このコーナーは、私が皆さんからメールをいただいて考えたことや感じることなどを自由にお話をさせていただくものです。





☆奥州三十三観音札所巡り Part.08

 第8番札所梅渓寺は、三陸自動車道の石巻河南インターチェンジで下りて、牧山道路で市内を走り、牧山西トンネルを抜けるとすぐに左折します。そこから山手に向かって山道を走ると、梅渓寺の駐車場に着きます。
 時間は午前11時ですから、第7番札所大仰寺からは40分ほどかかったことになります。
 門柱の両側には、仁王像が建ち、大理石の門柱の右側には「鳳樹林両峰山」とあり、左側には「曹洞宗梅渓寺」とありました。それが左の写真で、右が本堂です。ここは標高218mの牧山の麓にあり、先ほど通ってきた牧山西トンネルはこの山を通り抜けるものだったようです。
 ご本尊の龍乗聖観世音菩薩は、本堂内にまつられているということでしたが、正面の扉は鍵がかかっていて、しかたなく外から観音経を唱えました。

 そして、本堂の右脇に庫裡があり、そこがご朱印所と案内書に書かれていたので、そこでご朱印をいただきました。僧侶の方が対応に当たられたので、当然墨書きをしていただけると思ったのですが、印刷された紙に、ゴム印とご朱印が押されてありました。なんとも味気なく、早々に車に戻りました。
 そういえば、5月1日の令和に元号が切り替わった日、浅草神社では特別御朱印を求めて最大5時間待ちもの行列ができたそうで、中には待ちくたびれた人たちが神社の職員や巫女さんに「暴言、恫喝や暴力に近い行為」(神社の公式フェイスブック)があったそうです。そのために、5月16日〜19日に予定されている東京・浅草三社祭のときにこれまで頒布していた特別御朱印状を今年は出さないことにしたというニュースがありました。
 これはもちろん異常なことですが、そのことでそれを楽しみにしてきた方々が特別御朱印状をもらえないということはとても残念なことです。もちろん、普通のご朱印状はお出しするそうですが、同じような事態になれば、これも中止するといいます。
 考えてみれば、もともとご朱印というのは、納経をしたお印にいただくもので、たんなる記念のスタンプではありません。でも、後から思い出しながら見直す楽しみもありますから、お互いに自重したいものです。このときには、あまり考えなかったのですが、この「奥州三十三観音札所巡り」を書きながら、いろいろと考えさせられました。18世紀のフランスの女流作家スタール夫人は、「書くための第一条件は、強烈な感じ方である。」と書いています。
 そうそう、次の第9番札所篦峯寺は遠田郡涌谷町で、ナビで確認すると、26.9q、およそ40分だそうです。ここ梅渓寺を出たのは11時15分でした。

 第8番札所 両峰山 梅渓寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 たのめ只 そなとの船に のりの道 大慈のみたね ここに牧山



☆奥州三十三観音札所巡り Part.07

 第7番札所大仰寺へは、国道45号線から奥松島パークラインを通り、手樽の先から左手の山道を上ります。ほんとうにこのまま進んでいいのかと考えてしまうような細い道になりましたが、なんとか駐車場に着きました。ぴったり15分かかり、到着時間は、午前10時でした。
 ここ富山は、標高116.8mだそうで、松島海岸と奥松島のある東松島市との境界近くにあり、ここに通じる山道は車がすれ違うことのできないような狭い道でした。
 先ずは観音堂へと向かうと、石段があり、これを寄進したのは平成13年10月に米寿を記念してと書いてあり、仙台市の知っている方でした。後からご朱印をいただくときに聞いたら、観音堂まで上るのが大変だったからだそうです。おそらく、自分だけではなく、多くの人たちも大変だと感じて寄進されたのではないか、ということでした。
 その階段を上ると、朱塗りの3間四方の立派なお堂が見えてきて、その前の仁王門から入り、お詣りをしました。左の写真が観音堂で、右が本堂への参道です。

 縁起によれば、坂上田村麻呂が奥州平定の折、この山に陣を敷き、その素晴らしい眺望に感激し、堂宇を建て千手観音菩薩をまつったのが始まりだそうです。たしかにここから眺める松島湾は絶景で、天気も良かったので遠くまで見渡せました。鐘撞き堂もあるから、その鐘の音はそうとう遠くまで鳴り響くのではないかと思いました。また朱塗りのお堂も、木々のすき間からでも、はっきりと見えていました。
 お詣りをして、石段を下り、ご朱印所に行くと、そこには「明治天皇当山御小休所」という石塔が立っていて、本堂(紫雲閣)から眺められたのではないかと思います。私は、その前の庭から眺めると、奥松島の絶景が目の前に広がります。その一角に植えられている枝垂れ桜は、やっとツボミが少し膨らんできたばかりで、満開に咲けば、最高のロケーションではないかと想像しました。
 しかも、人っ子一人いなくて、まったくの独り占め、空は真っ青で、松島湾から流れてくる風は、とてもさわやかです。もう、ここに来ただけで、今回の奥州三十三観音札所巡りを始めてよかったと思いました。
 そういえば、映画監督のフェデリコ・フェリーニさんは、「最初から旅先のことがなにもかもわかっていたら、誰も決して出発しないだろう。」といいましたが、まさに至言です。わからないから旅立つわけで、知りたいから好奇心が湧くのです。もし、機会があれば、ぜひもう一度訪ねてみたいと思いました。
 次の第8番札所梅渓寺は石巻市にあり、ナビで確認すると、三陸自動車道を通って32.6q、約40分ほどかかるそうです。ここを出発するときの時間は、午前10時20分でした。

 第7番札所 富春山 大仰寺 (臨済宗妙心寺派) 本尊さま 千手観世音菩薩
 ご詠歌 わけてその 菩薩の誓い とみやまの 浄土へまいる 身こそうれしき



☆奥州三十三観音札所巡り Part.06

 第6番札所瑞巌寺三聖堂は、三陸自動車道の松島海岸インターチェンジで下りて、県道144号線を松島方面に進みます。JR東北本線の高架橋手前の左側に無料の松島駐車場があるので、そこに車を駐めました。時計をみると、午前8時55分でした。
 そして、JR東北本線や仙石線の高架橋を渡り、いったん国道45号線まで進み、菓匠三全の松島寺町小路店のところを左折し小路に入ります。その突き当たりの右手が第6番札所の三聖堂です。
 この三聖堂は、1682年に瑞巌寺101世鵬雲東搏によって建てられたそうで、この名の由来は、正面に聖観世音菩薩、左に達磨大師像、右に菅原道真公を祀っているからです。この聖観世音は、鎌倉時代初期の作で、「蜂谷観音」といわれています。というのも、もともとは美濃の蜂谷定国の念持仏でしたが、一族が衰退し、子孫がこの尊像を持って勧進行脚し松島にたどり着き、ここに草庵を結んだのだそうです。そして、今の場所に移したのが瑞巌寺104世夢庵如幻です。
 左の写真が三聖堂で、右がその扁額です。

 このお堂は、かや葺き屋根の趣のあるもので、瑞巌寺参道から少し離れていることもあり、ひっそりとしています。そこで、静かに観音経を唱えてお詣りしました。
 ときどき外国人の声が聞こえますが、やはりどこの観光地も同じようで、インバウンド政策の効果かどうかはわかりませんが、日本を訪れる外国人が増えていることだけは間違いありません。
 第6番札所三聖堂のご朱印は、瑞巌寺でいただくので、円通院のわきを通り、瑞巌寺受付に行くと、その中にご朱印所がありました。ご朱印だけだと拝観料700円はいらないということで、番号札をもらい、待っていました。すると、ちょうど臥龍梅が見頃ですという案内板があったので、中門から入ると、その左手には白梅、右手には紅梅が咲いていました。案内には、「政宗公が文禄2年(1593)朝鮮出兵の折、鉢植にして持ち帰り、慶長14年(1609)、当寺落慶の際、五葉松と共に本堂正面に手植えされた梅。」とありました。
 本堂にお詣りし、朱印所で受付の番号札を渡し、ご朱印帳を受け取りました。ここ瑞巌寺はなんどかお詣りしてますが、満開の臥龍梅を見たのは初めてで大満足でした。
 そういえば、政宗公の辞世の句は、「曇りなき心の月をさき立てて 浮世の闇を照らしてぞ行く」ですが、簡単に訳すと、先の見えない暗闇の中を月の明かりをたよりに道を進んできたようだと、戦国時代を生きてきた自分を振り返っているようです。少し穿った見方をすれば、暗闇でも梅の香りはわかりますし、新元号の令和も梅に関わりがあるそうですから、寄るべくして寄らしていただいたと思います。
 帰りに、もう一度三聖堂にお詣りし、松島駐車場に戻りました。午前9時45分ですから、ここには50分いたことになります。次は第7番札所大仰寺です。住所は松島町ですが、通称、奥松島というところです。ナビで確認すると、7q、15分の道のりです。

 第6番札所 三聖堂 (臨済宗妙心寺派) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 うちよする きしべの波は ふだらくや みの里の声も 松かぜのねも



☆奥州三十三観音札所巡り Part.05

 4月14日の朝、午前6時30分に起き、7時に朝食を食べ、8時10分に「バリュー・ザ・ホテル 仙台名取」を出ました。第5番札所名取千手観音堂は、ホテルから2.2qしかないので、混雑する国道4号線を通っても8時30分には着きました。
 駐車場がないので、名取市民体育館の駐車場に車を駐め、道路を横切ると、その角にお堂はあります。以前は国道4号線近くにあったそうですが、平成15年に所有者が移転されたので、その玄関先にお堂も移転したのだそうです。
 ここの札所は「要連絡」と案内本に書かれていたので、出かける前に電話を入れておいたので、観音堂の前にご朱印が押された用紙が置いてありました。よく見ると、その塀ぎわに、うす小豆色の御影石に、「奥州三十三観音 第五番札所 千手観世音菩薩」と白抜きで彫られていて、その前に花が植えられていてよく見えませんでしたが、安倍重任のつくったご詠歌が添えられていました。ここは個人宅の玄関前ですが、あちこちに花が植えられていて、さらにフラワーポットも置かれています。
 左が道路から見たお堂の写真で、右下が近くに寄ったときのものです。

 お堂は、1m四方ほどの大きさですが、昭和7年の改築前は1間四方あったそうです。ご本尊は高さが60pほどの大きさだそうですが、鍵がかかっていて、拝顔することはできませんでした。個人でまつっているので、とくに宗派はないそうです。
 ご詠歌をつくった安倍重任は、衣川の館主安倍頼時の六男です。この安倍頼時は、陸奥国奥六郡を治めた平安時代の武将であり、また俘囚長です。この俘囚(ふしゅう)というのは、蝦夷という先住民族のことで、しかも最初は大和朝廷に抵抗せずに味方したといいます。それが衣川を越えて国衙領へ侵攻したことから「前九年の役」が始まり、奥州藤原氏の始まりのきっかけとなる「後三年の役」へと続きます。この歴史の流れからみると、奥州藤原氏の初代藤原清衡は、安倍重任の甥にあたります。
 その時代の話しですから、このご詠歌を唱える千手観音堂も相当な歴史があるということです。
 難しい歴史の話しはさておいて、ここから次の第6番札所瑞巌寺三聖堂までは、だいぶありそうです。ちなみにナビで確認すると、仙台東部道路の名取インターチェンジから高速道路に入り、三陸自動車道の松島海岸インターチェンジで下りるコースです。距離は32.5q、時間にして31分だそうですから、思っていたよりだいぶ短時間で行けそうです。
 名取市民体育館の駐車場を出たのが、午前8時30分でした。

 第5番札所 名取千手観音堂観音堂 (宗派なし) 本尊さま 千手観世音菩薩
 ご詠歌 きえぬつき つみもそれそと いまぐまの だいひおうこの あさかすみかな



☆奥州三十三観音札所巡り Part.04

 第3番札所金剛寺観音堂には、10分ほどで着きました。ナビでは5分と出ていたのですが、夕方の道路の混雑で少し遅れたようです。
 お寺の門柱には「熊野山新宮寺」とあり、以前の別当寺が金剛寺で、ここから南西に500mほどのところにあったそうです。それが現在ではここ新宮寺が護っていて、ご朱印もここでいただけるということでした。
 そこで、先ずご朱印をいただけるかどうか心配なので、先ず庫裡の方にうかがうと、何度ベルを押しても出てきません。仕方なくあちこち見回すと、足元にプラスチックのケースがあり、そこにご朱印の紙が入っていました。そこで、300円を入れて、その1枚をいただきました。
 それから本堂前で、そして観音堂前でご法楽を捧げました。ここのお詣りは自由とありましたので、時間を気にすることなくゆっくりとお詣りさせてもらいました。ちなみに、左の写真が本堂で、右が観音堂です。

 観音堂は、別名「川上観音堂」ともいうそうで、増田川にかかる観音橋の袂にあります。もともとの別当寺は金剛寺だったそうで、観音堂から南西の方角に500mほど先にあったそうです。しかし、その由緒はほとんどわからず、現在の別当寺である神宮寺天台宗から真言宗智山派、そして寛永年間に真言宗信義派に改宗したといいます。
 おそらく、火災などによる焼失やいろいろな事情もあったのでしょうが、宗旨を変えるということは重い決断だったのではないかと想像します。
 鴨長明の「方丈記」に、「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、よどみに浮かぶ泡沫は、且つ消え、且つ結びて、久しくとどまりたるためしなし、世の中にある人と住家と、またかくの如し。」とありますが、昔から流れに逆らうことはできないようです。むしろ、その流れを見極めて、進むべき方向に舵を取る、それが歴代の住職の大変さだったのではないかと思います。
 お詣りが終わって、時計をみると、午後5時30分です。そろそろ宿泊を予約している名取市の「バリュー・ザ・ホテル 仙台名取」に行こうとナビで確認すると、ここから4.6qで、11分かかるそうです。おそらく夕方で混むかもしれないと思いながら運転しましたが、裏道を通ったせいか、ほぼ予定通りに着きました。
 今日の運転距離数は134qでした。ここのホテルは朝食付きで1泊税込み5,000円ですが、本を読むのでデスクランプをお願いすると、すぐに持ってきてくれました。それから夕食を食べに外に出かけ、帰りにすぐ近くのブックオフで何冊か本を買ってきました。

 第3番札所 金剛寺 観音堂 (真言宗智山派) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 後の世を たのめやたのめ もろ人を すぐに導びく のりのおしえぞ



☆奥州三十三観音札所巡り Part.03

 第2番札所の秀麓齋までは、ナビで1.4qほどで、8分で着きました。参道の右手の駐車場に車を駐め、少し戻って参道の石段を上りました。時間も午後4時40分を過ぎていたので、先に本堂右の朱印所に回りました。玄関を開けると、松本明慶仏師の仏像が待っていましたが、呼び鈴を押してもなかなか出てきません。仕方なく、何度か押すと、お子さんをおんぶした方が出てこられました。
 ご朱印をお願いすると、今、住職が不在とのこと、そこで墨書きなしのご朱印だけをいただきました。その間、玄関先に飾られてある色紙やパンフレットなどを眺めていると、そこに恵比寿さまと大黒さまの極彩色の画もありました。
 ご朱印をいただき、それから本堂に行くと、どこにいても聞こえるようにスピーカーでご詠歌のようなものが流れていました。
 この左の写真が本堂で、右が内陣で撮ったものです。

 本堂の戸を開けると、中に入ることができ、なかでもスピーカーから聞こえてきますが、それに負けないような大きな声で観音経を読誦し、お詣りをしました。
 そういえば、いわき市の白水阿弥陀堂にお詣りしたときに、やはりお堂に入るとどこからか案内の声が聞こえてきました。堂内の左手奥をみると、たしかに人がいて、肉声でここのご案内をしてくれていました。そこで、お詣りをしてから一端外に出て、次の方がくるのを待って聞き耳を立てていると、やはり同じような口調で寸ぷん違わない案内をしていたので、びっくりしたことがあります。
 でも、ここのはカセットかなんかに吹き込んだもので、人がいるいないに関わらず流しているようなので、しずかにお詣りしたいときには邪魔ではないかと思いました。
 もちろん、お寺には、それぞれのやり方がありますし、一概に良い悪いはいえないのですが、私はもっと静かにお詣りしたいと思いました。
 そういえば、相田みつをさんの言葉のなかに、「親切と言う名のおせっかい そっとしておくおもいやり」というのがありますが、やはり良い悪いはなかなか判断の難しいものです。そんなことを考えながら駐車場に戻ると、すでに午後5時でした。
 ナビで確認すると、第3番札所の金剛寺観音堂までは1.8q、時間にして5分程度だというので、案内書には参拝時間は自由と書かれていたので、とりあえず行ってみることにしました。

 第2番札所 天苗山 秀麓齋 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 もらさずの 大悲の誓い たのむかな 二世の願いも あまねさの法(のり)



☆奥州三十三観音札所巡り Part.02

 第1番札所紹楽寺は、名取市高舘吉田にあり、観音堂は高舘山の山頂近くにあります。第4番札所の斗蔵寺からは、いったん国道4号線に出て、そこから県道39号線を進み、高舘吉田の信号を左折し、そのまま道なりに進むと紹楽寺です。その途中の川沿いの民家のわきに、大きなシダレザクラが満開で、その流れにかかる枝先が微妙に揺れてきれいでした。また、レンギョウの真っ黄色な花も、彩りを添えていました。
 そういえば、第1番ということで思い出すのが、ノーベル文学賞を受賞したアンリ・ベルクソンの言葉で、「どこまで行けるか、確める方法は唯一つ。すぐにでも、出発して、歩き始めることだ。」というのがあります。たしかに、まず一歩を歩き出さなければ、先には進めません。この第一番札所紹楽寺から始まる奥州三十三観音札所巡りも、し始めたことでなんとか最後まで行けそうです。
 紹楽寺の大きな駐車場に車を駐め朱印所に行くと、住職が本堂に案内してくれ、自らお灯明から線香3本に点け、お詣りする間にご朱印を書いてくれるといいます。
 その内陣でゆっくりとお詣りさせていただき、朱印帳をいただいたとき、高舘山の観音堂の話しをすると、道路は舗装されてなく道も狭いので気を付けるようにとアドバイスされました。でも、この本堂内に御前立ちの那智十一面観音菩薩像がまつられているので、すでに午後4時15分を過ぎているので、今回はそこまで行かないことにしました。
 ところが、5月22日、仙台市で学会があり行くので、いっしょに葛岡墓園の知り合いのところにお墓詣りしようということになり、少し早めに出かけて、今度は那智が丘の方から行くことにしました。自宅を7時15分に出発し、ここに着いたのが9時25分でした。距離にして113qです。ちなみに右下の写真は、高舘山の観音堂です。ここでゆっくりとお詣りして、友人の待つ仙台駅に向かいました。
 ちなみに、左の写真が4月13日に撮った本堂で、右が5月22日に撮った高舘山の観音堂です。

 ところで、本堂内陣の那智十一面観音菩薩像の右手は垂下し、左手には蓮華を生けた花瓶を持っている一般的なお姿でしたが、「那智」いうのは、どこからきているのかと思いました。お寺の由来書には、紀州那智観音とのつながりもあり、付近には紀州三熊野神社を勧請したという名取熊野三社があるので、昔から熊野信仰が息づいてきたところのようです。
 でも、この第1番札所で、住職から点火されたお線香をいただき、静かにお詣りできたことは、とても有り難いことでした。お線香は堂内を清めるだけでなく、お詣りするときの気持ちを集中させてもくれます。また、その燃えるときの時間で、お詣りしている時間がわかり、ふと、我に返るときもあります。
 ただ、線香の火といえども、火の点いている先端部分は700〜800℃もあるそうですから、気を付けたいものです。私は、ご住職からご朱印帳をいただくときに、お灯明は消しましたが、お線香はそのままですのでよろしくお願いいたします、と一声掛けてから出てきました。
 外に出ると、太陽が後ろの山に隠れてしまい、少し急がないとあと2ヶ寺を回れなくなりそうです。駐車場に戻ったのが午後4時30分で、すぐに出発しました。

 第1番札所 那智山 紹楽寺 (曹洞宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 ふだらくの 浄土の春を みちのくの なと里の山に うつすみくまの



☆奥州三十三観音札所巡り Part.01

 だいぶ前から、奥州三十三観音霊場をお詣りしたいと思っていましたが、調べてみると、福島県と宮城県、さらには岩手県と3県に渡っての霊場です。しかも、岩手県は、北部の二戸の辺りに第31番札所から第33番札所まであり、さらに特別霊場も3ヶ寺あります。
 単純に考えると、1週間程度はかかりそうです。そこで、たまたま4日間ほど行けそうなので、福島県内の特別霊場の医王寺と3ヶ寺、そして一番遠い岩手県北部の3ヶ寺を後の楽しみにとっておき、残りの27ヶ寺と特別霊場の2ヶ寺をお詣りすることにしました。そうすると、なんとか4日間でまわれそうです。
 出発したのは4月13日で、午前中は予定があり、自宅を出たのは午後12時30分でした。米沢市内を抜け、高畠から国道113号を進み、角田市の手前を右折してしばらく走ります。県道105号線で右折し、「斗蔵山野鳥の森」と書かれた案内板を右折すると山道に入ります。そこを少し走ると広い駐車場があります。ここに着いたのが午後2時40分です。ちょうどサクラが満開で、2時間ほど運転してきたので、少し眺めながら参拝道を見つけました。そこには「霊験の道」とあり、最初の上りはコンクリートの階段で、その後は普通の山道です。
 それを上っていくと、近道という案内板を見つけ、そこから進みました。本当にこの道でいいのかと思うほど狭い山道で、ちょっと心配になりましたが、お堂が見えてきたのでホッとしました。

 ご住職がおられたので、先にご朱印をお願いし、観音堂にお詣りしました。朱塗りのお堂で、その前には屋根がかかっていて、その下に立派な賽銭箱と燭台がありましたが、今回は山寺が多いと聞いていたので、お灯明を点けないでお賽銭を上げて観音経などを読誦するだけにしました。
 お詣りが終わって、その左手を見ると、これも朱塗りの鳥居で、新しい注連縄がかかっていて、その奥に白山神社があったので、そこもお参りしました。
 そして、ご朱印所に行くと、書いていただいたご朱印帳をいただき、「山形から来たので、ここから奥州三十三観音霊場巡りを始めます」と話すと、そのほうが道順からするといいかもしれないと話してくれました。
 聞くと、現在の観音堂は、1663年に再建され、その後も火災などに遭うがお堂の被害はなかったそうです。内陣のご本尊の懸仏は宮城県の文化財にも指定され、その前に木彫りの千手観音菩薩が御前立ちされているとのことでした。
 また、観音堂の裏手には、18体の観音像が並んでいて、信者さんからのご寄進だそうです。
 帰り道、同じところを下ってきましたが、上るときの不安さがないだけ、なんとなく早く駐車場に着いたように感じました。着いたのが午後2時40分で、駐車場を出たのが午後3時5分でした。
 そういえば、角田市出身の物理学者の大槻義彦さんは、あるテレビ番組で「宇宙人がいるなんてのは、当たり前の話です」と言ったそうです。だからなのかどうかはわからないのですが、角田市に独立行政法人宇宙航空研究開発機構の研究施設である「角田宇宙センター」があります。ここでは、宇宙推進系の研究開発をしているそうです。
 次は名取市の第1番札所紹楽寺ですが、ナビで確認すると37.1qほどで、54分と出ていました。

 第4番札所 安狐山 斗蔵寺 (真言宗智山派) 本尊さま 千手観世音菩薩
 ご詠歌 あらざらむ つみをとくらの 松風は やよいのきりも はるるやまみち




☆鎌倉浄妙寺に行ってきました!

