同士がまず笑顔で挨拶をし、どちらもバックをして相手を通そうとします。その気持ちだけで、道は狭くても車はスムーズに通行できるのです。
 仏教に「無財の七施」というのがありますが、その一つが「顔施」です。つまり顔を施すということは、にこやかな笑顔で人と接するということです。たとえ相手が悪い感情を持っていたとしても、にこやかな笑顔で応じられると、自然にその憎しみの感情が薄れてきて、穏やかになってきます。だからこそ「笑う顔に矢立たず」という言葉が生まれたのでしょう。
 また現代の生理学でも、この笑顔と怒りの顔の違いが体調にも影響することを教えてくれます。
 そして何より、苦虫をかみつぶしたような人生より、つねに笑顔で暮らす人生のほうが楽しいではありませんか。それが私の基本的な考え方です。



☆ お盆って、何ですか?
 お盆というのは、『盂蘭盆経』という教典に書かれていますが、お釈迦様の弟子の目蓮尊者が餓鬼道に堕ちた母親をどうすれば救うことができるかと尋ねたことに由来します。
 お釈迦様は、そんな目蓮に、7月15日の夏修行が終わった後の多くの僧に飲食を供え供養せよと教えています。その結果、目蓮の母親は餓鬼の苦しみから逃れられたといいます。
 でも、これもお盆の一つの説ですが、私はインド人の祖先崇拝に起源があるのではないかと思っています。というのは、インドでは子孫が供養しないと、その霊は逆さ吊りの苦しみを受けるといわれていました。それを漢字で書くと「倒懸」ですが、それを意味する梵語がアランバナで、それがウランバナとなまって「盂蘭盆会」となったのではないかと想像されるのです。そのほうが、今の日本のお盆に行われている行事に近いのではないかと考えられます。
 いずれにしても、私たちがこうして生きているのもご先祖さまのお陰ですから、みんなが一斉にご先祖さまを供養するお盆という行事もいいことだと思います。



☆ 大黒さまの境内にはシャクナゲをたくさん植えているそうですが、なぜですか?
 シャクナゲは、昔から山の精ともいうべき依り代とも考えられ、大和大峯山の峯入りは「華供入峯」と呼ばれ、その華とはシャクナゲのことを指したそうです。出羽三山にも同じような考えが伝えられており、八十八夜の翌日ころ、行者は峯入りし、月山に登ったところで花切り場といわれる所に立ち寄り、そこに咲くシャクナゲを柘植、松と共に切取り、村人のために持ちかえり、神棚に上げさせたといいます。やはり、霧の湧くような深山幽谷にひっそりと咲くシャクナゲを見るとき、人は誰でもわが心を浄化してくれる不思議な気高さを感じないではいられなかったのではないでしょうか。
 だからこそ、修験道の世界では、桜とともにシャクナゲが霊木視されてきたと思います。また、俗説では、シャクナゲの語源は、避け難(難を避ける)からきたと言われています。
 それらを考え合わせると、大黒さまの境内地にはシャクナゲこそがふさわしいと考え、今から25年ほど前から精力的に植え続け、今では4,500本、約400種類のシャクナゲが植えられています。
 これらのことをもっとお知りになりたい方は、左の目次から「シャクナゲのホームページ」をクリックし、ぜひご覧ください。



☆ 大黒さまの大祭にお餅が振る舞われますが、何故ですか?
 その昔、弘法大師が甲子大黒天をご謹作なされた時、開眼の法悦にひたる人々を前に「餅は、万粒を捧げて繁栄を祈り、これを搗いて豊穰を祝い、これを食うて英気を養う。」といい、甲子大黒天に供えたモチを食べることによって強い縁が生まれ、福禄寿が授けられると話したといいます。福とは精神的な心の豊かさ、禄とは物質的なものの豊かさ、寿とは心身の健康であり、すなわち家族皆が毎日毎日を大黒様のような笑顔で過ごすことができるように守護してくださるというのです。
 その由来があって、さらにお餅そのものが縁起が良く、大祭も収穫祭的な意味合いもあり、必ずお餅を搗いて祈願者に振る舞っているのです。
 そもそも直会(なおらい)というものは、神殿で神様といっしょにいただくのが普通でした。でも時代を経るに従って、祈願した後の精進落とし的な意味合いに変化していきました。しかし、当山では、昔と同じように大黒さまといっしょに神殿でお餅をいただくからこそ『福餅』だと考えています。
 この不景気な時代だからこそ、みんなで『福餅』をいただき、この暗雲を吹き飛ばしてください。
 20人以上の団体の場合には、電話等でご予約いただければ、大祭と同じように右の写真のような『福餅』の献膳を準備いたします。