 話しがちょっと前後しますが、平成27年2月8日、三浦海岸に泊まった翌日、JR横須賀駅まで友人に車で送ってもらい、横須賀線で鎌倉駅まで行きました。
 その駅前で、友人と待ち合わせて、そこからタクシーで浄妙寺に案内してもらいました。ここには喜泉庵という、共通の友人が民家を移築してつくったお茶室があり、そこでお抹茶を一服いただくことになりました。
 ここは、一昨年、竹の寺で有名な報国寺の筋向かいのようなところにあり、小路を入ったところでした。境内では梅が咲き始めていて、いい香りがしました。
 本堂への参道の途中に「花塚」があり、そこにも花が生けられ、雪国から来た私にはなんともうらやましい早春の庭でした。ツバキやロウバイなども咲いていて、ゆっくり本堂でお詣りをして、それからお茶室の喜泉庵に行きました。
 この建物も庭も新たに造られたものだそうで、室内から庭を眺めながらお抹茶を頂きました。
 菓子はとても上品な甘さで、聞くと鎌倉の「美鈴」製だそうで、ここの上生は予約でもしないとなかなか食べることができないといいます。
 庭には、水琴窟があり、その微妙な音色を長く伸ばした青竹で聞くと、なんとも幽玄な音がしました。
 次に来るときには、報国寺の竹林を見て、ここ喜泉庵で美鈴のお菓子を食べながら、ゆっくりとお抹茶をいただこうと思っています。
 下に、そのとき撮った写真を載せますので、早春の鎌倉を感じてみてください。。


鎌倉の浄妙寺山門

浄妙寺本堂と紅梅

浄妙寺の喜泉庵



☆東京ドームで「世界らん展日本大賞2016」を見てきました!

 平成27年2月17〜19日、東京ドームで開かれている「世界らん展日本大賞2016」を見てきました。
 今回はある方から招待券を何枚かいただいたので、17日と18日の両日見ることができました。しかも18日は、夕方の閉場までいましたので、会場のすべてを見てまわったような感じでした。
 今年の日本大賞は、東京都世田谷区の高橋さんの「パフィオペディラム エメラルド フューチャー ‘ギャラクシー’ (Paph.Emerald Future ‘Galaxy’)」でした。
 たしかにきれいですが、たった1本のパフィオペディラムですから、ちょっと迫力に欠けるような気がしました。それでも、今年はなぜかパフィオペディラムの展示が多いようで、写真を見ると、撮影ポイントも多かったようです。
 下に、今年のらん展で撮った写真を載せます。


世界らん展会場

日本大賞のパフィオ

「母なる地球」のディスプレー



☆上野東照宮で「寒ぼたん」を見てきました!

 平成27年2月7〜9日、神奈川県三浦海岸でシャクナゲの仲間が新年会をするというので、出席してきました。
 そのついでに、鎌倉や都内のあちこちを見てまわり、9日には上野にある美術館などを見てまわりました。そのときに見つけたのが、「寒ぼたん展」の案内立て看板です。
 そこで、今回は「最上三十三観音札所巡り」をちょっとだけ休み、寒牡丹の花を見てもらおうと思いました。
 下に掲載したのはその時の写真です。
 さすがに上野は歴史のあるところで、この寒ぼたん会場から旧寛永寺五重塔が見えました。ここは上野東照宮で、石の鳥居をくぐると、小さな山門があり、その先の左手に「寒ぼたん展」会場があります。
 中国人もたくさんいて、おそらく旧正月の大型連休で多かったのではないかと思います。しかも、ボタンは中国でも人気があり、しかも花言葉は「富貴」ですから、見てみたいと思ったのでしょう。
 昨年の夏、すぐとなりの上野動物園に孫といっしょに来ましたが、ここにお参りするのは初めてです。
 まさに、中島季世さんの「公園の見事な牡丹足を止め」、の心境でした。


寒牡丹と旧寛永寺五重塔

入口付近のデザイン

ボタン「島錦」



☆草木塔祭を厳修しました!

 9月27日、米沢市の「なせばなる秋まつり」で、草木塔祭を厳修しました。場所は伝国の杜西側の草木塔前です。ここには行屋や庚申塔などもあります。
 当日は、アメリカのキャロライン・ケネディ駐日大使もこの秋まつりにおいでになり、秋空のなか、楽しまれたと思います。
 この置賜の草木塔も、上杉鷹山時代から建てられ始め、現在、江戸時代の草木塔17基が米沢市の有形民俗文化財に指定されています。
 一番古い石塔は、安永9年の年号が入っているので、1780年です。この年の6月3日に江戸では大雷雨があり、続いて6月26日には江戸の川が各地で氾濫したそうで、多くの民家も流されました。ということは、なんとなく、今年の集中豪雨に似ていなくもないような気がします。
 歴史は繰り返すといいますし、災害は忘れた頃にやってくるともいいます。お互いに気をつけたに越したことはありません。
 ちなみに、ここ小町山自然遊歩道にも江戸時代の草木供養塔が1基あり、17基の1基なので、同じように米沢市の有形民俗文化財に指定されています。以前は山道の途中にあったのですが、最近ではシャクナゲが大きくなりすぎて、草木供養塔にお参りするだけの道を新たにつけました。
 でも、シャクナゲの花時にはとてもきれいです。
 もし、わかりにくいときには、ご案内しますので、甲子大黒天本山の受付まで申し出てください。


☆小坂の「康楽館」で奈落を見ました!

 9月1日、奥入瀬渓谷から十和田湖に行き、そこから後生掛温泉に向かう途中で、小坂町を通りました。
 そのとき、偶然にもここに古い芝居小屋があることを思い出し、ほんのちょっと引き返しただけで見ることができました。それがこの右の写真の「康楽館」です。この昇り旗ですぐわかりました。
 この日は休館でしたが、なかの見学はいいそうで、黒子の人に案内していただきました。
 ここは国の重要文化財に指定されているそうで、舞台の下の回り舞台の仕掛け、これを奈落というそうですが、それを見たり、切穴(すっぽん)という役者をせり上げる装置などの説明を受けました。これらは、今でも現役で使われているといいますから、すごいことです。
 たまたま舞台稽古が行われていて、その合間に、楽屋にも案内してもらいました。そこには、出演された方々のサインや落書きなどもあり、舞台のすぐ後ろのここでさっと着替えてまた舞台に上がるのかと想像し、ちょっと感慨深いものがありました。
 桟敷席は畳敷きですが、若干傾斜があり、このようなことは実際に入ってみなければわからないことです。
 ここでは、今も芝居だけでなく、本格的な歌舞伎も上演されているそうですから、機会があればそれも観てみたいと思いながら、また、後生掛温泉を目指しました。


☆八戸に来ています!

 8月31日、八戸市の八戸公園内にある緑の相談所で、シャクナゲの講演を依頼され、来ています。
 ここまで420qあると聞き、昨夕、走れるだけ走り東北自動車道の岩手県内の江釣子まで来て1泊し、31日のお昼ころに八戸市に到着しました。やはり、そのほうが体力的にも楽でした。
 午後1時からはじまりましたが、青森県内はもとより、岩手県内からも来てくれた方がおられました。だから、こちらも精一杯、お話しをさせていただきました。
 そして、せっかくここまで来たので、とんぼ返りではもったいないので、奥入瀬の近くで泊まり、9月1日にはそこを歩きました。ここはやたらに車を駐めることができないので、宿のシャトルバスで行き、ゆっくりと写真を撮りながら歩きました。三脚を立て、静かにシャッターを切ると、水の流れも糸を引いたように柔らかく写ります。風もさわやかでした。
 でも、今年は何十年ぶりかの大雨が降り、所々で土砂崩れが起き、渓流の水が濁ってしまったいたのは残念でした。また、流木や増水で倒された草木も目に付きました。
 それでも、数年前、ここに来たときには、慌ただしくバスのなかから眺めただけでしたので、大満足でした。
 慌ただしい旅では、なんのためにこんなにも遠くまで来たのかわかりません。あちこち数多くまわるよりも、絞って今日はここだけというような旅をしたいと思います。だから、美術館や博物館なども、午前中1ヶ所、午後からもう1ヶ所というように、時間をかけて見ないと、後から思い出そうとしてもなかなか思い出せなくなってきました。
 だから、これからの旅は、時間をかけて、ゆっくりとしたいものです。お抹茶も持ってきたので、旅の先々で銘菓を見つけて、飲んでいます。それも旅の楽しみです。


☆樂家15代 樂吉左衛門氏の講演を聴いてきました!

 8月3日、午後1時から山形市の山形テレサで樂家15代樂吉左衛門氏の講演を聴いてきました。正式な名称は「茶の湯文化にふれる市民講座」で主催は表千家同門会山形県支部です。
 講演の題名は「樂歴代の作陶」で、スライドを交えながらの詳しい話しで、13時30分に始まり、終わったのが16時10分を少し過ぎていました。長い時間でしたが、聴いていると、あっという間の感じで、とても興味深いものでした。
 質問も出ましたが、その一つ一つにとても詳しく答えていただき、それも感激しました。
 その一つは私からのもので、今から16〜7年前の「樂茶碗400年」というサントリー美術館で開催された展示会から考えていたもので、樂歴代は伝統を守ることと新たな創造を加えることとが代わり代わりにあったから、400年以上も続いたように思いました。ただ伝統を守るだけでは、次第に尻つぼみになってしまいます。だからといって、革新的な創造だけでは、これも行き詰まってしまいそうです。いわば、創造と伝統を守ることが交互に繰り返されてきたからこそ、長続きしたきたのではないかと思ったのです。そのことなどを、当代にお聞きしたかったのです。
 すると、当代は頷きながらそうです、と答えられ、さらに、自分一人のなかでも新たな挑戦をしたり、また伝統の作陶に戻ったりと、いろいろと変化してきたと話してくれました。だから、今の現代アートのアーティストたちは、その戻ることのできる歴史がないのだから大変だろうな、と話され、なるほど、それが伝統なんだろうなと感じました。三代前の方が集めた陶土や釉薬を使い、自分は三代後のために陶土や釉薬を集めるという話しは何度か読んだことがありましたが、直接ご本人からお聞きをするとその歴史的な重みを感じます。
 そして、茶碗一つ一つにこれ以上考えられないような思いを込めて練り上げ、そして削り、そこに自分の指跡が残るわけで、さらに焼いている途中で引き出すために挟みあとが残っています。まさに世界に一つしかない茶碗が出来上がるのです。
 お話しを聴き終わって、ある意味、年代が同じであるからこそ感じる部分があるのではないかとも思いました。
 もし、また、このような機会があれば、もう一度聴いてみたいと思いながら、家路につきました。


☆山形蔵王に行ってきました!

 7月22日、久しぶりに良い天気なので、山形蔵王に行ってきました。
 朝に家を出て、上山からエコーラインを上り、お釜のリフトの駐車場に車を駐め、その付近の高山植物を見てまわりました。
 まだハクサンシャクナゲやウラジロヨウラクなどの花も咲いていて、キンコウカやワタスゲなども大群落をつくっていました。人もほとんどいなく、ゆっくりと写真を撮りながら歩きました。ワタスゲをこんなにもたくさん見たのは久しぶりでしたが、昨年はコバイケイソウがたくさん咲いていたのに、今年はほとんど見ることはできませんでした。
 やはり、山の花は、毎年咲くのはなさそうです。何年かおきに咲くのが普通で、コバイケイソウなども4〜5年に1度だそうです。
 とくにシャクナゲなどはその傾向が強く、屋久島のヤクシマシャクナゲなどは10年に1度だと聞いたことがあります。
 だとすれば、私が見たのは2005年でしたから、来年の2015年が咲くという計算になります。まずは足腰を鍛えておいて、待つしかなさそうです。


☆イギリスの民家です!

 7月4日からイギリスに行きましたが、10日にある方から招待されて伺うとこのようなメルヘンチックなお家でした。
 まさにおとぎ話に出てくるような雰囲気で、至福の時を過ごしました。お茶の後で裏庭を案内されたのですが、そのときに撮ったのがこの写真です。この家を見たときに、まず最初に思い浮かべたのが、この茅屋根を維持するのは大変だろうなということでした。それを伺うと、あと30年ぐらいはほとんど手入れをすることがないそうで、もし修理をするときには、この地方独特の技術が使われているので、その職人が代々守ってくれているそうです。
 この家の中で一番古い木は約350年ほど前のもので、室内に入って一番最初にその話しをしてくれました。まさに、古い部材をとても大事に使っているということの証しです。主は長年転勤を繰り返してきたので、リタイア後はゆっくり暮らすところを長年探し続け、ここを決められたそうです。おそらく、このかわいらしい家をもっともっと大事に使い、それを次の方にバトンタッチしていくのもリタイア後のつとめのように感じました。
 食事をご馳走になり、デザートには自宅の庭で採れたラズベリーの果実を準備してくれました。最初はそのまま食べ、そして次はミルクをかけて食べ、そして紅茶をいただく、まさにシンプルですが、そこには豊かな時間がゆっくりと流れていました。
 つい時間を忘れて、5時間ほどもいましたが、この家に招待されて、イギリスの生活をちょっとだけ垣間見たような気がしました。


☆7月1日は「更生保護の日」です!

 1949年のこの日に「犯罪者予防更正法」が施行されたことから、この7月1日を「更生保護の日」として法務省が1962年に制定しました。
 そして、この7月1ヶ月間を社会を明るくする運動の強化月間として、さまざまな活動をしています。この右の写真は、地元米沢市の活動で、市長と議長とに法務大臣・山形県知事のメッセージ伝達が行われているところです。
 この後、広報車による街頭広報活動や、人の多く集まる場所でのリーフレットなどの配布活動などもしました。
 7月26日土曜日には、米沢市市民文化会館で、第52回米沢市民の集い「かくし芸大会」があり、多くの方々に喜ばれています。
 開場は午前11時30分、ビデオ放映は12時20分から、そして記念式典は午後1時、そしてかくし芸大会は午後2時からです。入場するには、入場券が必要ですが、当日券もありますので、ぜひおいでください。


☆田んぼアートの田植えがありました!

 5月25日、地元の小学生など、多くのボランティアの協力で、今年も田んぼアートの田植えが行われました。
 今年の図柄は、米沢出身の武将「伊達政宗」とその家臣「支倉常長」です。
 特に今年は、昨年度の5色の稲にくわえて、橙色(あかねあそび)と深緑(紫穂波)の全部で7色の稲を使ったそうです。ということは、今年の図柄も非常に細やかで、7色の稲を使うことで作業もたいへんだったようです。予備日も全部使って、なんとか25日の田植えまで間に合ったようです。
 この写真を見てもわかりますが、その植える印になる杭の数も例年の倍以上になったようです。この隙間に植えていくわけですから、根気のいる作業です。
 地元の三沢東部小学校の児童全員も田植えをしましたが、絵柄のまわりに地元特産米の「つや姫」の苗を植えていました。
 29日には補植も終わり、その座標の杭も抜かれ、図柄も浮き上がってきました。
 ぜひ、機会があれば見に来てください。


☆菜の花畑の真ん中に立ちました!

 5月20日、地元紙に載ったので、朝日町水本の菜の花畑を見に行きました。先に寒河江のツツジ公園に行き、逆コースで水本に行ったこともあり、案内板が見つからず、地元紙にある駐車場は旧水本小学校に駐めることとあったので、そこを目指しました。
 ところが、その付近をいろいろ探し回ったのですがそれらしきところはなく、しかたなく、近くの見晴らしの良いところでおにぎりを食べました。すると、その学校に来た方がおられ、菜の花畑のことを聞くと、まったく違うところらしく、菜の花まつりのときだけ、ここを駐車場に使ったということでした。
 そこから1qほどのところに目指す菜の花畑はありました。車は、どっちみち誰も通らないから路駐でいいということでしたが、ほんとうに誰も通りませんでした。
 でも、真っ盛りの菜の花畑が一面に広がり、山村暮鳥の詩「風景」を思い出しました。
 そして、なぜか、谷口摩耶さんの句、「菜の花のまんなか安全地帯かな」も思い出され、菜の花まつりのときの踏み跡があったので、その真ん中に立ってもらいました。
 まさに、ここは安全地帯です。
 北国の春は、今、盛りです。遠くから、ウグイスの声も聞こえてきました。
 ここにいつまでもいたい、と思いながらも、何度も振り返りながらここを後にしました。


☆小町山はシャクナゲの花盛りです!

 5月上旬からアズマシャクナゲが咲き始め、今は小町山自然遊歩道の入口から少し入ったところでたくさん咲いています。
 そして、5月下旬にかけては中国原産のフォーチュネィやデラバイなども咲きだし、一気に賑やかになります。
 右の写真は、5月14日に撮った「フォーチュネィ」の現在の様子です。まだまだ花数は少ないのですが、花芽はたくさん付いていて、これからが楽しみです。
 5月12日に地元のケーブルテレビが取材に来ましたが、改めて植栽台帳を確認したら、6,000本を超えていました。種類はたしかなことはわからないのですが、おそらく400種類はあるのではないかと思います。
 とくに世界の原種が充実していて、野外で自然のままに栽培しているのでは日本一だと思います。10年ほど前に出版された内藤芳徳編『世界の原種 シャクナゲ・ツツジ・ビィレヤ辞典』には、ここ小町山の写真が一番多くカラーで紹介されています。残念ながら、この本は現在は絶版ですが、神保町などの古本屋さんでは、16,000円ほどの値が付いています。
 でも、写真で見るより、実際にこの目で見る方がだんぜんよくわかります。
 例年ですと、6月中旬ころまでは見ることができますので、機会があればぜひおいでください。


☆「没後50年 板谷波山 展」を観てきました!

 4月24日、山形美術館で開催している「没後50年 板谷波山 展」を観てきました。というのは、ときどき山形新聞で紹介されていたこともありますが、だいぶ前に福島県立美術館で開催された板谷波山展を思い出したこともあります。
 この展示会は、山形美術館開館50周年記念でもあり、代表的な作品約150点と資料などによって紹介されていました。とても見応えがあり、その完璧なまでの作品に、ため息がでました。
 福島県立美術館で観たときと同じ作品もあり、いいものは何度観てもいいという印象を持ちました。
 会期は4月3日から5月11日までで、ゴールデンウイークも入るので、ぜひ観ていただきたいと思います。
 とくに印象的だったのは「彩磁美男葛水差」で、ビナンカズラを意匠化した斬新的なデザインでした。おそらく、相当な植物好きでもビナンカズラを知っている方は少ないと思いますが、そのぶら下がった真っ赤な果実を淡い色彩で再現しています。
 また、葆光彩磁のものは、まさに板谷波山独特のもので、案内板によると、「葆光」とは光沢を隠すこと、物の線界をやわらかく、薄く描くことを意味するそうで、淡い幻想的な色彩です。それがなんとも絹越しに見るような感じです。
 そういえば、4月27日のNHK新日曜美術館で奥村土牛の代表作『醍醐』を見ましたが、これも淡い色彩で描かれた満開の桜が、柔らかな春の光をまとって咲いていました。それを弟子の方が再現して見せてくれましたが、花の部分は100回以上も重ね塗りしているということでした。見ていて、その様子が手に取るように変化するのがわかりました。
 葆光彩磁といい、この『醍醐』といい、淡い幻想的な雰囲気が良いと思いました。
 5月11日までですから、機会があれば「没後50年 板谷波山 展」を見てみてください。


☆「法隆寺 祈りとかたち」特別展を観てきました!

 4月10日、観たいみたいと思いながら、なかなかその機会がなく、会期が3月1日から4月13日までなので、もうぎりぎりかと思い出かけました。
 仙台市博物館に行く前に、いつもだと賣茶翁で上生とお抹茶をいただくのですが、今回はトビバイサといわれる「甘座洋菓子店」にまわり、チーズケーキなどをいただきました。ついでに、クッキーなども買い、それから会場に向かいました。思っていたより車も混まず、すんなりと駐車できました。
 法隆寺は明治時代の神仏分離や廃仏毀釈の影響などで、多くの仏像や寺宝を皇室に献上したので、思っていたより、展示されているのは少なかったように思います。それを補うかのように、第二部「法隆寺と東京美術学校」、第三部「法隆寺と近代日本美術」という構成で、比較的新しいものも展示していました。
 この特別展は「東日本大震災復興祈念・新潟県中越地震復興10年」と銘打たれていますが、おそらく、この寺が除災や国家安穏を祈って創られた経過があるからではないかと思います。あるいは、会場の一番目立つところに、国宝の「地蔵菩薩立像」があったので、被災に遭われた方々への祈りという意味もあったようです。
 それらしき説明もありましたが、会場のどこかに復興のための募金箱があればとも思いました。もしかすると、それに気づかなかったのかもしれませんが、もしそうだとすれば、だれにも目立つところに置くという配慮も大切なのではないでしょうか。
 この特別展は、東京の東京藝術大学大学美術館で4月26日から6月22日まで開かれます。
 もし、観る機会がなかった方は、一部の展示替えはあるでしょうが、ぜひ観てみてはいかがでしょうか。
 ここでは、おそらく、第二部「法隆寺と東京美術学校」をさらに拡充したような形で多くの文化財が展示されるのではないかと期待しています。


☆「玉庭ひなめぐり」に行ってきました!

 3月29〜30日、川西町の玉庭地区で「玉庭ひなめぐり」があり、昨年に引き続き行ってきました。
 29日はとてもいい天気で、瑞光寺境内近くは、車をどこに駐めていいか迷うほどの賑わいで、この山里にも春が来たと感じさせるほどでした。
 毎年、ここではお抹茶の接待もあり、ご住職のひな人形の話しを聞いてお抹茶をいただくのを楽しみにしている方も多いと聞きます。
 今年、ちょっと目に付いたのは、ちいさな七福神の人形で、橘光作と書いてありました。
 昔からのひな人形を見て、このように大切に守り伝えてきたこの山里の人たちに心をはせながら、帰宅しました。
 今年で16回目だそうですが、ここに至る道筋にはしっかりと案内板がたてられ、主催される玉庭の人たちも大変だと思いますが、楽しみに待っている方も多いので、末永く続くことを願っています。
 ぜひ、来年も伺いたいと思っています。


☆植物調査に行ってきました!

 2月から3月にかけて、ニュージーランドに植物の調査に出かけ、それで3月1日の更新ができませんでした。
 この右の写真は、3月6日にワイポウア・フォレストで撮ったカウリの大木です。この樹は現地では「テ・マトゥア・ナヘレ」といい、マオリ語で「森の父」を意味するそうです。この森の中では、もっとも太い樹で、幹の胴回りは16.41メートルあると案内板には書かれていました。
 このすぐ近くにある最も背の高い樹は、「テ・マトゥア・ナヘレ」というそうで、マオリ語で「森の神」という意味で、高さが51.2メートルもあります。この樹は、日本の屋久島の縄文杉と2009年4月43日に姉妹木の締結式が行われたそうです。
 そういわれてみると、2005年に縄文杉も見ましたが、とてもよく似ています。
 それらの詳細については、マタコヘという小さな町にある「カウリ博物館」に行くとわかります。この博物館は、とても見応えがあり、つい2時間以上も観てしまいました。
 また、カウリの細工物やカウリの樹脂が固まってできた琥珀、カウリ・ガムなどの売店も充実していて、ここで絵はがきやパウア貝をはめ込んだカウリなどの細工物を買いました。
 ここニュージーランドでは、たくさんの写真を撮ってきたので、機会があれば、このホームページにも掲載したいと思っています。


☆今、小野川温泉名物の「豆もやし」や「アサヅキ」が最盛期!

 今、小野川温泉名物の「豆もやし」や「アサヅキ」が最盛期です。
 この右の写真は、2月14日に撮ってきたもので、「アサヅキ」を洗っているところです。
 相当古くから農家の冬場の副業としてやってきたようで、温泉の廃湯を、アサヅキ畑に流し込み、それで雪をとかしながら収穫し、その収穫してきたアサヅキをまたこの廃湯できれいに洗って一束にまとめます。それをお土産屋さんなどに卸すのです。
 この写真を見ればわかるように、なんとなく廃湯の湯気でレンズが曇ってしまっています。それほど、小屋の中は暖かいのです。冬場の仕事には、とてもいいことだと思います。
 昔は、雪が多く、青い野菜などは手に入らず、ほとんどが漬けたものでした。だから、これら「アサヅキ」や「豆もやし」などは重要な野菜でした。
 この付近には、3棟の大きな小屋が建ち、その前には豆もやし栽培に使う砂の大きな山が築かれ、何十人も「豆もやし」を作っていました。それを米沢市内まで背負って売り歩いたそうです。今では、もう、昔の風物詩として語られるだけになってしまいました。
 もし、機会があれば、この小野川温泉名物の「豆もやし」や「アサヅキ」をご賞味ください。
 2月14日は、このアサヅキを使った料理を夕食にいただきました。とてもおいしかったです。


☆1月15日は「さいと焼き」!

 1月15日は、小正月で、さまざまな行事があります。「さいと焼き」もその一つです。
 この右の写真は、今年の1月15日の晩に小野川温泉の河川敷で撮りました。
 この「さいと焼き」は地方によって呼び名が違いますが、昨年のお札やお守りなどをお焚き上げし、そのおき火で餅を焼き食べると風邪をひかないといわれています。
 ただ、「成人の日」が連休をつくるというだけの理由で1月15日から移動して以来、この行事も移動したりなくなったりしているのはたいへん残念なことです。
 この小正月の行事は、いろいろありますが、代表的なものは「だんご刺し」とこの「さいと焼き」です。これは地方によって名前が違うようで、「おさいとう」とか「歳頭焼き」、「ヤハハエロ」というところもあるそうです。そこで、1年間お世話になったお札をお焚上げするわけです。
 この「ヤハハエロ」は、さいと焼きのときに、鼻をかみ、その紙をヤハハエロと言いながら、「目鼻鼻くそ飛んでいけ」などといいます。
 これらの行事は、おそらく、稲作などの農耕文化と深く結びついていると思いますが、いつまでも続くことを願っています。


☆初日の出をみることができました!

 平成26年1月1日、天気予報では高い確率で雪降りの予想でした。だから、今年の初日の出は無理かな、と思っていました。
 ところが、午前9時前後に雲の切れ間から、ときどき太陽が顔を出しました。それを見て、とりあえず写真を撮り、夕方になったからそれを見てみると、しっかりと初日の出が写っていました。
 しかも、雲の切れ間からの太陽光線が帯状に広がり、とても神秘的な雰囲気でした。
 何枚か撮した写真から、数枚を残し、後はすべて消去しました。でも、今年もなんとか初日の出を見ることができ、とても有り難く感じました。まさに太陽の光は、最大の恵みです。
 これがなければ闇夜の世界ですし、極寒の極みです。なんだかんだいっても、人は絶対に住むことはできません。それほど大切なものです。
 それを新年を迎えた1月1日の朝に拝むことができたのは、たいへん幸せなことだと思います。
 きっと、今年もいい1年になると思います。
 いや、必ずそうしたいと思います。


☆「特別展 井戸茶碗」を観ました!

 12月6日、上京したついでに根津美術館で開催されていた「井戸茶碗 戦国武将が憧れたうつわ」を観ました。前日は国立科学博物館の「砂漠を生き抜く -人間・動物・植物の知恵-」と東京都美術館の「ターナー展」を観ましたが、一番楽しみにしていたのはこの特別展です。
 井戸茶碗だけ70碗以上が展示され、いわゆる大井戸茶碗、小井戸茶碗、そして青井戸茶碗の順に並んでいました。
 なかでも国宝の「大井戸茶碗 銘 喜左衛門」(京都・大徳寺孤篷庵蔵)は、やはり逸品でした。観れば観るほど吸い込まれていくような雰囲気を持っていました。この茶碗には逸話があり、江戸の慶長の頃に持っていたのは大阪の竹田喜左衛門という裕福な町人でした。ところが身代を潰し、一家離散の後、京都島原の遊女屋の下働きに身をやつしましたが、それでもこの茶碗だけは手放さず、これを袋に入れて首にいつもかけていたそうです。
 ところが、やがて体中に腫れ物ができ、この茶碗を抱きしめながら亡くなったそうです。その後、本多能登守忠義に渡り、さらに泉南の中村宗雪に譲られ、その後、塘氏の所蔵となります。そして、安永年間には松江藩7代藩主の松平治郷(号は不昧)が京都の道具商の山越利兵衛から550両で購入します。ところが、家臣や正室は「この茶碗を手に入れた者には腫物に罹る」との噂があり反対したのですが、とうとう、不昧公も腫れ物がでました。それでも、不昧公は手放さず、息子の月潭に譲ると、彼も腫れ物にかかりました。そこで、不昧公の正室はこの茶碗を1822年に京都大徳寺孤篷庵に寄進し、現在も孤篷庵が所蔵しているというわけです。
 国宝の茶碗は8つあるのですが、井戸茶碗で国宝に指定されているのは、この「大井戸茶碗 銘 喜左衛門」だけです。それを間近に観れるのですから、十分時間をかけて観てきました。
 図録も最近は重いのでなるべく控えているのですが、これだけはつい求めてしまいました。この冬にでも、なんどか楽しみたいと思っています。
 この会期は、11月2日から12月15日まででしたから、もうすでに終わっています。


☆「天上の舞 飛天の美」を観ました!

 今朝(12月15日)のNHKの「新日曜美術館」でも紹介していましたが、東京六本木のサントリー美術館で開催されている「天上の舞 飛天の美」を12月7日に観ました。
 この企画展は、平等院鳳凰堂 平成修理完成記念として開催されたもので、鳳凰堂内の国宝も特別公開されていました。
 ここには息子が卒業のときにいっしょに訪ねたことがあり、壁面に掲げられた仏像のほとんどが模刻でした。せっかくここまで来たのにと思いながら、境内の中央にある鳳凰堂手前の阿字池の前に立ち、写真を撮ったことを思い出します。
 今回は、修理中ということもあり、そのほとんどが本物で、その細やかな雲中供養菩薩像に感動しました。
 それとおもしろいと思ったのは、開創当時のカラフルな仏像の再現や、金箔の仏像なども再現され、今とはだいぶ雰囲気が違うと感じました。
 むしろ、今のままの木目が浮き出したような古色な雰囲気のほうが好ましいと思いますが、その当時を再現することも意義のあることです。そういえば、今年の2〜3月にミャンマーに行きましたが、向こうの仏像も金ぴかだったり、カラフルだったりします。ちょっと厳かな雰囲気はないのですが、それでも、多くの人たちがその前で熱心に手を合わせてお参りしていました。
 ということは、それをいつも見ていれば、あまり違和感がないのではないかと思います。だから、平等院鳳凰堂を建立した当時の人たちも、おそらく、もっと華麗で華やかなものに惹かれたのかもしれません。
 そのように考えながら、1体ずつ観て歩くのも楽しいものです。
 とくに、今回の目玉は、雲中供養菩薩像と結縁できることで、選ばれたのが国宝〈雲中供養菩薩像〉南20 天喜元年(1053)で、もちろん模刻像ですが、これがこれから鳳凰堂にオリジナルの代役として掲げられるそうです。ということは、それに直接触れ、結縁し、それがずーっと鳳凰堂にまつられるということです。
 なかなか、このような機会はないと思い、雲中供養菩薩像と結縁させていただきました。
 この会期は、11月23日から来年の2014年1月13日までですので、興味があればぜひご覧ください。


☆「国宝 興福寺仏頭展」を観ました!

 10月31日、東京芸大美術館で開催されている「国宝 興福寺仏頭展」を観ました。まだ、印象が強すぎて、とても文字には表せないと前回書きましたが、少し落ち着いてきたので、ちょっとだけ触れてみたいと思います。
 まず、この白鳳の仏頭が500年も人の目に触れることなく存在してきたことにびっくりしました。しかも、雷が落ちて、頭部が抜け落ち、顔も少しだけゆがんでいますが、左横から見ると、ほとんどそれに気づきません。それを展示会場のほぼ中央に配し、その前には木造の十二神将を置き、それも回れるようにと丸く作った壇の中に配置していました。もう、手が届かんばかりの近さで、とても圧倒されました。もちろく、絶対に手を触れてはいけませんが、頭に載せられた十二支のそれぞれが、はっきりとわかります。そして、その忿怒の相が、力強さが、間近に伝わってきました。
 今回の展示は、興福寺創建1300年を記念して開催されたもので、とくに東金堂ゆかりの仏像が多く、国宝25点、重要文化財31点など、約70点の至宝が展示されていました。
 この配置など、展示方法が、とてもセンスがあり、さすが東京芸大だと思いました。
 木造十二神将と板彫十二神将がともに展示され、メインが仏頭でありながら、この十二神将も見応えがありました。
 この展示にあわせて、東京・調布の深大寺所蔵の重要文化財「銅造釈迦如来倚座像」も特別陳列されていました。この像も、いかにも白鳳時代を思わせる目鼻立ちで、とくに仏頭のデジタル復元されたものと酷似しているように思えました。
 9月3日〜11月24日までの期間なので、もう少しで終わります。
 もし、興味がありましたら、ぜひ見ていただきたいと思います。


☆「日本のアザミの秘密」を見てきました!

 10月31日、東京芸大美術館で開催されている「国宝 興福寺仏頭展」を観ました。
 この白鳳の仏頭が500年も人の目に触れることなく存在してきたことに、まずはびっくりしました。まだ、観てきたばかりですので、その印象が強く、とても文字にはあらわせません。
 図録を求めてきたので、後からでも、ゆっくり書きたいと思っています。
 その帰り道、同じ上野の国立科学博物館で開かれている「日本のアザミの秘密」という企画展を見ました。その展示室が、この右の写真です。
 通常は美術館でも博物館でも写真撮影はできないのですが、ここは教育的なこともあり、展示されていたアザミ柄の着物以外は、フラッシュさえ使わなければ写真撮影をできました。
 その展示も、おそらくは研究者が相当な時間をかけて練り上げたもののようで、とてもわかりやすく、インパクトもありました。
 しかも、この展示のために作られた小冊子も無料でもらえ、ゆっくり楽しんできました。
 パンフレットを見ると、「フロラ山形の会」の名前も協力として掲載されていて、山形産のアザミの標本なども展示されていました。
 9月18日〜11月10日までの期間なので、もう少しで終わります。
 もし、植物に興味がありましたら、ぜひ見てみてください。


☆「京都 清水寺展」を観てきました!

 10月4日、新潟県立万代島美術館で開催されている「京都 清水寺展」を観てきました。
 この開催を知ったのは、新潟県五泉市在住の方から教えていただいたもので、なんとか10月14日までの開催されているのに間に合いました。
 この企画は寛永再建380年記念と銘打って開かれたもので、奥の院のご本尊、三面千手観世音菩薩坐像(鎌倉時代)などの貴重な仏像など、多数展示されていました。とくに印象に残ったのは、その奥の院のご本尊のわきにおまつりされている「毘沙門天立像」で、顔立ちがなんともユニークで、「おー、来たか、遅いじゃないか!」とでも言われているような雰囲気で、とても親しみが感じられました。それが秘仏としてまつられているのですから、このような機会でもなければお目にかかれないわけです。この奥の院のご本尊とわき仏2体はすべて秘仏で、この他に随求堂にまつられている「大随求菩薩座像」も秘仏だそうで、江戸時代の享保年間に造られた割には彩色が残っていて、それも秘仏故かとも思いました。
 展示物の最後のほうには、大西良慶(1875年12月21日 - 1983年2月15日)前清水寺住職の揮毫作品もあり、とくに白寿のときに書かれた「無事」は、赤い紙の効果もあり、見事な生きざまを淡々とこなしてきたことを暗示しているようでした。
 私自身も奈良で出会った師の掛け軸を持っていて、ことさらに懐かしさを感じたのかもしれません。
 最近は、ほとんど図録を求めないのですが、それを手にして、ホテル日航新潟の3階にある「桃季」でだいぶ遅い昼食を食べて帰ってきました。
 これを書きながらもその図録を眺めていますが、行けてよかったと思いました。
 もし、また、いい企画がありましたら、ぜひ教えていただきたいと思っています。


☆「なせばなる秋まつり」に参加しました!

 9月28〜29日の両日、松が岬公園や伝国の杜周辺を会場に「なせばなる秋まつり」が開催されました。
 これは、置賜地方を中心に残る草木塔を改めて見直し、生命の尊さを考えてみる機会になればと開催された草木塔祭や、米沢の偉人たちや米沢にゆかりのある人物が練り歩く米沢時代行列、さらには棒杭市など、いろいろな催しが開かれました。
 また、付近では、この写真のような「米沢どん丼まつり」や「置賜うまいものや」などもあり、多くの方々で賑わいました。ちなみに、私はらぁじゃの「べこちゃんカレー丼」と馬肉専門店の「馬かもん」を食べました。
 さらには、「益子陶器市inよねざわ」などの協賛の店なども立ち並び、舞台では、その益子からやってきた和太鼓の演奏などもありました。
 それらを見て、最後に、松が岬神社で開催された裏千家の献茶式を見て帰宅しました。
 今年で2回目ですが、ぜひ毎年続けていただきたいと思います。


☆「若冲が来てくれました」を観てきました!

 9月10日、仙台市博物館や岩手県立美術館を巡回し、7月27日から9月23日まで福島県立美術館で「若冲が来てくれました」展が開催されています。もちろん、目玉は展覧会の題名にもなっている伊藤若冲を中心とした江戸時代の絵師たちの作品です。
 これらは、世界的に知られる米国カリフォルニアのプライスコレクションで、NHKの日曜美術館で見て、なんとか観たいと思っていました。福島県立美術館なら、ここから片道やく1時間ぐらいなので、なんとか出かけられました。
 プライスはこの展覧会に寄せられたメッセージに、「この展覧会は多くの人々や機関の善意によって開催され、すべての収益が東北にもたらされます。数えきれないほど多くのご家族を亡くされた方々、ペットや家畜を失われた方々をどのように慰めたらいいのか言葉もありません。しかし日本人の先達が残してくれた楽しく、美しく、格調高い江戸絵画が一人でも多くの人の心の支えになってくれれば、私たちは大変うれしく思います。そして被災された方々が苦しくとも勇気を持って一歩ずつ進み、幸せを取り戻せますよう、心から願っております。」と記しています。そしてこの展覧会のテーマは「美」と「生命力」だそうです。テレビでも話していましたが、3.11の東日本大震災の現状を知ったプライスご夫妻は、自分が収集した若冲の「鳥獣花木図屏風」が真っ先に思い浮かんだそうです。そして、それらを今回被害に遭われたとくに東北の方々に観ていただきたいと願い、それが実現したのです。まさに芸術とは、なぐさめだけでなく、生きる元気を取り戻すよすがにもなりえることを実証したようなものです。800円という拝観料にもその思いが込められていると思いました。
 そういえば、原発の事故のときに、いくつかの美術展が中止になり、その原因が貴重な美術品が放射能に汚染されると困るからとまことしやかに語られましたが、それを思えば、プライスご夫妻の気持ちは、すごいことです。
 なかなか時間がなくて、と思うより早く来て、もう一回ぐらい観られる余裕がほしかったと思いました。


☆岩手県内を訪ねてきました!

 2013年8月24〜25日にと、お茶の仲間たちと岩手県内を訪ねてきました。
 24日は平泉の毛越寺や中尊寺、そして花巻の宮沢賢治記念館などを拝観しながら、盛岡市内の北ホテルに泊まりました。その夕方に、近くの料亭「駒龍」さんで、お茶道具をお借りして茶懐石を堪能しました。
 ここはとても風情のある建物で、この日は、お茶を味わっているときに三味線の音色が聞こえてきたり、まさに時代を巻き戻したかのような雰囲気でした。私が濃茶点前をしたのですが、古き良き時代の香りを感じました。
 茶懐石は、本格的で、折敷に飯と汁椀と向こう付けがのり、向こう付けは鯛の昆布じめの細造りでした。八寸のころには、おなかもちょうどよくなり、香の物でいただく湯桶も香ばしくてこれも本格的でした。
 翌日は、盛岡在住の方にご案内していただき、お昼には「東屋わんこそば」でご馳走になりました。
 たった2日の岩手の旅でしたが、とても堪能することができ、この場を借りて、ご案内いただいた方に感謝いたします。
 もし、また機会があれば、もう少しゆっくりと盛岡市内を回ってみたいと思いました。


☆「近江巡礼 祈りの至宝展」を観てきました!