☆ 大黒天の前に、「三面」や「甲子」など付いているのがありますが、 普通の大黒天とどう違うのでしょう?
 大黒天は、もともとインドにあっては三面六臂の忿怒形でしたが、それが日本に請来され、さまざまな形を成していきました。比叡山を開山なされた伝教大師が刻んだといわれる三面大黒天は、大黒天・毘沙門天・弁財天の三体合体のお姿ですし、大国主神と神仏習合した大黒天は、現在おなじみの米俵にのり、小槌を持ち、ニコニコとした笑顔のお姿になっています。
 さて甲子大黒天ですが、当山の資料によりますと、明治初年に「神仏分離令」という太政官令が公布され、神さまと仏さまは完全に分離してお祭りされなければならなくなりました。しかし、一方には永く神仏一体の大黒さまとしてお祭りされてきたものを、という信仰上の思いもあったわけです。そこで、昔は大黒さまを甲子という日にお祭りしておりましたので、昔から甲子にお祭りしていた大黒さまという意味を込めて、甲子大黒天としてお祭りをするようになりました。
 ですから、甲子大黒天というのは、江戸時代まで普通にお祭りされていた神仏一体の大黒さまのことで、特に高く小槌を掲げているのが特徴です。
 また、大国さまという場合には、大国主神のことで、神さまとしての大黒さまを表します。



☆読者からの手紙です。
 読者から、下記のようなメールが届きました。僧侶を目指す京都在住の学生らしいのですが、その みずみずしい考えが好ましく、原文のまま、ここに掲載いたします。

(原文)
 私は、京都で仏教を学んでいる学生です。数年前に一度そちらの大黒さまに参拝したことがあり、このたびホームぺージを拝見しましたのでメールを送らせていただきます。
 京都と言えば日本の仏教の中心地であり、各宗派の総本山が林立しているところです。私はお寺を巡るのが大好きで、よく京都のお寺を巡りますが、そこで感じることは、外国の巡礼のような印象ではなくてほとんどの人が観光気分でお寺を巡っているということです。そして、お寺の方でもそれが当然のように、ただ入場料を取り、後は勝手に境内を散策して終わりというもので、全くの観光地となっています。
 宗教の世界において最も罪が重いとされていることの中に、神の名を語り商売をすることが上げられています。私が思うに、日本の僧侶の多くがこの罪を犯しているのではないかと考えます。自分が本当に信仰もしていないのに仕事と割り切って僧侶としての仕事に就いているのが現代日本の仏教者(葬式仏教者)なのだと考えると悲しくなります。だからこそ本当の信仰を持ちたいと考える人が、新興宗教に走らざるを得ないのかも知れません。もし、既成の仏教が本来の機能を満たし苦しむ人々を救っているのならば、新しい宗教など必要とされないはずです。そういう観点から考えるならば、現代の新興宗教の問題の責任の一端は、既成仏教にあるのかも知れません。
 仏教は人生における困難、苦悩、恐怖などのすべての問題に対しての答えを私たちに与えてくれます。しかし、そのためには本気で信仰することと、私たちを導いてくれる本物の僧侶が必要なのです。最も後者がなかなかいないことが問題なのですが。
 しかし、私は甲子大黒天本山に参拝したときに、山主からいろいろなお話を伺い、非常に感銘を受けたことを覚えています。私は、その時に日本の仏教に一筋の光明を見たような気がしました。
(原文終わり)