 2013年7月18日に、仙台市博物館で開催されている「近江巡礼 祈りの至宝展」を観てきました。
 この特別展は7月12日から始まったもので、8月25日までだそうです。実は、昨年の11月8日に出張したときに三井記念美術館で開催されている「近江路の神と仏 名宝展」を観て、とても感動したので、今回も同じだろうと思い、観に行ったわけです。
 ここ近江は、比叡山のお膝元であり、琵琶湖という大きな湖を中心に鈴鹿、伊吹、比良山系などの山々に囲まれています。しかも、京都や奈良などは度重なる戦火に見舞われていますが、ここは織田信長の比叡山焼き討ちぐらいしか思い当たりません。だから残ったとも思いませんが、残るだけの素地はあったに違いありません。
 でも、数十点は同じものも展示されていましたが、観たいと思っていたのはありませんでした。
 それでも、その祈りの姿だけは感じてきました。
 たとえば、荘厳寺の「空也上人立像」(鎌倉時代、重文)は、京都の六波羅蜜寺が所蔵する立像と違い、もっと野性味があるように感じました。その案内文には、口の中に何かを留めておくような口金があるそうで、おそらくは6体の阿弥陀仏の小像が開いた口元から吐き出すように取り付けられていたのかもしれません。また、延暦寺が所蔵している「紺紙金銀交書法華経」(巻首、重文)も、とても状態が良く、つい、時間をかけて観てしまいました。
 やはり、西国33観音霊場巡りでも思いましたが、ここ近江には祈りの心が今も伝わっていると感じながら帰宅しました。


☆雄国沼のニッコウキスゲを見てきました!

 2013年7月2日早朝、喜多方市の萩平駐車場に車を駐め、6時発のシャトルバスで金沢峠まで行きました。その展望台から雄国沼を見渡すと、一面のニッコウキスゲでした。
 ここを訪れるのは何年かぶりですが、この真っ黄色の大群落を見ただけで、もう満足です。なるべく朝露があるうちに写真をたくさん撮ろうと、人が多くなる前に木道に三脚を立て、ニッコウキスゲの群落を撮りました。そして、一段落した頃、途中で買ってきた朝食のおにぎりを食べながら、小鳥のさえずりや風のそよぎなどに耳を傾けました。
 そして、また木道を一周して写真を撮り、10時25分発のシャトルバスで下山しましたが、そのころから臨時バスなどで混雑し始め、木道にもずーっと人並みが続いていました。
 ここのレンゲツツジもいいと聞いているので、いつかは訪ねてみたいと思っています。
 帰りは、山都町の民家の蕎麦屋さんで昼食を食べ、6月15日午後3時に開通したばかりの林道一ノ木線を通り、飯豊町に抜けました。この道路は磐梯朝日国立公園の飯豊連峰の裾野を走るので、とても雄大な眺めです。おそらく、秋の紅葉もきれいではないかと思いながら、車を走らせました。
 ただ、白川ダムの手前から玉庭に抜ける道路が通行止めだったので、手ノ子から川西町を通り帰宅しました。


☆今年も「田んぼアート」が始まりました!

 2013年5月26日に地元の小学生やボランティアの方々が参加され、田植えが行われました。昨年から白稲が使われ、話題になりましたが、今年はさらに赤い稲「べにあそび」が使われているそうです。いろいろな稲が使われれば、それだけ緻密な絵が描けます。
 今年のアートは、NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公「新島八重」です。作画は、昨年度に引き続き、「かねたん」の生みの親、岡野亜記さんです。
 田植え直後からうっすらと絵の様子がわかりますが、これからははっきりと見えてきました。
 しかも、晴れも曇りも雨の日も、それなりに風情のあるアートが楽しめます。ぜひ、お出でください!
 この田んぼアートは、「田んぼアート米づくり体験事業推進協議会」が主催し、小野川温泉観光協議会、小野川温泉観光知実行委員会、社団法人 米沢観光物産協会、米沢市観光キャンペーン推進協議会、山形おきたま農業協同組合、山形おきたま農業協同組合米沢地区青年部など、多くの団体が協賛し、支えています。
 だからこそ、平成18年度から毎年続いているのです。多くの人が見に来てくれれば、さらに続きます。このような企画は、続けることにも意義があります。
 すぐ近くですから、ご参拝の折にでも、ぜひご覧ください。


☆「ゴッホ展」を観てきました!

 2013年6月12日、宮城県美術館で開催されている「ゴッホ展 空白のパリ時代を追う」を観てきました。
 この展示会は、5月26日から7月15日まで開かれているもので、たまたまチケットをいただいたこともあり、今回の機会を逃すとなかなか観れないのではないかと思い、午前中に行きました。
 昨年の11月6日に東京都美術館で開かれた「メトロポリタン美術館展」で、ゴッホの糸杉やヒマワリを観ましたが、今回はそのような目玉になるような作品はなく、むしろさまざまな資料の解明や作品の科学的な分析を展示し、ちょっとユニークなものでした。
 たとえば、今まで弟のテオの肖像がはないといわれてきたものを、写真や他の資料からこれは弟のテオの肖像がであるとしたいきさつなどをくわしく展示していました。このような切り口はおもしろく、だから「空白のパリ時代を追う」という副題が当てられたのではないかと思いました。
 そういえば、R・アルトマン監督による、ゴッホの生涯を描いた作品、「ゴッホ/謎の生涯」では、弟のテオがいたからこそ、ゴッホは絵を描き続けられたように描写されています。それほどゴッホにとって大切な弟の肖像画が1点もない、というのは確かにおかしなことです。これで納得です。
 いい絵を展示することは楽しみでもありますが、今回のようにその絵がどのようなところで、どのような絵の具を使って、どのようキャンパスに、どのように描かれたか、という視点の当て方もおもしろいと思いました。
 この同じ会場で、9月3日から10月27日まで、「シャガール展」が開催される予定だそうです。
 これもぜひ観てみたいと思っています。


☆富弘美術館を見てきました!
 2012年8月26日、お茶の仲間たちと益子焼きや笠間焼きなどの窯場めぐりをして、そのついでに群馬県みどり市にある星野富弘美術館にまわってきました。
 ご存じの方もおられるでしょうが、星野富弘さんは、中学校の教諭になり、クラブ活動の指導中に頸髄を損傷し手足の自由を失って、その失意の中で口に絵筆をくわえて書き始め、それが大きな反響を呼び、今も描き続けています。私は山形美術館で開催された展示会を見て、その息づかいさえ伝わるような草花の絵にとても感動しました。いつかは、その星野富弘美術館を見てみたいと思いながら、とうとうそれが実現したのです。
 この美術館は、草木湖のほとりにあり、平屋建ての素敵な建物でした。その壁際には、ルコウソウやフウセンカズラなどの緑陰植物が植えられ、入口には、星野さんが育てられたという「ハナキリン」の大きな鉢植えが飾られていました。
 もともとの建物は社会福祉館だったものを改造したものだったそうで、そのために展示室が雨漏りしたり、団体客に対応できないなどもあり、2005年に新しく建て替えられました。
 展示リストには「夏の展示特別展近作展」とあり、おそらく春夏秋冬に展示替えがあるのではないかと思います。 その展示を見ながら、年代を追う毎に絵がうまくなっていくのを感じました。字も最初は首に力がなく、口に筆を持ったままで描けず、お母さんが紙をづらしてくれたといいます。それでも書き続けたからこそ、今があると思います。



☆「日本美術デザイン大辞典」を見てきました!
 2012年7月18日、出張で出かけたついでに三井記念美術館の「日本美術デザイン大辞典」を観てきました。
 これは「美術の遊びとこころ」シリーズの一つで、多くの美術愛好者に図録や解説書を読んでもわかりにくい美術用語などを所蔵する品々をつかって解説しようという取り組みです。
 だから、まさに「大辞典」です。これらは50音順に並んでいますから、それら古美術品を見ながら、「古美術もの知り博士」になってもらおうというおもしろい企画展でした。
 たとえば、「雲母摺(きらづり)」は、「料紙装飾に用いられる技法。薄い膠(にかわ)でといた雲母(うんも)を版木に塗り、紙をあてて模様を刷り出すもの。雲母は、キラキラときらめくことから、「きらら」「きら」などと呼ばれた。浮世絵版画の摺法で、雲母の粉を用いて、銀摺りのような効果を出すものも雲母摺と呼ばれる。」と解説がありました。
 これら解説を見ると、なるほどと思います。
 また、「楽焼」では、重要文化財 長次郎作「黒楽茶碗 銘俊寛」(三井記念美術館蔵)が展示されていましたし、「雲龍図」では、特別に出品された狩野探幽筆「雲龍図」(京都 本山興正寺蔵)が展示されていました。
 これは興正寺に伝来する探幽書状から、この「雲龍図」は探幽へ注文したものであることが判明しており、そういう意味では、たいへん貴重なものだと思います。
 6月30日から8月26日まで開催されていますから、興味のある方はぜひご覧ください。



☆エルミタージュ美術館展などを見てきました!
 2012年7月4〜5日、急な出張で出かけたついでに国立新美術館で開催されている「エルミタージュ美術館」や根津美術館の「中世人の花会と茶会」などを見てきました。
 どちらも開催期間が7月16日までですので、半分あきらめていたのですが、なんとか見ることができて、出張もありがたいものです。
 「エルミタージュ美術館」では、パンフレットにも使われているアンリ・マティスの「赤い部屋(赤のハーモニー)」は、圧巻でした。それと、絵画は肖像画から始まったのではないかと思わせるほど、数多く展示されていました。もちろん、エルミタージュ美術館はロマノフ王朝歴代の宮殿ですから、肖像画が多いのは当然でしょうが、ドラクロワやモネ、セザンヌ、ピカソまであり、まさに世界有数の美術館です。
 また、宗教画にもいいものがたくさんあり、寓話から題材を得た絵画もあり、まさに「美の百科事典」といわれるのも宜なるかなです。
 一方、根津美術館の「中世人の花会と茶会」の目玉は、長次郎作の「赤楽茶碗 銘 無一物」です。
 もう、これを見ただけで、大満足ですが、それ以外にも青井戸茶碗 銘 柴田、や高麗の雨漏茶碗などもあり、ついつい花会より茶会の道具を時間をかけて見てしまいました。
 ただ、残念だったことは、楽しみにしていた国宝の牧谿筆「漁村夕照図」が6月24日で展示替えになっていたことです。それでも展示室5には、牧谿の「瀟湘八景図巻」を模写したものが展示され、その全体の絵の流れがわかりました。
 また、庭園ではお茶会もあり、まさにお茶三昧の根津美術館でした。
 ここ根津美術館では、7月28日から8月26日まで、「応挙の藤花図と近世の屏風」の予定です。機会があればぜひ訪ねてみてください。



☆全国大陶器市に行ってきました!
 2012年6月11日、福島市のあづま総合運動公園の大駐車場に特設会場を設け、「全国大陶器市」(主催:全国大陶器市振興組合)が開催されていることを新聞折り込みで知り、行ってきました。
 そこで陶器を品定めしていると、隣の方が「有田や備前まで行かなくても、向こうから来てくれるんだから、楽に買い物できる・・・・・・」と話していました。
 なるほど、そういう考え方もあると、感心しました。しかも、格安で品揃えも豊富ですから、陶磁器好きには堪えられません。今でも、楽隠居できるようになったら、全国の窯場めぐりをするのが夢です。陶磁器を買うとか買わないとかいうより、窯場の独特の雰囲気が好きなんです。だから、ときどき、益子や福島の本郷などに行くのです。もちろん、気に入った小物でもあれば、もうそれだけで大満足です。
 そして、それでコーヒーを飲んだり、お茶を味わったりしながら、そのときの想い出に浸るのです。まさに至福の時です。

 その「全国大陶器市」でゆっくり過ごし、お腹が空いたので、すぐ近くの「アサヒビール園福島四季の里店」に行き、昼食にしました。
 その後、園内をゆっくり散歩しながら花々を楽しみました。その時の写真が右です。
 ツツジの刈り込みの向こうに見えるのが、その「アサヒビール園福島四季の里店」で、この右側にはバラ園やハーブ園などもあります。



☆草津温泉に行ってきました!
 2012年5月29〜31日まで、シャクナゲ愛好者の仲間たちと草津白根山と奥日光のシャクナゲやツツジを見る旅に出かけました。
 29日に草津温泉に集合することにし、山形を午前5時過ぎに出かけ、途中、那須高原の八幡ツツジ群落や栃木県足利市の栗田美術館などを見ながら行きました。草津温泉に着いたのは、午後4時ころでしたが、雨が降っていたので、有名な湯畑には翌朝早く出かけました。
 そのときの写真が右です。
 ここ草津温泉は、江戸時代の温泉番付では当時の最高位である東の大関にランクされ、まさに日本を代表する名泉の一つでもあります。そういえば、歌にもよく詠われています。
 湯質は基本的には酸性泉で、そのため下流の品木ダムには酸性中和施設があるとある本には書いてありました。そういえば、30日に登った草津白根山のところどころに、火山性ガスの注意板があり、場所によってはまわりの木々が枯れてしまっているところもありました。
 もちろん、温泉が目的ではないので、その帰り道にコンビニでお昼のおにぎりや水分補給用のお茶などを買い、ホテルで朝食を食べ、7時30分には草津白根山の中腹を目指しました。



☆三沢東部小学校の児童たちと近くの山に行きました!
 2012年5月10日、午前10時〜お昼まで、地元の三沢東部小学校の2年生と3年生、そして4年生たちといっしょに近くの山に入りました。
 いちおう、野外体験学習ということですが、三沢コミセンで毎年開催されている「春の山野草展」に児童たちも地区の一員として参加することも一つの目的です。ただ自然の中で危険なこともあり、米沢山野草会の会員にもお手伝いいただき、子どもたちのサポートをしてもらいました。
 そして、許可をいただいているところで、児童たちにも採取の体験をしてもらい、それを小野川会館のところで、鉢植えにしました。初めて植物を植える児童もいて、それでも楽しそうにして土を入れ、植物の根を広げ、また土をかけ、そして水を掛けました。一人一人、自分の植えた鉢植えにラベルを挿し、それを12〜13日に開催された三沢の山野草展に展示しました。
 その鉢植えを学校に持ち帰り、しばらく展示した後、各自家に持っていき、栽培を継続することになっています。
 そうすると、春に花咲いた植物たちも、夏には大きく育ち、秋には種類によっては種子をつけ、また来年に花を咲かせます。その自然の輪を児童たちにも体験してほしいと思っています。
 その野外体験学習が終わり、学校に戻る途中に「草木供養塔」に立ち寄り、その石塔の話しを少しだけしました。わかったかどうかはわかりませんが、その石塔が自分たちの学校の校庭にあるということだけは、わかってもらえました。
 それだけでも、よかったと思います。



☆「生命の無常と輝き」展を観ました!
 2012年4月25日の午後から出かけ、山形市内の山形美術館で「生命の無常と輝き」展を見てきました。
 目的は京都の清水寺の成就院の襖絵で、その制作過程を綴ったNHKの番組を見て、ぜひ見てみたいと思ったからです。それはたくさんの魚が泳ぐなかに立ち尽くす少女の姿で、いかにも中島潔らしい描き方です。その桁違いの魚の群れに、まずビックリしました。題名は「大漁」で、それ以外にも何点かの襖絵がありました。
 でも、率直な感想ですが、あの襖絵の中に長くは居たくないというのが印象です。たしかに、中島氏は「生命は弱く儚く無常、そして壮絶に輝く。だからこそ慈しむ眼と生きる力を持ち続けたい」と語りますが、あの少女の姿から壮絶さを感じたくはないと思いました。もっと言えば、少女は少女のままでいい、壮絶さなんて無縁の姿がいいと感じました。
 だから、襖絵よりは額縁に囲まれた小さな絵の中にある少女のほうが中島氏の絵らしいと思いました。
 あの描き方で、生命の無常を感じされるのは、やはり無理があるのではないでしょうか。むしろ、生命の輝きを前面に出した描き方のほうが好きです。絵は、好き嫌いですから、好きな絵を見ているほうがやすらぎを感じます。それでいいと思っています。
 だから、4月13日に見た国立新美術館で開催されていた「セザンヌ」展は、とてもおもしろかったです。
 絵がうまいとかいうより、その中にストーリーが感じられ、それを考えながら見ていると何時間でも見ていられます。そこに違いがあるように思いました。



☆東博「博物館でお花見を」に行ってきました!
 2012年4月13日、東京上野の東京国立博物館で開催されている「ボストン美術館 日本美術の至宝」をみることができました。
 そのついでに、本館で開催されている「博物館でお花見を」の展示を見て、さらに本館裏の庭園が春と秋の2回開放されるのですが、4月15日の日曜日までとのことで、そこも見学しました。
 あとから気づいたのですが、この「博物館でお花見を」も、その庭園開放の期間に合わせて、3月20日から4月15日まででした。まったく知らずに行ったのですが、とてもタイミング良く、東博のいろいろを十二分に楽しんできました。
 室内展示では、仁阿弥道八作の「色絵桜樹図透鉢」や伊万里の「色絵祥瑞文瓢形徳利」など、花見には付きもののような道具が並べられ、さらに狩野長信筆の「花下遊楽図屏風」(国宝)などもあり、まさに春の情緒にあふれていました。
 また、吉野の蔵王大権現の打ち出し金具も展示されていて、しばらくしてから、吉野の桜を暗示しているのだと思いました。
 あまり興味はなかったのですが、着物や刀剣などの展示もあり、まさに博物館内でお花見をしているような気分でした。
 それから、せっかくの機会なので、本館裏の庭園に出て、ちょうど満開の桜の写真を撮ったり、小堀遠州が京都伏見の六地蔵に建てたお茶室、転合庵が数奇な移転を繰り返し、今はここ東博に落ち着いているのを見学したり、今は盛りの桜を楽しみました。
 もちろん、その前に「ボストン美術館 日本美術の至宝」を見たのは、当然のことです。



☆「川西・玉庭ひなめぐり」に行ってきました!
 2012年3月24日、今年はなんとか「川西・玉庭ひなめぐり」に行くことができました。
 それでも夕方になり、すべてをまわることができませんでしたが、今年も9軒の家でおひな様を見ることができるそうです。しかも、それぞれに特徴があり、私が訪ねた玉庭山瑞光寺さんでは、古今雛を中心にさまざまなひな人形を飾っていました。一通りのひな人形の説明を聞き、飾るのも大変だが、これを管理しておくのもそれ以上にご苦労なことだと感じました。
 そして、ひな壇のわきには、地元で栽培している「啓翁桜」なども活けられ、一層華やかな雰囲気を醸し出していました。ひな祭りというと、桃の花を思い浮かべますが、こうして地元のものを使うということも大事なことです。
 おそらく、この「啓翁桜」を見た人は、この寒くて雪の多いところでもこのような桜を栽培し出荷していることを、知ることになります。また、ここでは、地元の人が描いた色紙や紙細工なども販売していました。これだって、少しはやりがいの下支えになるかもしれません。ここ玉庭は、そういう意味では、地域の人たちのコミュニケーションがうまくいっているのだと思います。
 ゆっくりと見終わったころ、お抹茶の接待があり、小松のお菓子屋「十印」製の上生とお薄を楽しんできました。おそらく、裏方には多くの方々が協力されているのだろうな、と思いながら、久しぶりに華やかなひな人形を見てきました。



☆「東洋陶磁の美」展を見てきました!
 平成24年2月20日に、世界らん展日本大賞を見ようと上京したついでに、サントリー美術館で開催されている「悠久の光彩 東洋陶磁の美」を観てきました。
 この展示のほとんどは、大阪市の市立東洋陶磁美術館コレクションで、もともとは「安宅コレクション」で、それを住友グループ21社が大阪市に寄贈したものです。
 このコレクションは、一度、宇都宮市桜公園の奥にある栃木県立美術館で開催されたときにも観ていますが、やはりいいものは何度観てもいいです。
 国宝2展もしっかり展示されていましたし、ゆっくり時間をかけて観ましたが、10年以上も前に観たときの印象がまだ頭のどこかに残っているらしく、懐かしくもありました。
 サントリー美術館は、東京ミッドタウンのなかにあり、一番便利な地下鉄は大江戸線なので、それに乗って、帰りは築地に出て、お昼を食べてから水道橋の東京ドームで開催されている世界らん展に向かいました。
 開催期間は、1月28日から4月1日までだそうですから、機会があれば、ぜひ観ていただきたいと思います。
 国宝に指定されている「飛青磁花生」と「油滴天目茶碗」をみただけでも、行ってよかったと思うはずです。



☆築地本願寺を訪れました!
 平成24年2月6日、東京築地に行く機会があり、築地本願寺にお参りしました。
 この建物を設計したのは米沢出身の伊東忠太博士で、だいぶ前に米沢市立図書館の主催で伊東忠太博士が設計された建築物を見て回ったときにも、ここ築地本願寺に来たことがあります。このときには、すでに連絡してあったようで、内部を丁寧にご案内いただき、普段は気付かないようなところも見せていただきました。
 今回も、そのときの様子が思い出されましたが、先ずはお参りだけと思い、10分ほどで出てきました。
 この建物は、昭和9年(1934)に落成したそうですが、見たとおりの外観で、寺院としてこのような設計を認めた当時の本願寺の僧侶たちもそうとう斬新な考え方ができたと思います。
 もちろん、外観だけでなく、内部の細部にいたるまで伊東忠太博士がデザインされ、しかもほとんど目立たないところにもそのアイデアが具現化されています。というより、むしろ、隠すことによって見つける楽しさがあるというような遊びの空間です。
 内部は、設計者の地元だということで、いろいろと見せていただきましたが、あかりの装飾や階段手すりの木彫の装飾など、見る人を飽きさせません。
 もし、機会があれば、本堂に入りゆっくりとお参りしてから、内部を探検してほしいと思います。



☆「三代 山田常山」展を見てきました!
 平成24年1月24日、東京丸の内の出光美術館で開催されている「三代 山田常山」人間国宝、その陶芸と心、を観てきました。
 もともと急須が好きということもあり、30年ほど前にこの方の急須は、後から欲しくてもなかなか求められなくなるとすすめられ、1つだけ手元にあります。右のパンフレットに載っているような急須ですが、もったいなくて、まだ使ってもいません。
 そのような思い出もあり、上京したついでに寄せていただきました。その少し前に根津美術館で「百椿図」を観て、その館内の休憩室でこのパンフレットを見て、すぐにそこに行くことにしました。しかも、そのパンフレットには、割引引換券も印刷されていて、1,000円の入館料が200円引きとなりました。
 三代 山田常山は大正13年に生まれ、平成17年に亡くなれていますから、今年は七回忌にあたります。そのような時に、このような立派な美術館で回顧展をしていただけるのですから、たいしたものです。
 作品をずーっと観て、急須だけでなく、様々な作品を残されていることを知りました。とくに、あの急須の繊細な造りと常滑自然釉壺の豪快な作風とが、同じ作者の手から生み出されてきたことにびっくりしました。
 1月7日から2月19日までの開催期間だそうですから、機会があれば、ぜひ観ていただきたい作品展です。



☆セネシオ・アルティクラツス(七宝樹)の写真を撮りました!
 1月9日、数年前におかしな形の植物をいただき、どのような花が咲くのか、楽しみにしていました。
 その時は名前も分からず、たまたまお参りにいらっしゃった方から「七宝樹」だと教えられました。そこで、さっそく調べてみると、和名は「一宝樹」で、学名はセネシオ・アルティクラツス(Senecio articulatus)というと書いてありました。
 形はまったくの多肉植物ですが、これでもキク科に属し、ノボロギク属の仲間だそうです。この花を見れば、なんとなくキク科だとわかります。
 キク科の特徴は、たとえばタンポポを見るとわかりますが、小さな花がたくさん集まり、さらにそれが1個の花に見えるところです。このような花の形状を頭状花序(とうじょうかじょ)といいますが、この花もそのような形をしています。
 原産地は南アフリカの乾燥地で、やはり多肉植物の一種です。この茎の形がおもしろく、太く肥大していて、それがギューッとくびれたりもします。その枝先に葉をつけます。
 やはり全体は乾燥に耐えるようにできています。だから管理はとても楽で、たまに水やりをすればいいようですし、しかも寒さにもけっこう強いようです。
 「七宝樹」というぐらいですから、木の仲間で、斑入り種もあるようです。



☆『絆 茶事』をしました!
 12月23日、毎年恒例のお茶事を今年もしましたが、名称を『絆 茶事』としました。
 本当に今年はいろいろな事があり、今も多くの方々が避難生活を余儀なくされています。まさに、こういうときこそ、人々の絆が大切で、そのようなことから、今年の漢字も『絆』が選ばれたのではないかと思います。
 お茶事で一番大切なものは床の間の掛軸ですが、今回は私たちのしゃくなげ会のために書いていただいた「君子交淡若水」という字句で、南宗寺の吹毛老師が揮毫されました。
 南宗寺(なんしゅうじ)といえば、大阪府堺市にある臨済宗大徳寺派に属するお寺で、ご開山は大林宗套です。しかも、茶人の武野紹鴎や千利休も修行をした寺で、あの沢庵宗彭も住職を務めたこともあり、由緒のある寺院です。
 そこの老師に揮毫していただいたわけですから、とても貴重なものです。
 字句の意味は、そのままで「君子(くんし)の交(まじ)わりは淡(あわ)きこと水(みず)の如(ごと)し」です。
 出典は『荘子』で、この字句を選んだのは、おそらく、しゃくなげ会の面々も常に濃密なお付き合いよりも、年に数回でもこのようなお茶事を通してつながっていることが大切ですよ、と教えてくれているような気がします。そのほうが長続きしますし、良い人間関係が築けそうです。
 やはり、それがほんとうの『絆』につながるかもしれません。



☆東京広尾のJICA「地球ひろば」に行ってきました!
 11月25日、せっかく東京へ出てきたので、以前から伝え聞いていた東京広尾のJICA「地球ひろば」で開催されていた「ブータン展」と「写真展」を見てきました。
 右の写真は、写真展の会場です。
 とくに、先日帰国されたばかりのブータン国王ご夫妻の日本訪問で、まさに急速にブータンに関心が集まり、おそらくテレビ等の報道で、あの合掌する笑顔のお姿に笑みを浮かべた方もおられるでしょう。もちろん、私もその一人です。
 国王はいち早く今回の大震災で多くの被害にあわれた方々のご供養と多額の義援金を寄せられ、今回の国賓としてのご訪問では、東日本大震災や原発事故の影響でたいへんな思いをされている福島県の相馬市の桜丘小学校を訪問され、その後で相馬港を訪れ、今回の東日本大震災で亡くなられた方々の慰霊の祈りを捧げられました。
 桜丘小学校では、「龍は私たちみんなの心に居て、『経験』を食べて成長します。だから私たちは日増しに強くなるのです」と話し、子どもたちを勇気づけたといいます。
 そういえば、ブータンの人たちは自分たちの国の名を「ドルック・ユル」、つまり「雷龍の国」と呼んでいます。
 私も25年前にブータンを訪ねたときの記念に、木彫りの龍の入ったマニ車をもとめ、今も飾っています。まさに龍はブータンのシンボルでもあります。この右の写真にある国旗にもそれが描かれています。
 訪ねたときの説明では、以前からこの国旗に似たものはあったそうですが、現在の形になったのは、1960年だそうです。黄色の部分は世俗を表し、朱色は仏教を表し、雷龍がその中央にいます。爪に捕まれた丸い石は富を象徴している、のだそうです。
 来年は、龍、すなわち辰年です。
 あのブータンの人たちの笑顔、それは日本人が忘れてしまったおおらかな笑顔です。いや、もうすでに失ってしまったのかもしれません。だからこそ、国王ご夫妻の笑顔に癒やしの心を思ったのかもしれません。ぜひ、そのような笑顔で暮らしたいと願っています。



☆『法然と親鸞』を観てきました!
 11月24日、東京出張の折り、東京博物館で開催されている『法然と親鸞』を観てきました。開催期間は10月25日から12月4日までですが、途中で展示品の替えもあるそうです。
 これは法然上人八百年回忌と親鸞聖人七百五十年回忌に当たる特別展で、ゆかりの名宝が800年ぶりの再開を果たしたとパンフレットには書かれてありました。たしかに、これほどの名宝を間近で観ることができて、とても感激しました。宗派が違うとか宗旨が違うとかいう問題ではなく、鎌倉の末法の世にすべての人々を救いたいと願った法然と親鸞に会えると思えば、それだけで満足です。たとえば、直筆の「西方指南抄」などは、国宝ですし、直接に三重県の専修寺を訪ねたとてみせてもらえるものではありません。
 このような特別展だからこそ、たった一ヶ所で、いろいろな名宝に出逢えるわけです。これは、とても貴重な出会いです。
 もし、まだなら、ぜひご覧になることをお勧めいたします。たしかに混雑はしていましたが、それだけ関心の高さの表れでもあります。
 私は、NHKの「日曜美術館」を見て、なんとか観たいと思い、その強い思いが東京出張に結びついたのかもしれません。



☆参道のイチョウ並木がきれいです!

 この右の参道のイチョウ並木は、11月7日に撮りました。とてもきれいで、参拝者の方々も、この葉を拾われていたようです。
 このイチョウの木は、福島県郡山の篤信者からご献木いただいたもので、もう、30年ほどになります。そのときには、もしかするとギンナンのなる木もあるかもしれないということでしたが、今では4本の木にいっぱいのギンナンがなります。これを心待ちにしていらっしゃる方もいるそうです。
 イチョウはもともとは中国原産で、現在では世界各地に植栽されています。そして、長寿なので日本各地に巨木も存在し、たとえば、環境省の調査における最も太い株は、青森県深浦町にある「北金ヶ沢のイチョウ」だそうで、幹周は22mを越えるそうです。
 そういえば、中国でも仏教寺院などに盛んに植えられていますが、そのような縁もあってか、日本でもイチョウは寺社仏閣に多く植えられています。
 有名なところでは、昨年2010年の3月10日に倒れた鶴岡八幡宮の大イチョウですが、樹齢1,000年以上といわれ、高さ約30メートル、周囲6.8メートルで、鎌倉幕府三代将軍の源実朝を暗殺した公暁(くぎょう)がこの木の陰に隠れたという言い伝えから「隠れ銀杏(いちょう)」とも呼ばれていました。でも、不幸中の幸いで、倒れた時間が午前4時40分ということで、境内は開門前で参拝者はおらず人的被害はなかったそうです。
 現在では、その株から新たな芽を蘇生させたりしているそうですが、あのような巨木になるのには相当な年月が必要でしょう。



☆奥日光に行ってきました!

 10月27日に東京に車で出かけたついでに、奥日光にまわりました。自宅を午前4時半に出発し、奥日光の赤沼駐車場に着いたのが8時20分、なんとか駐車場に駐めることができ、そこから低公害バスに乗り換え、小田代ヶ原まで行きました。
 実は、あるテレビのニュースで、あの大きな被害をもたらした台風12号の影響で奥日光広域で大雨が続いたため、地元では「小田代湖」ともいう湖ができたということを知ったのです。
 数年前にここを訪ねたときには、一面の草原で、まさかそこが湖になるとは信じられなかったのですが、調べてみると2007年にも今年よりは小さかったそうですが、湖になったそうです。
 これはやはり、実際に見てみなくてはと思い、ついでにまわってみました。そのときの写真を下に掲載したので、ぜひ見てみてください。
 その小田代ヶ原からの帰りは、戦場ヶ原を経由して歩いて赤沼駐車場まで戻りました。そして、中禅寺湖などを見て、それから東北自動車道に入り、東京へと向かいました。


小田代ヶ原の看板

小田代ヶ原

戦場ヶ原



☆下北半島の恐山に行ってきました!

 9月25日、壱太郎の太鼓コンサートが終わるとすぐに、昨年、庄内三十三観音札所巡りをした仲間たちといっしょに下北半島の恐山にお詣りに行ってきました。
 夜中に東北自動車道を走ったので、予定より少し早めに着きそうで、途中の折爪サービスエリアで車中仮眠し、下田百石インターチェンジを午前5時30分過ぎに通過しました。そして、途中で朝食を食べ、恐山に着いたのは午前8時30分でした。
 ここに何度かお詣りしていたる方がおられ、先ずは「不老水」を飲んでからお詣りしようということになり、それから総門前の駐車場に車を駐めました。先にその左手がわの六地蔵にお詣りし、それから総門をくぐり、山門をくぐり、そして地蔵殿で法楽を捧げお詣りをしました。
 お詣りをして、その左側から宇曽利湖へと向かいました。途中には慈覚大師堂や八角円堂があり、その先に宇曽利湖がありました。ここの水は生暖かいということで、何人かは裸足で入りましたが、以前とは違い冷たかったということでした。そういえば、途中の噴出口もなんとなく勢いがありませんでした。
 でも、宇曽利湖と向かいの山々の風景は、ほとんど変わっていないのではないかと思いました。人も変わる、その人が管理するお堂も変わる、あるいは自然災害で自然も変わるかもしれない、でも、ほとんど変わらないものもあるはずだと思いながら、宇曽利湖のほとりにしばらく立っていました。
 ここで、しっかりと目に焼き付ければ、もしまた来るときがあれば、その変わったところを見つけられるかもしれないと思いながら・・・・・・。
 そして、ぐるっとまわって、古滝の湯は熱いと聞き、薬師の湯に入って、午前10時に車に戻り、仏ヶ浦に向かいました。
 下に6枚ほど写真を載せましたので、見てみてください。



恐山地蔵殿

宇曾利湖

恐山の風景

三途川

八角円堂

古滝の湯



☆壱太郎の太鼓コンサートがありました!

 2011年9月25日午後5時から、大神殿で壱太郎の太鼓コンサートがありました。右の写真はそのときのものです。
 今回は「壱太郎コンサート2011 in 米沢」と銘打ち、東日本大震災の被災者や避難者をご招待し、急な企画ながら多くの方々がその太鼓の響きに感動されました。
 壱太郎は、三重県桑名市の出身で、1990年に鬼太鼓座に入座され、創始者である故・田耕(でん・たがやす)氏に師事し、2004年に鬼太鼓座より独立し、ソロ活動をされているそうです。
 その演奏はとても雄壮で、迫力があり、被災された方々にも大きな勇気を授けられたのではないかと思います。
 現在では、三味線や尺八、笛などの和楽器にとどまらず、他のジャンルのセッションなどをプロデュースし、作曲や演奏もこなされているそうで、これからの活躍が期待されるアーティストです。
 あの、大きな太鼓を打ち続けた姿が、今でもまぶたに焼き付いています。
 もし、また、このような機会があれば、ぜひ多くの方々に聴いて欲しいと思いました。



☆「田んぼアート」の稲刈りです!

 10月10日(日曜日)、小野川温泉近くの「田んぼアート」の会場で、米沢市立三沢東部小学校の児童など、多くの方々が参加され、稲刈りが行われました。
 午前9時30分に三沢コミセンに集合し、「田んぼアート」の会場に移動し、いろいろな作業手順などの説明を受けたのち、実際に刈り取りが行われました。前日までの雨で田んぼがぬかるみ、小学生たちは四苦八苦されていましたが、顔には収穫の喜びがあふれていました。
 天気予報では、この日は雨降りの予想でしたが、それに反して、素晴らしい青空で、絶好の稲刈り日和でした。米沢市長さんも展望台から見ておられ、多くのカメラマンもあちらこちらから撮りまくっていました。
 私も、この日で今年の田んぼアートの見納めです。青空をバックに何枚も何枚も撮りました。その何枚かを下に掲載しますので、見てみてください。


青空のもとで

管理をされた情野貞一さん

みんなでやると早いなあ!



☆ナラ枯れ防除をしていただきました!

 9月21日から、小町山のナラ枯れ防除をボランティアの方々に、していただいております。
 ボランティアの方々は、長年ご参拝を続けられている方を中心にして、東根市や山形市、さらには遠く戸沢村などからも参加されています。この防除作業は、「ウッドキングSP」というナラ枯れ枯仮予防殺菌剤を樹幹に注入し、ナラ枯れを未然に防ぐものです。具体的には、1本1本の樹の幹元にドリルで穴を開け、そこにアンプルを差し込み、樹が水を吸い上げる力を利用して樹全体に殺菌剤を注入します。
 ですから、その作業はとても大変で、21日にアンプルを差し込み、26日にそのアンプルを回収し、それにまた薬剤を入れ込み、29日にそのアンプルを小町山に運び上げ、30日に樹にドリルで穴を開け注入しました。そして、そのアンプルを10月5日にまた回収する予定だそうです。つまり、遠くから5度も通わなければならず、さらに作業をするわけですから、もう「感謝」以外の言葉はありません。
 下にそのときの写真を掲載させていただきます。


草木塔の前で

ナラ枯れ防除作業

防除作業終了した樹



☆おいたま草木塔の会の方々!

 2010年9月7日朝に、おいたま草木塔の会の方々が小町山自然遊歩道を歩かれ、草木塔に参拝されました。
 当山で祀られている草木塔は、「弘化二巳年」と年号が刻まれており、1845年に建立されたことがわかります。これは江戸時代で、歴史書を見ると、天保の改革を強く推し進めた水野忠邦が、あまりに過激な改革だったため多くの庶民の怨みを買い失脚し、老中を辞職したと書かれてありました。
 この草木塔は、もともと羽黒堂に祀られていたのですが、この地区に2戸だけ残っていたのが移転することになり、当山で祀るようになったのです。
 羽黒堂では、地面に直接安置されていたのですが、そのままではと思い、少しずつ烏川石を運び、されを台座として組み、その上に安置しました。それが、現在の草木塔で、右のその写真です。
 この草木塔の前で話しをした後、甲子大黒天本山で朝茶を飲みながら、さらに多くの話しをさせていただきました。
 もし、草木塔などについてお話しを希望でしたら、ご案内いたしますので、寺務所までご連絡ください。



☆上棟式を厳修しました!

 8月20日午後4時30分から、当山にて上棟式を厳修しました。
 当日は、真っ青な青空のもと、棟梁さんと大工さんたちが「上棟の儀」や「槌打の儀」、「散餅銭の儀(餅や銭貨をまく)」などを行い、多くの人たちと喜びを共にしました。
 また、当地区では、古来より「処は高砂の尾上の松も・・・・・・」と謡い三題も儀式の一つで、ほとんど祝い事には付きものです。
 そして、近くの子どもたちも集まり、屋根に上った棟梁さんや大工さんたちが餅や五円玉(水引をつける)、大根を切ったものをまきました。ある旅館に泊まった方も餅拾いにいらっしゃったようで、その餅を旅館で食べたということでした。
 それらの儀式が終わると、棟梁さんや大工さん、さらには近くの方々などが集まり祝宴を催しました。もちろん、できたばかりの建物のなかで、暗くなっても大丈夫なように電灯なども準備してありました。
 下に3枚ほど写真を載せますので、参考にしてみてください。


上棟式

槌打の儀

お謡い



☆西蔵王高原に行きました!

 2010年8月4日に、米沢山野草会の一日研修旅行で西蔵王高原に行ってきました。右の写真はそのときのものです。
 午前8時30分に小野川を出発し、西蔵王高原の「花庭」に着いたのがちょうど10時、開園の時間ぴったりでした。すぐに見学をさせていただきましたが、夏の草花がたくさん咲いていました。とくに入り口近くの大きなアジサイの株の花色が濃くてきれいでした。
 そこからホンの少し離れた「山形市野草園」には午前11時前に着き、さっそく園内を散策しました。先ず目に入ったのが、ひょうたん池のコウホネです。この池の縁を歩くと、今度はオゼコウホネを見つけ、夢中で写真を撮りました。クリンソウの谷を抜け、ロックガーデンや薬草コーナーを見て、自然学習センターで一休みしました。
 右の写真はその内部の様子で、蔵王の自然や木々の説明、園内の植物分布なども詳しく解説してありました。その他に、園内の四季折々の様子を紹介するビデオ放映もありました。
 さらに、ちょうど昼時ということもあり、中に入っている蕎麦屋さんが手打ちをはじめたので、その蕎麦粉のことを聞くと白鷹産ということで、食べてみたくなりました。県内産でしかも打ち立て、それに安いということで、一にも二にもなく、みんなが賛成してくれました。
 その打ち立ての蕎麦を食べ、西蔵王高原を下り、それからシベールで三時のおやつを食べ、帰宅しました。
 年1回の恒例行事ですが、いちおう、一日保険には加入していきましたが、何事もなく帰宅できるのが一番です。



☆蔵王ペンション村にまわってきました!

 2010年7月13日に、知り合いの伊賀焼陶芸家の個展を見てから、その帰りに蔵王ペンション村のオープンガーデンを見てきました。
 あいにくの小雨でしたが、水滴のかかった山野草たちは生き生きとしていて、むしろきれいに見えました。この右の写真は、そのときに撮ったもので、「キョウカノコ」です。
 この花はバラ科で、シモツケソウによく似ていますが、花色も濃く、どちらかというとより繊細な感じがします。名の由来は、花の姿が京鹿の子絞りの紋様に似ているからとのことですが、着物の柄をあまり知らない方にとってはあまり馴染みのないものではないかと思います。
 でも、この粟粒のような小さな蕾がとてもかわいくて、何枚も写真を撮ってしまいました。
 この蔵王ペンション村のオープンガーデンは、日にちが決まっていて、いつでも開放されているわけではありません。もし、行くのであれば、必ず確認してください。
 あくまでも、ペンションのオーナーたちが丹精こめて育てている草花ですから、勝手に入り込んで見ることだけはやめていただきたいものです。



☆どんでん平 ゆり園に行ってきました!

 2010年7月13日に、飯豊の「どんでん平 ゆり園」に行ってきました。
 右の写真は、そのときに撮ったものです。
 この日は、知り合いの伊賀焼陶芸家の個展を見るために山形市に行く途中にまわったもので、開園当初に行ったきりで、これが2回目です。
 それから数十年がたちましたが、すごくきれいに整備され、見違えるようでした。今年の開園は、6月5日から7月下旬までだそうで、開園時間は午前9時から午後5時までで、入園料は大人1人600円でした。
 パンフレットによれば、東日本最大級のゆり園だそうで、150品種50万本のゆりが植えられているとか。見た範囲では、ほとんどが園芸種のようで、時期を選べば野生種もあるかもしれません。
 飯豊町がゆりの花を町花に制定して今年で33年で、この有料期間を過ぎると、無料になるそうです。おそらく、無料になればゆりはほとんど咲いていないでしょうが、散歩コースにはいいと思います。また、園内にはラベンダーなども植えられ、花壇も整備されていますから、それなりに楽しめそうです。



☆田んぼアート、今年は「花の慶次」です!