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 最後の部分は当てはまらないように思いますが、確かに現実は、このようなものだと私もときどき思い知ることがあります。しかしそれは、僧侶ばかりが責められるものではなく、そんな風潮をつくってしまった大衆 にも責任があります。いや、むしろ江戸時代につくられた檀家制度に少しの疑念も抱かない人々すべてといって過言ではありません。
 この学生が言うとおり、宗教というものは、今現実に生きて、悩んで、苦しんでいる人に何らかの救いの手をさしのべるのが本義だと思います。亡くなられた人々を供養することも大切ではありますが、それ以上に今を生きている人々に法を説き、安らぎを与えることが大切です。むしろ今生きている人々と共に悩み、共に苦しみ、少しでも心安らかに過ごせるよう共に歩く、その姿勢が必要だと私も考えます。
 これらのことは、非常に大きな問題ですし、いろいろな糸を解きほぐす必要もありますので、少し考える時間をいただき、改めて私の考えを書き記したいと思います。




☆ 「げんをかつぐ」や「げん直し」の「げん」って何ですか?
 この「げん」って、知らないで使っている人は意外と多いのではないかと思います。もともと、縁起を逆さにした言葉(倒語といいますが)、すなわち起縁「ぎえん」がつまったものが「げん」なのです。そういえば、この倒語を使って得意になっている人をときどき見かけますが、それと同じです。
 この縁起、仏教では最も大切な考え方の一つで、「因縁生起」という言葉からうまれました。簡単に言ってしまえば、「因」は原因であり、「縁」は原因と結果をつなぐ条件です。たとえば、AさんとBさんが偶然に出会ったとしますと、それは偶然ではなく、その二人が背負ってきた「業」が出会わせたと考えるわけです。これが「縁」なのです。では「業」とは何かというと、いわゆるカルマで、前世のおこないを意味します。一般には特に悪業をさす場合が多いようです。したがって、前世で良いおこないをすると、良い縁が生まれ、幸せになれるという方程式が成り立つわけです。
 それを「因果応報」というわけです。それは前世だけのことではなく、この世にあっても同じことで、善いことをすれば果報を招き、悪いことをすれば不幸をもたらすということです。これを専門用語で、「善因善果、悪因悪果」といいます。そういえば、私の地方では、「いんがみる」という方言がありますが、これも「因果みる」ということで、ひどいめにあうことを意味しています。
 そこで、もう一度「げん」に戻って考えてみると、縁起を直すということは、前世まで戻って直してくるわけにはいかないので、先ずはとりあえず、気分を変えるぐらいの軽い意味ではないかと思います。やはりトラブルが続けば、何とか目先を変えたいというが人間の自然な感情です。
 でも、一番大事なことは、一時的に目先を変えて気分を変えるということばかりではなく、その結果を生んだ原因をたどり、二度とトラブルにあわないようにすべきだと思います。そして将来的には、善いことをたくさん積み重ね、そうならない「縁」に作り替えることが必要ではないでしょうか。




☆ 大黒さまは台所の神さまと聞いたのですが・・・・・・
 インドの寺では、大黒さまを厨房(台所)の柱のそばに祭っていたそうですが、それを裏付けるお話が伝わっています。
 「100人ほどの僧が修行しているお寺がありました。ある日、食事どきになって、突然に500人の僧が訪れたので、新たに食事の準備をする暇がなく、困ってしまいました。そこで大黒天に祈り、100人分の食事を500人分として配膳したら、それでも十分間に合ったということです。」
 考えてみると、同じような奇跡的話がキリスト教の中にも出てきます。それは、キリストが1個のパンを千切って弟子たちに与え、お腹を一杯にしたというものです。
 おそらく、これらの話が教えてくれることは、「人はパンのみにて生くるにあらず」(新約聖書マタイ福音書4ノ4)ということではないかと思います。物を豊かにするのは心の豊かさであり、人を満足させるのは物の多い少ないだけではないということでしょう。昔の言葉に「絢爛たる貧窮者」というのがありますが、いかに物質的に恵まれていたとしても、心が貧しければ、やはりそれは不幸だと思います。