 2010年5月30日の日曜日に、近くの「田んぼアート」の田植えが多くの方々の参加をいただき、無事終了いたしました。
 今年の図柄は、漫画「花の慶次」(作・原哲夫、原作・隆慶一郎)の前田慶次です。そういえば、この前田慶次は、昨年NHKで放映された『天地人』の直江兼続とはとても親しい仲であり、その晩年を米沢で過ごしたといわれています。この前田慶次には奇行の数々が伝えられていますが、ただ人の奇をてらうだけではなかったようです。
 米沢市内の堂森に伝えられている話しですが、太郎兵衛と称する肝煎(きもいり)がいたそうです。その太郎兵衛の新築祝いにやってきた前田慶次が、一丁の斧を持ってくるように言ったので、斧をもってくると、その斧で、新築したばかりの床柱に切りつけたそうです。もちろん、太郎兵衛は怒り出しますが、そのとき、慶次は、
 「さて主人太郎兵衛よ、又一座の人たちもよく心を静めてわしの云うことを聞くがよい、すべて世の中のことは満つれば欠けると云う事が間違いのない法則である。この家の主人も近頃大分貯め込んで家を新築したことはまことに目出度い事に相違ないが、扨て人間と云う者はその処が肝腎、何より大切のところである。これで沢山だと安心した時は既に頂点でそれから後は運が傾く一方思いもかけない災難が後から後から降りかかって来る、そしてアッとい間に身代がつぶれ一家滅亡となるのだ。太郎兵衛よ能くここの道理を考えよ、決して有頂天になるな、いまこの傷ついた床柱を朝晩眺めてわしの言葉を思い出すがよい、それこそ無病息災お家繁昌の基いである」
 とみんなに話したそうです。
 新宅祝いに集まった人たちは、それを聞き、なるほどと思い、太郎兵衛の家もその言われを伝えたからかどうかはわかりませんが、代々続いたそうです。

 この田んぼアートは、今年で5年目ですが、緑の苗は「はえぬき」で、黄・紫の2色の古代米を使って描いています。田んぼは37アールほどで、これから更に絵柄がくっきりと出て、秋の稲刈りまで楽しめます。
 右上の写真は6月25日に撮ったものです。機会があれば、ぜひ来て見てください。



☆草木供養塔について!

 6月7日、入田沢の洞松院に用があり行く途中に、草木供養塔にまわってお参りをしました。その時の撮った写真が右です。
 場所は米沢市口田沢上中原で、建立は慶應元年7月20日(1865年)です。建立者は「三田沢講中」とあり、現在も毎年供養祭をしているそうです。
 そもそも、名君の誉れ高い上杉鷹山公の時代である安永9年(1780年)4月、米沢城下が大火にあい、その復興のため近くの山から大量の木材を切り出したので、山林の枯渇や荒廃が心配されました。そこで、草木の成仏と成長を願い、村人らの手で「草木供養塔」を建てたのが最初で、その後上杉領内に広がったといいます。これは当地の先祖の草木に対する感謝と畏れの気持ちのあらわれであり、生活の糧である草木の成長と成仏とを願う素朴で尊い石塔であります。正に、これを契機に山林伐採後はすぐに植林し、また官府に御留山と認めてもらい保護するなど、百年の大計で山林草木の保護育成と山村の生活とを両立させたのです。そして、自分たちが受け継いだ緑豊かな大地を、そのまま後世の子孫にも譲り伝えようとしたのです。
 つまり、草木にも生命があり、その生命をいただいて私たち人間が生かされているということを経験的に知っていたからこそ建立したのではないかと思います。ですから、これらの石塔を大事に守っていくことも大切ですが、むしろその石塔を建立した当時の心こそ大事に守り伝えていかなければならないことなのでしょう。
 もし、機会があって、こちらを通るときには、国道121号線沿いですから、ぜひお回りください。



☆長井市「白つつじ公園」に行ってきました

 5月下旬は肌寒い気温が続き、とくに野菜などには大きな影響を与えているようです。
 そういえば、長井の「白つつじ公園」のツツジも、2004年5月19日に行ったときにはちょうど満開でした。それから6年ほどたつので今年こそと思っていたのですが、なかなか満開にならないとのことでした。
 そこで、5月29日に行ってきましたが、日当たりの良いところは満開を少し過ぎていましたが、場所によってはちょうど見頃でした。何枚も写真を撮ってきましたが、1枚だけ、ここに掲載いたします。
 花のイベントは、このような気候の変動が激しいときには、なかなか大変です。いつ満開を迎えるのか、なかなか予想ができません。しかも、満開になると、今年の桜のように、あっという間に散ってしまいます。
 植物にとっても、人間とっても、なかなか生きにくい時代になったのかもしれません。



☆今年の桜は一気に散ってしまいました!

 5月1日、南陽市の烏帽子山公園と米沢市内の松が岬公園の桜を見に行ってきました。
 東京や大阪の桜は、開花してから低温続きだったこともあり、ズーッと花を見ることができたそうです。でも、桜はパーッと咲いて、サーッと散るから桜なのに、とぼやく方もいたそうです。
 ところが、こちらの桜は、低温続きでなかなか開花せず、5月1日に一気に満開になり、5月5日のこどもの日に松が岬公園にふたたび桜を見に行ったときには、もう葉桜で、お堀の水面にたくさんの花びらが浮かび、華麗な模様を描いていました。
 たしかに、桜の場合は、いつまでも花が咲いたままでは風情もありませんが、サーッと散ってしまうのもさびしいものです。少しは、花見をする余裕が欲しいと思いました。せめて、桜の木の下で、花を見上げながら、団子だけでも食べたかったです。


烏帽子山公園の花咲爺さん

松が岬公園の夜桜

松が岬公園お堀の花びら(5月5日)



☆福島の花見山公園に行ってきました!

 4月10日、福島の方からそろそろ咲いてきたよとの連絡を受け、花見山公園に行ってきました。その方からいただいた「花見山まるごとブック」によれば、園主の安部一郎(90才)さんは「大きい流れの中においては、あまり変わりないと思います。見頃は4月9日から11日くらい。サクラに桃の花が加ったときがピークです。まさに百花繚乱という感じを受けます」と見頃を語っています。
 ということは、この日はその中心日、天気も良く、途中で花見ダンゴとお弁当を買い、あぶくま親水公園のマイカー臨時駐車場に車を停め、そこからシャトルバスに乗り換え花見山に向かいました。約10分ほどで到着し、花見山公園入り口まで800mほど歩きながら家々に植えられている花々などを眺めました。すぐ前の花見山はすべてが花色に染まり、気持ちが高ぶります。何回も来ていますが、このときの気持ちは同じです。
 すぐに花見山に登り初め、写真を撮りながら進みます。昨年よりは進入禁止が増え、それだけ人の足で踏まれると植物にはダメージがあるんだろうなと思いました。それでも、このようにたくさんの人たちを仕事用の敷地内に入れることはたいへんなことです。おそらく、この時期は朝早くから夕方まで、自分の家でありながら自分の家でないようなものです。まるごとブックには、「皆さんに喜んでもらえることが私たちの喜びなので、ぜひ、お出かけください」と最後に話されていますが、園主とその後継者とお孫さんが写真に写っていました。
 もし、機会があれば、出かけてみてください。そのときの写真を下に載せました。


花見山に向かう

花見山を望む

花見山から吾妻山を見る



☆「木田安彦の世界」を見てきました!

 2月15日に東京ドームで開かれていた世界ラン展日本大賞2010を見に行くついでに、翌16日に東京汐留のパナソニック電工汐留ミュージアムで開催されている『木田安彦の世界』を見てきました。
 ここの美術館は始めて行ったのですが、パナソニック電工ビルの4階にあり、JR新橋駅から地下街をゆっくり歩いて10分ほどです。あまり知られていないためか、ほとんど人もいなくて、ゆっくり見ることができました。今回の中心テーマは木版画「西国三十三所」で、5年の歳月を費やした渾身の作品だそうで、その版木そのものも展示され、制作過程がわかるようになっています。これらすべてが完成したのは2009年春だそうで、36点ありました。
 それら1点1点を見ながら、自分が西国三十三所を歩いたときの思い出とを重ね合わせました。すると、もう忘れてしまったかのようなものまで、鮮やかに思い出され、また、巡礼しているかのような不思議な錯覚に陥りました。まさに芸術の力です。木田さんの作品は書評でも、「ヒューマニズム溢れる視点で捉え、繊細かつ大胆な独特の構図によって生み出される力強い作品」と表されており、まったくその通りだと感じました。まさに荒さと繊細さが同居しているかのような作品でした。
 その会場に、平成22年5月31日まで西国三十三所のご開帳がおこなわれるというパンフレットがありました。この西国三十三所の特別ご開帳は、平成21年9月1日から平成22年5月31日までおこなわれており、結願法要は平成22年5月31日(月)に西国第8番札所の奈良県長谷寺でおこなわれるそうです。ただし、この期間中でも、ご開帳の日程は各寺院で違うようなので、確認してからお参りしたほうがいいようです。



☆坂東三十三観音札所巡り Part.35

 金精峠を越え、湯ノ湖で少し休憩をし、中禅寺湖畔の第18番札所日光山中禅寺に着いたのは午後2時でした。ほぼ、予定通りの時間です。
 山門前の駐車場に車を駐め、拝観料500円を払い山門をくぐりました。ここ坂東三十三観音札所のなかでお詣りするのに拝観料を出すのは珍しいこともあり、運転手さんもびっくりしていました。
 ここは天台宗に属し、輪王寺の別院になっていますが、784年に勝道上人によって創建されたといいます。観音さまは、勝道上人みずから桂の立木に彫られたということで、別名「立木観音」とも呼ばれています。
 昔は女人禁制だったようで、いろは坂の途中にあった女人堂で遙拝していたそうです。しかし、明治の神仏分離令によって大きく様変わりし、さらに明治35年の山津波により観音堂が湖畔に押し流されましたが、ご本尊さまは少しの損傷もなく、現在では歌ヶ浜観音堂に奉安されているそうです。
 まずは大悲閣でお詣りし、そこの廊下伝いに五大堂へと上がり、そこでもお不動さまのご真言を唱えました。ここで、坂東三十三観音札所をすべて巡拝したことになります。そして、五大堂の回廊に出てそこから男体山や中禅寺湖を見ると、達成感からなのかある種の充実した想いが胸に迫ってきました。たしかに4年もかかりましたが、いま思えばあっという間でした。
 考えてみれば、これからの1年を思えば、ずーっと先のことのようにしか感じません。しかし、それが過ぎてしまうと、ほんとうにあっという間です。これをほぼ80年ほど繰り替えと一生が終わります。まさにあっという間の人生です。
 今回の巡拝では、目標を達成する一番の近道は焦ることなく、一歩一歩進むことだと知りました。将来に対する不安が消えるわけでもありませんが、その一番の近道を歩いているという気持ちがその不安を楽にしてくれるようです。まずは行動を起こさなければ何事もはじまりませんし、途中であきらめてしまっては、さらに不安だけが増幅していきます。
 もう一度大悲閣の前に出て、みんなで満願の記念写真を撮りました。
 ここ中禅寺を出発したのは午後2時37分です。そこからいろは坂を下り、日光市内の「綿半本店」で水羊羹を買いましたが、「ひしや」の前を通ったら、まだ売り切れの札が下がっていませんでした。もしかすると、と思い聞いてみると、まだあるとのことでそれを買い求めました。1本1,500円でした。
 もう3時を過ぎていましたが、昼食を食べることにし、元祖湯葉寿司の「寿司秀」に入りました。ちらし寿司の上に生湯葉ものって美味しくいただきました。ここを4時15分に出て、途中安達太良サービスエリアで休憩しただけで、まっすぐ米沢の普門寺さんへと車を走らせました。
 普門寺到着が午後7時10分、自宅到着が7時40分でした。
 それぞれの想いで続けた坂東三十三観音札所巡りが、終わりました。

 第18番札所  日光山中禅寺 (天台宗) 本尊さま 十一面千手観音菩薩
 ご詠歌 中禅寺 のぼりて拝む みずうみの うたの浜路に たつは白波



☆2月3日は節分です。

 2月3日は節分で豆まきをします。そういえば、「福は内、鬼は外」の鬼は牛のような角があり、虎皮のパンツをはいています。
なぜかというと、鬼は鬼門から入ってくると言われているのですが、その鬼門とは東北の方角です。東北の方角は丑寅ですから、つまり牛のような角と寅のようなものを身につけているのです。
 ではなぜ節分に豆をまくのかといえば、もともと日本では昔から穀物や果実には邪気を払うという考え方があり、だから豆をまくことによって豆の霊力によって鬼などの邪気を払うということです。もちろん、豆は炒って使うのですが、炒るということは火を使うので、金棒を持っている鬼よりも強いのです。つまり、火は金属をも溶かしてしまうので鬼にとっては怖い存在ということになり、払えるということです。
 でも、当山では節分のときには「福は内、鬼も内」と言いながら豆をまきます。というのは、鬼だって好きで鬼になっているわけではないだろうし、「鬼の目にも涙」という言葉があるぐらいですから、少しは鬼を大事にするところがあってもいいのではないかと思っています。鬼だと決めつけるから鬼のままでいるしかないわけで、鬼だって大事にされれば福の神になるかもしれません。



☆吾妻の白ザルが出没しました

 この吾妻の白ザルは、昨年生まれた小ザルですが、近くに出没したのは1月8日と9日で、8日にはテレビ局が撮影に来ていました。それが夕方に初めてテレビカメラで撮影されたと紹介されたこともあり、翌9日には多くのカメラマンが集まってきたようです。
 この写真は、11日に撮ったもので、望遠系のレンズで狙いました。この日は見に来る人も少なく、すぐ近くでじっくりと観察できました。その小ザルと母ザルを見てびっくりしたのですが、20数年前に同じように白ザルを撮ったことがあり、その顔がとてもよく似ているのです。
 そこで、そのときに撮った写真を引っ張り出し見比べて見ると、やはりそうでした。この吾妻の白ザルは、明治時代の新聞にも取りあげられており、相当昔からその存在が知られています。私が写真を撮るようになってからでも、何匹も白ザルが生まれています。しかも、隔世遺伝ではないかと思われていますから、その顔つきが似ているのも頷けることです。
 この群れは、この小野川温泉付近にいますので、機会があれば訪ねてきてみてください。ただ、白ザルはとても警戒心が強く、ちょっとしたことでも逃げてしまいますので、静かに遠くから見守っていてあげてください。



☆Xmas茶事をしました

 12月23日、恒例の「Xmas茶事」をしました。今回は私達が担当なので、思いっきり道具組に趣向を凝らし、亭主たちも楽しむことにしました。
 お集まりいただいた時間が午後4時ということもあり、先に炭手前をし、次に濃茶、薄茶の順にし、席を改め懐石にしました。すると、ちょうど夕食の時間になります。そして、最後にまたお薄を飲めるようにして、終わったのが午後8時30分ころでした。
 右の写真は、その濃茶のお点前で、これが一番厳粛なときです。まあ、言ってみれば、この濃茶の一杯のためにお茶事をするようなものです。しかし、これがなかなか難しく、濃茶を100ぺん点てても同じようにはできません。
 利休居士は、「とにかくに 服の加減を 覚ゆるは 濃茶たびたび 点てて能くしれ」と言ったそうですが、まったくその通りです。「茶の湯とは ただ湯をわかし 茶をたてて 飲むばかりなる ことと知るべし」とはいうものの、やはりそれなりに難しいものです。
 これらの道歌は利休100首として知られているのですが、もう1首ここに紹介しますと、「稽古とは 一より習い 十を知り 十よりかえる もとのその一」だそうです。
 やはり、お茶って、奥が深いものです。
 


☆日光植物園に行きました!

 8月17〜18日と栃木県の日光に行ってきました。ここには、通称「日光植物園」(正式には東京大学大学院理学系研究科附属植物園日光分園)があり、そこでの植物観察が目的です。この左の写真は、翌18日に半月山展望台から撮った男体山と中禅寺湖です。
 まず、17日に東武日光駅で仲間と待ち合わせ、昼食を食べてから植物園に行きました。夕方まで植物観察をし、それから、宿泊する中禅寺湖畔にある日光レークサイドホテルに行きました。このホテルは明治27年に創業したという由緒あるホテルで、平成14年には日光湯元温泉の源泉を引いた「湖畔の湯」もあります。だいぶ前のことですが、1度だけここに泊まったことがあります。
 まだ夕食には早いということで、竜頭の瀧に行き、その周辺を散策してきました。食事はフランス料理で、ゆっくりといただき、植物の話しも次々と話題に上り、楽しいひとときを過ごしました。そして、食後は、パソコンで植物写真を見せていただき、瞬く間に深夜12時となり、お開きになりました。
 翌日は午前8時に朝食を食べ、9時にホテルを出発し、半月山展望台に行き、それから戦場ヶ原から湯の湖、そして光徳牧場でおきまりのソフトクリームを食べました。そして、いろは坂を下り、また日光植物園で友人と待ち合わせ、それから割烹の「高井屋」で昼食にしました。
 ここの湯葉料理は絶品で、湯葉だけにこだわらないところもよく、いかにも日本料理という感じの品数でした。


☆福島県立博物館に行きました!

 8月7日(金曜日)に、会津若松市にある福島県立博物館に行く機会があり、ゆっくりと観てきました。
 ちょうど、第2回「うつくしま自然展」をしており、植物や昆虫の標本、そして米沢の故清水大典氏の冬虫夏草の展示などがありました。さらに福島県内の植物の写真やレッドデータに掲載されている希少種などの詳しい説明文もあり、とても興味深いものでした。
 特に、植物の古い化石が多く展示されていて、一点一点をよく観ました。そして、こんなにも古くからこの地球には植物が繁茂し、ずーっと後から人間が誕生しそれらを利用するようになったことなどを想像しながら観賞しました。この他にも、ブナやコナラ、ブドウ、ニレバケヤキ、ムカシウダイカンバ、オウシュウイヌスギなどの化石もありました。ちなみに、このオニグルミの化石は、第四紀更新世前期のもので、下郷町刈合の豊成林道で見つけたそうです。おそらくブルやユンボなどで林道をつくるときに発見したのでしょうが、初めてこの化石を見つけた人は、まさか、こんなにもはっきりと葉の姿が残されているのにビックリしたことでしょう。
 この福島県立博物館はとても大きな施設で、メインは原始から古代、そして中世から近世、そして近・現代と時代を追いながら自分たち人間の歩みがわかるようにいろいろなものが展示されています。そして、昔の人たちの仕事やそこで使われた道具などもあり、何時間でも楽しめます。もし機会があればぜひ観ていただきたい施設です。


☆「道教の美術」や「ゴーギャン展」を見てきました!

 7月15日に東京へ行く用事があり、ついでに1泊し、翌16日に三井記念美術館で開催されている「道教の美術」や東京国立近代美術館の「ゴーギャン展」などを見てきました。
 とくにこの「道教の美術」は、おそらく日本で初めての展覧会のようで、「知られざるタオの世界」という副題がつけられていました。タオとは道のことで、道教は道を説く教えということで名付けられたようです。
 とくに印象的だったのは、国宝の「宋版 史記」の「老子伝」を見たことで、これが現存する最古の史記だそうです。それにしても、なんと書き込みの多いことかとビックリしました。おそらくは、持ち主が書き込んだもので、その向学心はすごいものです。これは国立歴史民俗博物館に所蔵されているそうで、その他の部分も見てみたいと思いました。
 もう一つは、「宿曜経」の流れがわかったことです。もともとヘレニズム起源の占星術がインドへと伝わり、3世紀ごろに仏教を通じて中国語に翻訳され、唐の時代に善無畏の弟子の一行が天文関係の本を著し、764年にその弟子である不空が「宿曜経」を翻訳し、さらに恵果和尚から日本の空海へと伝えられ、「宿曜経」そのものが日本に招来されたと書いてありました。
 以前はほとんど図録を求めていましたが、これがあると、後からいつでも見れると思い、必死に見なくなることがありました。それで、図録がないと、このときとばかりに展覧会のすべてをしっかりと見ておきたいと思います。どちらがいいかわかりませんが、帰りの荷物の重さだけは、確実に軽くなったようです。
 また、「ゴーギャン展」もおもしろく、1888年の秋にゴーギャンとゴッホが南フランスのアルルで奇妙な共同生活をするのですが、その前後の作風の違いもあり、最後のコーナーで見た「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」というボストン美術館にある対策を見て感動しました。今回が、この絵の日本初公開だそうです。
 この展示会は7月3日から9月23日まで北の丸公園の東京国立近代美術館で開催されていますので、興味のある方は見てみてください。


☆蔵王のペンション村に行ってきました!

 7月11日に蔵王温泉に行く機会があり、その途中にあるペンション村にまわってみました。
 ここ蔵王ペンション村のオープンガーデンは、それぞれのペンションがその庭を公開しています。とても素敵な庭で、ガーデニングをしている方にとっては、とても参考になります。
 私が訪ねたときには、写真の趣味グループが20人ほどおられ、風に揺れる花々をそっと写真におさめておられたようです。でも、その傍らで、ペンションの女将さんらしき方が一生懸命草取りに励んでおられ、日常の管理の大変さが忍ばれました。
 草取りといえども、植え込んである花々とむしり取る草との区別が付かなければできませんし、1週間もそのままにしておくと、さらに管理が大変になります。公開は期間を区切ってしているそうですが、もちろんその期間内に見せていただくのは当然ですが、そのペンションをたまには利用することも考えてほしいと思いました。ちなみに、今回の公開は7月4日から12日までということでした。
 花が勝手に咲いているわけではありません。日頃の手入れが、このような見事な庭となっているのです。
 もし、見る機会があれば、公開時期を確認してから訪ねてみてください。もちろん泊まれば、泊まったところのペンションの庭は自由に見ることができると思います。


☆ゲンジホタルの写真に挑戦!

 今年のホタルは、例年より早く発生し、しかも個体数も多く、写真を撮るには絶好の年です。それで、天気が良いと夕方になり暗くなるとホタル撮影に出かけていますが、6月26日には三日月が夜空に輝き、その下でゲンジボタルが飛んでいました。それが左の写真です。
 しかし、この写真もそうですが、お月様の明かりに比べるとホタルの光はかすかで、なかなか満足できる写真は撮れませんでした。それこそ、何枚撮ったかわからないほどでしたが、やっと、なんとか1〜2枚はそれなりの雰囲気ある写真になったようです。
 ホタルの写真は、このような光の軌跡を追って撮るものと、ホタルそのものを撮るものがあり、どちらも意外と難しいものです。でも、難しいからこそ挑戦し続けられるし、少しでもいいものが撮れるとうれしいのです。簡単に誰でも撮れるのなら、喜びも半分です。
 これからも、ホタルの写真を撮り続け、そのホタルがいつまでも光り続けられるような環境にしていくいきたいと思います。
 そのためには、子どもたちに、このホタルの飛ぶ環境がいい、と思ってもらうことです。今年も「ホタルの夕べ」が7月7日に開かれます。ホタルの光を追いかける子どもたちの元気な声が聞こえてくるのは、とてもうれしいことです。


☆那須「南が丘牧場」にまわってきました!

 5月28日に、那須「南が丘牧場」にまわってきました。
 ここのロックガーデンをつくるとき、創業者である岡部勇雄氏から、本格的なロックガーデンはその基礎部分が大切だと言われ、それを見せていただくために何度かここに通ったことがあります。その当時は早朝に東北自動車道で那須まで行き、帰りは夕方にまたその道を帰るということをしていました。その後、20数年前のことになりますが、第1回の日米山野草シンポジュームが南が丘牧場で開かれ、そのパネラーとして自分の意見を述べたこともありました。その前日、南が丘牧場に宿泊したときの懇親会で、いままで山野草の本でしか知らなかった方々と直接お話ができたことは貴重な経験となりました。
 本当にいろいろな思い出の場なので、ゆっくりとロックガーデンを見せていただきました。ロックのなかではコマクサが咲き、ヒマラヤの青いケシもありました。右の写真がそれですが、これはメコノプシス・ベトニキフォーリア(M.betonicifolia)という種類で、私のところでも咲かせたことがあります。
 久しぶりに訪ねて思ったのは、草取りがたいへんだろうなということです。植え込んでいる植物と邪魔な植物の区別がつかなければ草取りもできません。
 それと、たくさんの種類の山野草を植え込みますから、そのなかには乾燥に強いものと弱いもの、肥料が必要なものとあまり必要でないものなど、いろいろです。それらを決められたところに植え込むのですから、その管理のさじ加減が必要です。これも、山野草全般がわからなければできないということになります。
 さらに、山野草にも流行廃りがあります。以前は多くの人が栽培していたものでも、最近は見向きもされないこともあります。さらに外国から毎年のようにかわった山野草がもたらされますから、それらも適宜導入することが必要です。
 やはり、入場料を払っても見てみたいという施設にするには、相当な苦労がありそうだと思いました。その日の夕方には、上三依水生植物園に寄りましたが、そこでも同じように感じました。


☆那須の山々に登ってきました!

 5月27〜28日と栃木の方に誘われて、那須の山々に登ってきました。左の写真のほぼ中央が茶臼岳です。
 27日は早朝に自宅を出発し、那須の駐車場に着いたのが7時20分、そこで別な車に乗り峠の茶屋まで行きました。そこからは歩きです。峰の茶屋跡を通り、朝日岳の左を回り込み、熊見曽根から清水平へ、そこから中の大倉尾根を通ってマウントジーンズ・スキー場の展望ロープウェイで下山しました。
 途中、大倉尾根では咲き始めたアズマシャクナゲを見つけ、何枚も写真を撮りました。そして、マウントジーンズ・スキー場の上では、ちょうどシロヤシオが盛りでした。このシロヤシオは、別名ゴヨウツツジともいい、葉が5枚であることと、幹の肌が五葉松に似ていることからの名前のようです。
 そういえば、茶臼岳周辺にはムラサキヤシオツツジが咲いていました。このムラサキヤシオとシロヤシオのほかに、アカヤシオツツジがあり、日本にはこれら3種類のヤシオツツジが自生しています。このヤシオツツジは栃木県の県花にもなっているそうです。
 とくにムラサキヤシオツツジは栽培が難しく、夏の暑さに弱いみたいです。だから、夏も涼しいここ小町山の甲子大黒天本山の境内地には、ムラサキヤシオツツジの露地植えがあり、毎年5月中旬ころに花を咲かせています。
 下山後、八幡のツツジ大群落を見るためにその近くに泊まり、夕方と翌早朝と、ヤマツツジやレンゲツツジなどを十分堪能してきました。


☆三東小の子どもたちと野外観察会をしました!

 5月7日午前10時20分から、地元の三東小の子どもたちを連れて、野外観察会をしました。
 これは、今年で33回目を迎える「春の山野草展」に参加するという意味もありますが、自分たちの身近な山に入ってみることにより、その自然の懐の深さとか仕組みの不思議さとかを直接自分自身で感じてもらいたいと、20数年前から毎年実施しているものです。
 当日は、米沢山野草会の会員たちの協力を得て、3年生と4年生の児童を三沢地内の館の山(通称 窪山)に連れて行きました。ここは山の裾野を水路が走り、多種多様な植物が自生しています。毎年同じ場所ですが、春の早い遅いや天候の加減で、見ることのできる山野草は変わります。今年はエンレイソウやカキドウシ、ラショウモンカズラ、クルマバソウ、ヒトリシズカなどが咲いていました。
 その道の途中で、日本タンポポとセイヨウタンポポの違い、花が終わっても精一杯生きていることなどを話し、少しでも植物に興味を持ってもらえるようにしました。


☆置賜さくら回廊を巡ってきました!

 4月17日午後から「置賜さくら回廊」を巡ってきました。
 この「置賜さくら回廊」とは、山形県南部に位置するところで、赤湯温泉から白鷹町荒砥までのフラワー長井線沿いに点在する有名なさくらを巡るものです。先ずは、この沿線で最も古いといわれている伊佐沢の久保桜にまわりました。それが右の写真です。
 樹齢およそ1,200年といわれるエドヒガンザクラで、東北地方の桜でも巨木のひとつに入っています。でも、写真で見てもわかるように、桜そのものより支え木のほうが目立つほどで、枝枯れもところどころにありました。今回巡って感じたことは、たしかに人間と比べると桁外れに長生きですが、老木の傷みは目立ち、やっと支え木に支えられているように思いました。それでも必死に生きている姿に感動しましたし、もっともっと長生きしてほしいと思いました。
 次は「釜の越桜」、「薬師桜」、「十二の桜」「子守堂の桜」、「赤坂の薬師桜」、「八乙女種まき桜」、「原のしだれ桜」、「殿入り桜」、そして最後に「烏帽子山千本桜」と「二代目放鳥目白桜」を見る頃には夕闇も迫ってきて終わりとなりました。
 みなそれぞれに個性豊かな桜で、地区民が大事に守っているという印象です。
 また、来年も、機会があれば春の恒例行事として見て回りたいと思っています。


☆興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」を見てきました!

 4月2日、上野の東京国立博物館で開催されている興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」を見てきました。当日は、山形新幹線で東京駅に午前9時44分に着き、すぐに上野駅に戻り、駅構内のチケット売り場で観覧券を買い、まっすぐに東京国立博物館に向かいました。
 すでに10分待ちということでしたが、ほどなく入館し、ゆっりと見てまわることができました。もちろんお目当ては「阿修羅像」ですが、八部衆がこのように揃うことは珍しく、なかでも迦楼羅立像のとさかとくちばしがあり、さらに肉垂れがあるのはまさに鳥のようでしたし、緊那羅立像は目がつり上がり躍動感があり、額にもう1つ目がありました。また、沙羯羅立像は髪が蛇になっていましたが、幼顔で、かわいらしくもありました。もちろん、阿修羅像は大きな部屋に1体だけ展示され、なんども入場制限を繰り返しながら、間近で拝むことができました。
 十代弟子も6体展示されていましたが、興福寺にはこの6体しか現存しないそうです。しかも、奈良時代の天平6年(734)につくられたそうですから、やはりその歴史はすごいものです。
 今までは、ほとんど図録を買い、自宅でもゆっくり観ていたのですが、後から図録を観ればいいと安易に考えやすいので、最近は展示会場でゆっくりと観るようにしています。そうすると、頭のどこかのヒダにそのお姿がこびりつき、思い出すことができます。たとえば、阿修羅像の足にインドで見たようなスリッパみたいなのを履いていたのがリアルに思い出すようなものです。
 この「国宝 阿修羅展」は、3月31日〜6月7日まで開かれていますので、機会があれば拝観してみてください。
 奈良の仏さまが、わざわざ東京までお出ましになることは、あまりないことだと思います。


☆床の間にひな人形!

 3月のお茶のお稽古のとき、床の間にひな人形が飾られていました。
 こちらでは、ほとんどの行事を旧暦でするので、ひな祭りも4月3日まで飾るのが多く、この席もそれに準じていたようです。
 床には、「柳緑花紅」(やなぎはみどり、はなはくれない)のお軸がかかり、いかにもという趣向です。この語句は、11世紀の中国の蘇軾(そしょく)の詩から引用されたもののようで、「物事が自然のままに、人の手を加えられていないことのたとえで、柳は緑色をなすように、花は紅色に咲くように、この世のものは種々様々に異なっており、それぞれに自然の理が備わっている」というほどの意味です。
 そういえば、この春の時期になると思い出すのが、おなじ蘇軾の『春夜』という題の詩で、「春宵一刻 値千金(しゅんしょういっこく あたいせんきん)」というのを思い出します。ついでだからその後も続けますと、「春宵一刻 値千金 花に清香有り 月に陰有り 歌管楼台 声細細 鞦韆院落 夜沈沈」となります。
 これを中国の方に読んでいただいた時がありますが、その韻律のすばらしさに感動したことがあります。漢詩は意味だけでなく、その流れるような韻律も楽しみたいと思いました。それで中国語も少し勉強しましたが、その四声の難しさにマスターできませんでした。


☆映画『オーストラリア』を観てきました!

 2009年3月12日、久しぶりに映画でも観ようかと思い、夕方から『オーストラリア』という題名の映画を観てきました。
 ほとんど何の前知識もなく観たのですが、とてもおもしろかったです。最近はDVDで映画を観る方も多いかと思いますが、あの音響だけは映画館でなければ味わえません。1,500頭の牛が疾走する地響きや、爆弾の炸裂する音などの臨場感は、やはり映画館です。
 あのオーストラリアの大自然もすばらしかったし、夫の意志を継いで1,500頭の牛を荒くれの現地カウボーイたちとともに遠く離れたダーウィンまで牛を引き連れて行く行程なども、スリル満点でした。それと白人と黒人との人種問題、さらには現地のアボリジとの関係などもリアルに描かれていました。
 でも、最後の日本軍が出てきたときには、あまり良い気持ちではありませんでしたが、やはりこれが戦争の残酷さなんだと思いました。
 後から調べたところによると、監督はバズ・ラーマンで、『ロミオとジュリエット』や『ムーラン・ルージュ』などの作品があるといいます。すると、ある意味ではラブストーリーだったのかもしれませんが、あの壮大なオーストラリアの風景にかき消されれてしまったかのようでした。


☆『文字の力・書のチカラ』を見てきました!

 2009年2月15日の開催最終日に、出光美術館で『文字の力・書のチカラ』を見てきました。
 これは1月10〜2月15日まで開催されていて、「古典と現代の対話」という副題が付いていました。あたらしいところでは、平櫛田中「不老」で、あの有名な「六十 七十は はなたれこぞう おとこざかりは 百から百から わしもこれから これから」という文字が書かれています。大きさは34p×24pですが、大きく感じられます。また、古いものでは平安時代の伝小野道風の継ぎ色紙や空海の隅寺心経などはなかなか見る機会のない貴重なものです。
 とくに良かったのは、一休宗純の七佛通戒偈で、右の写真の図録にその一部があります。この書は、京都の大徳寺や金閣寺でも見ていますが、やはり、筆の運びの力強さには感動してしまいます。最近は、図録も重いので購入を控えていますが、これだけはと思い求めてきました。そして、帰ってからも時間があると開いて見ています。その本物を見たときの印象がよみがえり、至福の時間を過ごしています。
 至福といえば、その翌々日に東京国立近代美術館で見た横山大観の『生々流転』もそうでした。これは20年以上も前にこの絵巻物の複製を手に入れて見ていたのですが、やはり本物は違います。墨の濃淡だけで一滴の水から大海に流れ、ついには龍となって空に戻っていくその過程を表現したもので、だただ圧倒されました。しかも、そのすべてを1階の展示室にズーッと広げて展示しているわけですから、見応えがあります。
 この機会にいろいろな美術館をまわりましたが、それぞれに楽しく、豊かな時間を過ごすことができました。


☆節分に開運星祭を厳修しました!

 2009年2月3日の節分に『開運星祭』を厳修しました。
 そして、この日の夜に、各家庭でも行われているような豆まきをしましたが、今年の豆は、築地の有限会社山福商店さんが特別に送っていただいた黒豆を使いました。山福さんは築地でも有名な豆や穀類を扱う専門店で、このような黒豆はどこでも扱っているわけではありません。
 左の写真は、その黒豆と普通の豆まき用の豆をいっしょのマスに入れて撮ったものです。
 山福さんにお聞きしたら、大黒さまの「黒」だし、今年の世界的な不況でも「黒」字になるようにとの願いから作ったのだそうです。
 ところで、節分の狂言に『福の神』というのがありますが、そのあらすじは、2人の信心深い男が、毎年大晦日の恒例である福の神へ参詣することにしていました(昔は陰暦のため、立春の前日の節分が大晦日になり、そのときに豆まきをします)。その大晦日に、2人は誘い合わせてお参りに出かけます。2人が参拝し、年越しの豆をまいていると、福の神が現れます。毎年熱心に参詣する2人に福を授けようと思って現れたと語ります。その福の神は、「ところで、いつもお神酒をくれるのに、今年はなぜないのか」と2人から酒をいただき、「これは他の神々にもわけてやろう」と大喜びします。そして2人に「幸せになる秘訣は、元手をかけることだ」と教えますが、不満顔の2人にさらに、お金だけが元手ではなく、心の持ちようが大事だと話します。それは、慈悲の心を持つこと、来客を喜び、夫婦仲良く、最後に福の神にお酒を捧げることだと語って、大笑いして去っていくというものです。
 狂言や能は、それなりの知識がないとつまらないものですが、見始めると、次第にそのおもしろさが理解できます。もし機会があれば、ぜひ見てみてください。


☆「1日1枚絵の葉書」展を見てきました!

 2009年1月30日に、18日から31日までギャラリー金池で開かれていた「吉野健太郎さんによる 1日1枚絵の葉書 描き続けて18年」展を見てきました。
 右の写真は、その絵の葉書の1枚です。これだけは、1枚を小さな額に入れて飾ってありました。しかも、日にちも入っていません。ということは、今回の展示会にあわせて、描いたのかもしれません。
 展示されているほとんどの葉の葉書は、大きな額に15枚ほど並べて飾られ、そのような額がずーっと並んでいました。数えてはみましたが、途中であきらめてしまうほど、たくさんの絵の葉書が並んでいました。おそらく、今まで18年間描き続けていますから、相当数の絵の葉書があるでしょうから、そのなかから厳選したものだと思います。
 しかし、それにしても、毎日描き続けるというのはすごいものです。
 なにげなく見ている中にも、大きな発見があったり、見過ごしてしまうような小さなものに、大きな感動があったりと、想像するだけでもワクワクしてしまいます。
 よく「絵手紙」ともいいますが、吉野さんのはすべて切手を貼って、毎日、自分あてに葉書として投函しているそうです。
 それもまた、すごい自分史ではあります。


☆「悠々茶事」に招待されました!

 毎年、「だいこん茶事」をしていますが、今年は会場の都合で自分で作る料理は持ち込めないとのことで、名を「悠々茶事」に変えて12月23日に行いました。
 ちょうどクリスマス・イブ前日ということもあり、主菓子は「聖夜」という銘が付いていました。
 特に印象に残ったのは、濃茶碗が西岡小十作の黒唐津焼と大樋年朗作の大樋焼、薄茶碗はベルリンの壁のかけらが焼き込まれた茶碗などです。また、濃茶入は古瀬戸で仕覆が小花金襴でした。ちょっと大振りですが、古味もあり、蓋の象牙もいい色合いをしていました。
 ちょうどこれを書いているのが、1月12日の「成人の日」です。そういえば、今年の成人が生まれたときに、東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が壊され、統一されたことを思い出しました。そのときに壊された壁の破片が、左の写真の茶碗に入っているそうです。それでまた、思い出したのですが、裏千家のお家元が同じように破片を混ぜ込んだ蓋置きをある茶会で使っていました。
 このように考えると、お茶事というのは、ある種、連想ゲームのようなものなのかもしれません。


☆「みちのくの浄土〜平泉〜」展を見てきました!

 年も押し迫った12月20日に、仙台市博物館で開催されていた「みちのくの浄土〜平泉〜」展を見てきました。
 予定では11月14日からの開催なので、例大祭が終わってすぐにでも見に行く予定でしたが、なかなかその時間がとれず、とうとうギリギリで間に合いました。ところが行ってみてびっくり、平泉周辺だけでなく、近くの成島八幡宮の神像や宮内熊野大社の仏像なども展示してあり、一番よろこんだのは国宝の勝常寺の薬師三尊像を間近で拝むことができたことです。なぜなら、今年の10月10日に会津若松の御薬園に行った帰りに復元されたばかりの慧日寺本堂を見に回ったのですが、残念なことにその内陣には勝常寺の薬師三尊像の写真がタペストリーのように飾られていただけでした。まさに建物だけで魂入れずの状態です。この勝常寺の薬師三尊像は東北地方で国宝に指定されている仏像の一つで、もう一つが今回展示されていた金色堂の諸仏だけなんだそうです。それらを同時に展示されていたのですから、もうすごい感動ものです。
 ゆっくりと拝見し、主立ったものは何度か立ち戻りながらも名残惜しげにまぶたに焼き付け、最近では重いからと敬遠するようになってきた図録さえも迷わず求めて帰りました。そして、これを書いている今も、ときどきその図録のページをめくっています。
 その日の夕方、今回で23回目を迎えた『2008SENDAI光のページェント』を見てから帰宅しました。これは仙台定禅寺通り、青葉通りで開催されるイルミネーションイベントで、一度消灯して、一斉に点灯するのをスターライト・ウインクというそうですが、それがとてもよく、いっせいにため息が漏れるかのような声にならない声が聞こえてきました。
 そして夕食は、やはり仙台名物の「牛タン」です。お昼ちょっと前に出かけたのですが、まさに仙台満喫の1日でした。



☆野菜の花はきれいです!

 今年の夏は、野菜の花の写真を撮りました。というのは、子どもたちに野菜にもっと親しんでもらう話しをするときに使おうと思ってのことです。
 この右の写真は「キュウリの花」です。
 意外ときれいなものでしょう。この他にササゲ、ピーマン、ナンバン、ゴーヤ、トマト、小豆などの花も撮りました。
 そういえば、ルイ16世の時代、ひどい凶作があり、薬学者のパルマンティエが馬鈴薯の栽培を勧めました。しかし、なかなか栽培する人が増えないので、あるとき、王妃マリー・アントワネットに馬鈴薯の花を身につけさせて舞踏会に臨ませたそうです。さらに国王のいも畑にわざと見張りを立て、夜に盗みやすくして庶民に広めたという逸話が残っています。
 たしかに馬鈴薯の花はきれいですし、品種によっても花色が違ったりします。また、オクラの花や春菊の花などは、今回初めて見ました。
 これからも機会があれば、いろいろな野菜の花を撮りたいと思います。



☆蔵王のお釜!

 平成20年8月7日、米沢山野草会の1日研修旅行で、蔵王熊野岳に登って来ました。
 そのときの写真が、右に掲載したものです。とても良い天気で、このお釜は何度も見ていますが、これだけすっきりと晴れたのは初めてです。これは刈田駐車場から熊野岳に向かう途中の馬の背から撮ったもので、午前11時20分です。
 このお釜は、刈田岳と熊野岳、そして五色岳の三峰に囲まれたような火口湖で、見るからに釜状なので「お釜」という名前がついたそうです。とくにこのエメラルドグリーンの湖面は神秘的で、その荒々しい火口壁と好対照です。ものの本によると、昭和14年測深した当時は、63メートルも深さがあったそうですが、五色岳断崖の崩壊により年々埋まり昭和43年測深時では、最大深度27.6メートル、平均深度17.8メートル、周囲1,080メートル、東西径325メートル南北径335メートルだそうです。
 もちろん、この湖水は強酸性のため生物は生息できないそうですが、植物すら付近には生えず、やはり異様な雰囲気を醸し出しています。この水は、南西から流れ出て濁り川となり、不帰滝となり、太平洋まで流れ出るそうです。この日は、その不帰滝を見下ろす駒草平まで行き、コマクサも見て帰りました。



☆玉庭のお行屋でお茶会!