☆ 大黒さまは、なぜ米俵にのっているの?
 これもよく戴く質問なんですが、米俵というのは食べるものという以上に経済力を表します。昔、大名の経済力を表すのに「何万石」といったと同じようなものです。
 考えてみると、人間は食べなくては生きてはいけません。何か仕事をしたいと考えても、先立つものがなければそれもかないません。また、困っている人を何とか助けたいと思っても、それなりの余裕がなければ、それもできないでしょう。むしろ、そう思うということ自体、心に余裕のある証拠でもあります。私は、優しさだって、経済的な余裕から生まれてくる場合が多いと考えています。ただし、守銭奴になってしまってはだめですが・・・・・。
 やはり、先立つものの必要な世界がこの世であり、現実です。それ(米俵)を土台にして、それに感謝をして 生きるのが人間なんです。たった一粒のお米でも大事にしなければ、土台は少しずつ崩れてしまいます。そんなことを教えてくれるのが大黒さまの米俵だと思います。




☆ 小槌を振れば、小判が出てくる?
 ある時、子供さんから「大黒さまが小槌を振るうと、小判が出てくるって本当ですか?」という質問を受けました。そのときに考えたのですが、インドへ行ったときに出会った大黒天は、いろんな道具をたくさん持っていました。とすれば、この小槌は、いろんな道具を象徴しているのではないかと思いました。道具は、人が使って始めていろいろなものを作る手助けになります。道具は、いわば働くことと同じような意味ではないでしょうか。
 そうだとすれば、小槌を振るうということは、道具などを使って一心に仕事をすることであり、ただお参りをして願うだけではなく、自らも努力精進をかさねる誓いでもあるわけです。ここに、信仰の原点があるように思います。自分で出来ることは自分で一生所懸命頑張り、あとは神仏にお任せして護ってもらう、そこに安心が生まれる、ということです。




☆ 七福神ってなんですか?
 七福神というのは、恵比須、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋尊、福禄寿、寿老人の七人の方々です。 平安時代頃から信仰されはじめたといわれていますが、盛んになったのは江戸時代に入ってからで、徳川家康のブレーンであった天海僧正が七福神の七徳を幸せになる道として説いたことで広まってきたようです。先ず、恵比須さまは信用、信頼を表し、大黒さまは有福、財運を、毘沙門天さまは威光を、弁財天さまは愛敬を、 布袋さまは清廉を、福禄寿さまは人望を、寿老人さまは文字通り寿命、すなわち健康を表します。これら七福神の徳をすべて戴いて本当の幸せになれるというのが七福神信仰なのです。
 だから、枕の下に七福神の絵を敷いて寝ただけで幸せになれるわけではありません。お参りをして、その徳の芽生えを戴き、その徳の芽生えを大事に育てる、そこが大切なのです。向こうから七福神がやってくるのではなく、自分の心の中にこそ七福神の七徳が生まれること、それこそが七福神信仰の神髄なのです。




☆ 「大黒さま」って神さまですか?
 大黒さまは、最初は大黒天といって仏さまとして日本に請来されてきました。その当時、日本では神仏混合とか混淆といって仏さまと神さまをいっしょにお祭りをするようになったのです。そこで、昔からお祭りされてきた大国主の尊、すなわち「国」は「こく」とも読めるということで、大黒天と大国主の尊を一体としてお祭りするようになっていったのです。
 ところが、明治初年に「神仏分離令」という太政官令が公布され、その時から「大黒天」と「大国主の尊」を別々にお祭りをしなければならなくなったのです。しかし、信仰というのは、法律で規制できるものではありません。当山では、昔からのそのままのお姿でお祭りしたいということで、昔から甲子にお祭りされてきた由縁から「甲子大黒天」としてお祭りをするようになったのです。
 ですから、甲子の大黒さまは、神さまであり、仏さまでもあります。またお参りするときには、一般には柏手を打ってお参りしますが、忌みのかかった場合などは手を合わせてお参りをいたします。
 

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