 平成20年7月26日、山形県川西町玉庭の瑞光寺境内に移築されたお行屋で、お茶会がありました。
 米沢盆地を中心とする置賜地方では、大正期頃まで、13歳から15歳の男子が成人儀礼として飯豊山に登拝する習俗がありました。これをお西詣りといいます。また、お西詣りが終わると、次は出羽三山にお詣りしますが、それをお北詣りといい、戦後まで続いていたそうです。
 お行屋は、この登拝前にお籠もりして精進潔斎をしたり、登拝から帰ってきたときにも精進落としに使っていました。ですから、お行屋は置賜地方の各村々にあっただけでなく、個人で持っていたところもあったそうです。しかし登拝が廃れてくると、物置や味噌蔵になったり、雪などで壊れてしまったのも多いといいます。
 この瑞光寺境内に移築されたお行屋も例外ではなく、雪で屋根が落ちかけていたそうです。それを何とか境内地に移築し、将来にわたって保存したいと考え、今年の春にさや堂に収められました。カヤ屋根や壁なども修復し、いつでも修繕できるようにと、さや堂から引き出すこともできるといいます。
 すでに完成披露はしていますが、今回は初めて、その中でお茶会をしました。しかも普段着のままで、お行屋の由来などを語り合いながらです。
 ご亭主は、昔ならお行屋には女性は入れなかったので、みなさんに何かがふりかかると悪いので、この『姫』という銘の小町棗を先に入れておきましたと挨拶されました。その心配りに、まずは感銘を受けました。掛け物は、京都の極楽山西芳寺(苔寺)ご住職の『洗心』で、水差は高取静山、茶碗は西岡小十、茶杓は槐の自作で、京都泉涌寺門跡が名付けられた『延寿』、建水は骨董屋で見つけてきた江戸期のものだそうで、とても濃密な時間を過ごすことが出来ました。
 機会があれば、ぜひ、また招待されてみたいものです。



☆雄国沼のニッコウキスゲ!

 平成20年7月2日、福島県雄国沼のニッコウキスゲを見に行ってきました。先月17日と同じように始発のシャトルバスに乗りましたが、今回はほぼ座席がいっぱいでした。
 しかも、金沢峠から見ると、始発にもかかわらず、すでに雄国沼付近には数人の人影が見えました。おそらく、檜原湖から歩いて登ったのだと思いますが、早朝の姿を写真に収めるには歩いて登るしか方法はありません。
 すぐに私も駆け下り、朝露に濡れているニッコウキスゲを撮りはじめました。ニッコウキスゲの見頃なので、次々と人が訪れ、木道に三脚を構えてゆっくり撮るというわけにはいきません。それでも何枚か撮り、朝食を食べました。とくに美味しかったのは、冷やした山形産のサクランボです。見事なニッコウキスゲの群落を見ながら、真っ赤なサクランボをほおばり、青空に浮かぶ真っ白な雲を眺めていると、ひとりでに笑みがこぼれてきます。端から見ると気持ち悪いと思いますが、自分ではあまりにも自然なのです。
 井植歳男氏は「小さなことばかり考えていると、人柄も小さくなってしまう。」と言いましたが、このような雄大な景色を眺めていると、些細なことは気にならず、大らかな気持ちになれます。



☆飯豊山と蕎麦畑!

 平成20年6月17日、福島県雄国沼のレンゲツツジを見に行ってきましたが、始発のシャトルバスに乗ったこともあり、人っ子一人いない雄国沼をゆっくり散策できました。午前9時を過ぎた頃から人も多くなり、早めに下山しました。そのシャトルバスの乗り場から少し下がったところで、見事な蕎麦畑を見つけました。
 山形では、蕎麦の花は8月下旬から咲き出すのですが、ここでは真っ白な花をすでに咲かせていました。遠くには飯豊山が見え、まだたくさんの残雪が残っていました。
 飯豊山は、山形側からだと、ときどき見ているのですが、福島側から見ることはとても少なく、しかも残雪のころには初めてのような気がします。しかも、満開の蕎麦畑を前景にするのは、もちろん初めてです。その近くには麦畑もあり、もう少しで収穫のようでした。季節は、「麦秋」。
 そこで、ネットでこのときの情景に一番似合いそうな俳句を探すと、新関一社氏の「麦の秋胸一杯に風の唄」というのがありました。まさに麦の穂を大きく揺らす風がとてもさわやかに感じました。



☆野生サルが下りてきた!

 平成20年6月4日、野生のサルたちが山から下りてきて、神殿前で遊んでいました。この右の写真をよく見てください。看板の左手前の石にちょこんとのっています。
 遊んでいるうちはいいのですが、後から小町山自然遊歩道に行ってみると、ヤマユリの根や草木の葉などを食いちぎり、あちらこちらに散らばっていました。おそらく、近くの畑に出没するのもこの同じサルの群れだと思います。
 大事に育てた畑の野菜などを食われれば、ガッカリするのは当然です。何度も被害に遭えば、作るのをやめるかそれなりの対策を施すかしなければなりません。聞くところによると、近くの畑では、補助を受けて進入できないように電線を張ったそうです。また、サルを捕まえ、首に発信器を付け、いつもその動きが分かるようにもしているそうです。
 それでも、なかなか難しいそうで、まだまだ人とサルとの知恵比べは続きそうです。



☆奥日光に行ってきました!

 平成20年5月26日、奥日光をフィールドワークにしている友人に案内され、中禅寺湖や湯ノ湖周辺のアズマシャクナゲやトウゴクミツバなどを見てきました。仕事の都合もあり、日帰りをしたのですが、車の走行距離は480Kmでした。
 右の写真はそのときに撮ったもので、中禅寺湖畔に咲くトウゴクミツバツツジです。この中禅寺湖畔はトウゴクミツバやアズマシャクナゲがやや終わり気味でしたが、竜頭の滝周辺のトウゴクミツバはまだ2〜3分咲きでした。標高にしてほとんど違わないのですが、日当たりや風向きなど、自然の条件が違えば開花期も違ってくるのではないかと思いました。
 でも、湯ノ湖周辺のアズマシャクナゲはちょうど満開で、散策を楽しんできました。
 そのときの写真は、
「シャクナゲのホームページ」に6月10日に載せましたので、ご覧ください。



☆春の山野草展を開催しました!

 平成20年5月10〜11日の両日、三沢コミセンで第32回「春の山野草展」が開催されました。
 そして、その第二会場が、ここ小町山自然遊歩道です。お天気にも恵まれ、多くの方々がいらっしゃいました。三沢コミセンの会場には、260鉢、180種類の山野草が並べられ、女性会員の手作り山菜料理も出され、お昼時には列ができるほででした。この様子は、山形新聞や米沢新聞などでも紹介されました。
 そこに出品された鉢植えを、少しだけここに掲載させていただきます。




山野草展会場

第二会場の小町山自然遊歩道へ

アケボノダイコンソウ

オサバグサ

チングルマ

白花シラネアオイ

オオバキスミレ

ヤマブキソウ

ヒメリュウキンカ



☆置賜の古代桜を見てきました!

 平成20年4月23日、午後から「やまがた花回廊」の一つ、フラワー長井線付近の古代桜を見てきました。
 今年は桜に縁があるようで、この日も晴天に恵まれ、長井から白鷹にかけてのサクラの古木を見てきました。午後からだったので、まずは一番見てみたかった「釜の越桜」に向かいました。ここだけがさくらまつり協力金ということで200円を払い、駐車場に停めました。ちょうど満開で、来る人来る人が一番いいときに来たね、と喜ぶほどでした。ここから歩いて「薬師桜」に行き、また戻って何枚かの写真を撮り、次に「十二の桜」に向かいました。あいにく、駐車場がいっぱいだったので、近くの公共施設に車を置き、歩きました。看板で、なぜ十二の桜というのかも知りました。
 そこから、長井の方に戻り、「白兎のシダレザクラ」と「草岡の大明神ザクラ」を見て、そこから伊佐沢の「久保桜」へ行きました。ここは、樹齢1,200年といわれるぐらいですから、すごい古木です。十数年前に一度見ていますが、その時より樹の勢いがありそうでした。ただ、ここが一番人が多く、なかなか写真を撮るのが難しく、何枚も撮って、後から選別することにしました。
 もう、今ごろは葉桜でしょう。サクラは、パッと咲いて、パッと散るから心に残るのかもしれません。



釜の越桜

薬師桜

十二の桜

草岡の大明神ザクラ

白兎のシダレザクラ

伊佐沢の久保桜



☆福島市の花見山に行ってきました!

 平成20年4月12日、福島市の花見山に行ってきました。
 ここは福島市内から南東に約4キロほどのところにある小さな山で、花木を育てて、それを販売する目的で植えられたものです。ですから、いろいろな花木が植えられていて、それらが一斉に咲くと、もう花の競演という雰囲気です。
 はじめて行ったのは20年ほども前のことですが、そのときはかすかなウグイスの声が聞こえるほど静かでした。シャッター音さえも響くほどでした。
 ところが現在では、シャトルバスが運行され、シャトルバスの停留所から800mほど歩く道は人でいっぱいにあふれかえり、花見山公園内の山道も一方通行で切れ目なく人が流れ、すごい混みようです。たしかに、花木はきれいに咲き競っていますが、あっちにもこっちにも人、人、人・・・。
 これを見ると、この場を解放してくれる人たちのプライバシーを考えてしまいました。おそらく、人が少ないときをねらってやってくるカメラマンも多そうです。
 ぜひ、マナーを守り、末永く、多くの人たちに愛される花見山であってほしいと思いました。


草岡の大明神ザクラ

花見山から見る福島市街

花見山の桜たち



☆小町山自然遊歩道に福寿草が咲きました!

 平成20年3月25日、小町山自然遊歩道に福寿草が咲きました。
 今年の1月上旬は雪が少なかったので、このまま暖冬傾向かと思っていたのですが、中下旬から雪が降り始め、例年通りの積雪になりました。それでも、草花たちは季節が来ると、忘れずに花を付けます。
 福寿草は、キンポウゲの仲間ですから、太陽が照らし出さないと花が開きません。それが、いかにも春の日射しを待っていた北国の人たちの気持ちと同じように思います。写真で見られるように、蜂たちも待っていたようです。これから、だんだんと本格的な春を迎えます。機会があれば、ぜひ小町山自然遊歩道を訪ねてみてください。


福寿草(白いところは残雪)

福寿草

福寿草と蜂



☆コハクチョウを見てきました!

 平成20年2月6日、上山の帰りに窪田の千眼寺裏の最上川でコハクチョウを見てきました。
 本当はハクチョウを見たかったのですが、時間が中途半端だったこともあり、コハクチョウとオナガガモしかいませんでした。そこの野鳥に詳しい方に伺ったら、やはり朝か夕方の時間帯だといるかもしれないし、写真を撮るにもいいのではないかということでした。
 それと、オオハクチョウは、くちばしの黄色部分がコハクチョウと比べて大きく、鼻孔の先まで黄色いそうです。そして、コハクチョウは鼻孔の手前までしか黄色くないそうです。でも、遠くから見ていると、なかなかそこまでの区別はできそうにありません。もし、これから見に行く場合は、簡単なものでもいいから双眼鏡があれば楽しいかもしれません。
 ただし、もう北国に帰るころだと思いますので、残念ながら、来年でもまた挑戦してみたいと考えています。


コハクチョウとオナガガモ

コハクチョウとオナガガモ

オナガガモ



☆上山の春雨庵に行きました!

 平成20年2月6日、上山市の春雨庵に行ってきました。
 ここは、あの京都大徳寺の僧、沢庵禅師が紫衣事件で上山に配流されたときに3年ほど過ごしていたところです。もちろん、この現在の建物は昭和28年に品川の東海寺から一部を譲り受け再建したものだと案内板に書かれていましたが、それでもこの茅葺き屋根や庭などは往時をしのぶのに十分でした。山形県の重要文化財にも指定されているそうです。
 沢庵禅師が春雨庵で詠んだ歌も残されています。

 花にぬる胡蝶の夢をさまさじとふるも音せぬ軒の春雨
 浅くともよしや汲む人あらばわれにこと足る山の井の水
 苔あつき草の庵のはるさめはしずくにだにもふるとしられず




☆大根茶事をしました!

 12月23日、天皇誕生日の夕方から恒例の「大根茶事」をしました。
 お茶というと、贅沢なことと誤解されていますが、本来はわびさびの世界で、地味なものです。それを体現しようと、毎年大根を食べるお茶事をしています。今年は米沢市の座の文化伝承館のお茶室「青山庵」が会場でした。料理はほとんどを自分たちで取りそろえ、器などもすべて運び込み、正味4時間のお茶事でした。もちろん、準備から後片付けまで入れれば、十時間を超えるでしょうが、とても有意義な時間でした。
 茶釜を持ってくる方や大根を煮てくる方、みなそれぞれの役割をこなしましたが、私は濃茶と薄茶を点て、懐石の接待などもしました。ある人が、「お茶はしばりがきついから楽しい」と言いましたが、たしかにその通りだと思います。しばりもなく、自由になんでもやっていいとすれば、それはそれで何をやっているのかさえ分からなくなります。しばりの中に、ちょっとした遊びを見つける、それも楽しみの一つです。
 もし、機会があれば、ぜひ多くの方々にも茶の文化に触れてみていただきたいと思います。


青山庵

懐石で大根を食べる

青山庵でのお手前



☆「北大路魯山人と岡本太郎展」を見てきました!

 12月21日、上山関根に干し柿を買いに行ったついでに、山形美術館で開催されていた「北大路魯山人と岡本太郎展」を見てきました。
 会期は11月30日から2008年1月27日までですが、この日は北大路魯山人の命日ということで、夫婦で入場すると半額でした。まったく知らずに来たのですが、少し得した気分でした。
 なぜ2人展なのかといいますと、魯山人は岡本太郎の祖父の岡本可亭に弟子入りしたこともあり、岡本家とは三代の付き合いだそうです。そう思ってみても、そこには芸術としての脈絡はほとんどなく、影響も受けていないようでした。
 北大路魯山人の陶芸は、以前から好きで、ことあるごとに見ていますが、あのおおらかさと大胆さが混じり合ったようなつくりは、やはり見事でした。たとえば、「信楽鮑大鉢」などは、あの大きさといい、あの形といい、写真では絶対にわからないすごさがあります。しかも、それに料亭「辻留」が盛った料理の写真がありましたが、料理を盛りつけて初めてわかる良さというものを感じました。
 魯山人の書も良く、とくに気に入ったのは『昨日雨今日晴』という一行物です。良くも悪くも魯山人らしいもので、この言葉とともに、帰宅しました。



☆越後の良寛さまを訪ねて

 2007年12月12〜13日に新潟県長岡を訪ねる機会があり、かねてからの念願だった良寛さまの史跡をまわりました。
 今回は、生まれた出雲崎の橘屋跡にたつ良寛堂をはじめ、国上山周辺の五合庵や乙子神社周辺、そして、貞心尼と出会った和島あたり、現在は長岡市になっていますが、隆泉寺には良寛さまと弟由之の墓がありました。
 そして、出雲崎にある良寛記念館では、多くの良寛さまの資料を見てきました。その近くの良寛と夕日の丘公園から見下ろす出雲崎の風景は、いかにもここで生まれ、時々は訪ねたであろう姿が思い浮かぶような雰囲気でした。今回歩いて感じたのですが、良寛さまの歩かれた地区内の人々の良寛さま対する思いは、今も変わらない親しさで包まれているかのようです。
 今回は12月ということもあり、ちょっと寂しそうな写真ですが、いずれ、新緑のころや紅葉のころなども訪ねてみたいと思います。



良寛さま誕生の地

剃髪された光照寺

国上山の五合庵

国上山の乙子神社

朝日山展望台の良寛像

良寛禅師と弟由之の墓



☆鹽竈(しおがま)神社のタラヨウ

 8月4日、宮城県の鹽竈神社にお参りしてきました。
 そこの右宮と左宮の拝殿前に大きなタラヨウがありました。このタラヨウは、昔、インドなどで経文を書くのに使われたヤシ科のタラジュ(多羅樹)に似ていることから名づけられたようで、実際に書きものに使われたわけではないようです。植物学ではモチノキ科に分類され、中部地方以西のあたたかいところに自生しています。しかも、雌雄異株の常緑高木ですが、鹽竈神社の木にはたくさんの種子がなっていましたから、雌株のようです。
 では、なぜ塩竃にあるのかといえば、本来自生しないはずの木が大木になっていることが珍しいらしく、昭和45年に宮城県の天然記念物に指定されたのだそうです。
 ここ甲子大黒天本山でも塩竃の方からこのタラヨウの苗をいただいたのですが、残念ながら、寒さのために枯れてしまいました。やはり、北国では、育てるのは難しそうです。



☆明恵上人のご廟所
 阿川弘之氏の『エレガントな象』を読み、そのなかに明恵上人のことが出ており、昨年2月に京都の高山寺にお参りしたときのことを思い出しました。
 その遺訓に「凡そ仏道修行には何の具足もいらぬなり。松風に睡をさまし、朗月を友として究め来り究め去るより外の事なし」とありますが、まったくその通りです。この「具足」とは、寺の調度品みたいなもので、ロウソク立てや香炉などです。
 この右の写真は、高山寺にある明恵上人のご廟所ですが、そこにお参りしたときにこの遺訓を思い出しました。左の歌碑には、『山のはにわれも入りなむ月も入れ 夜な夜なごとにまた友とせむ』とありますが、そのほかにも『あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月』という高山寺の石水院の前から山の上にかかる月を詠んだ歌も有名です。
 また、明恵上人は世間の雑念を払うために自らの耳をそり落とし、「耳無し法師」と称していたそうですが、自らにはこのように厳しくても、他の人たちにはとても優しかったそうです。そして、寺にも宗派にもとらわれず、自然のまま、ありのまま、に生きていたようです。
 振り返って、今の時代は、自分にはことのほか優しく、他人には非常に厳しくあたるのが増えているようです。このような時代だからこそ、今一度、明恵上人のことを考えてみたいと思いました。



☆毎年7月は、「社会を明るくする運動」強化月間です!

 この「社会を明るくする運動」は、今年で57回目を迎え、法務省関係機関・団体をはじめ、地方公共団体や様々な民間団体も参加、協力しています。
 この運動は、すべての国民が、犯罪や非行の防止と、罪を犯した人たちや非行をした少年たちの更生について理解を深め、それぞれの立場においてカを合わせ、犯罪や非行のない明るい社会を築こうとする全国的な運動です。今年の運動の重点目標は、「犯罪・非行の防止と更正の援助のため、地域住民の理解と参加を求める」となっております。
 それにあわせて、米沢市でも、7月2日に法務大臣メッセージを米沢市長と市議会議長各氏に手渡し、出発式をいたしました。そして、すぐに街頭広報活動を実施しましたが、右上の写真はそのときの一こまです。子どもさんの「ありがとう!」という表情が、とても清々しいものでした。



☆水越武写真展「大地への想い」もついでに!

 6月2日、恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館で水越武写真展「大地への想い」を見てきました。
 この写真家は以前から関心があり、ときどき写真誌でもチェックしていました。それがたまたま状況した機会に写真展があり、見ることができたのです。テーマは「生態系からみた地球」ということで、200点ほど展示されていました。第1部は「軌跡の星・地球」、第2部「水の回廊・日本列島」、第3部「天空のかおり・山岳」で、第3部だけは白黒写真でした。
 実は、そのNo.1に展示されていたパキスタンのカラコラムの日の出の風景とまったく同じような光の輝きを、今年の3月にネパールのマチャプチャレで見ました。それは、光が山の形に添いながら輝き出すもので、とても神々しい風景です。そのほかにも、ネパールの山々やヤクシマの風景など、自分の思いでと重なる部分があり、とても感動しました。
 図録を買おうと思ったのですが、買ってしまうとそれだけで安心して記憶が薄れてしまうような気がして、ここでなんども繰り返し見てきました。そこで、今、思い出すと、まずは氷河の氷から水がしたたり落ちる感じが、そのまま印画紙がぬれてしまうかのような印象の写真がありました。それと、つい先だって読んだばかりのパキスタンのトランゴ・タワーズも迫力がありました。また、インドネシアの「ホタルの集まる木」という題名の写真には、ホタルが黄色く光り、その上に白く光る星々があり、さらにその上には淡く輝く月があり、まさにその光の違いがとても印象的でした。
 さらに、ヤクシマで撮った写真は、いずれもみずみずしくて、屋久杉にへばりつく苔から、今にも水滴がしたたり落ちるような臨場感がありました。地元の吾妻連峰の樹氷原や飯豊山地の新雪のブナ林の写真も良かったし、かなりの数の写真が目の前に現れます。7月1日までですから、機会があればみていただきたいと思います。



☆サントリー美術館の開館記念展を見てきました!

 6月1日、鎌倉で「栽培植物分類名称研究所」の総会と講演会が開かれ、参加してきました。そのついでに、サントリー美術館開館記念展「日本を祝う」を見てきました。しかも、この展示会は3月30日から6月3日までなので、まったくギリギリでセーフでした。
 もちろん、この美術館のある東京ミッドタウンも初めてでしたので、興味津々、あちらを眺めたり、こちらを眺めたりの探検気分でした。「日本を祝う」は、祥、花、祭、宴、調の5つのテーマで構成され、会場全体が開館を祝う喜びに溢れていました。また、施設も見所の一つで、とくに目を引いたのは、15本のヒモが7色に染められ、それがゆったりと天井に弧を描きながら、それが中央で一本にまとまり、さらに編まれて、下にぶら下がるんです。その下に大きな鏡があり、それらを下から眺められるようになっています。
 おそらく、この説明では、なにがなんだかわからないと思いますが、これはまず、実際に見ていただくしかありません。次の企画展は「水と生きる」で、6月16日から8月19日まで開催されます。おそらく、このヒモの展示はそのままだと思いますので、時間があれば、ぜひご覧ください。




☆5月9日、地元の小学生と野外観察会をしました!

 5月9日、地元の三沢東部小学校の3、4,5年生を連れて、野外観察会をしました。
 それに先立ち、7日には教室内でオリエンテーションを行い、私たちの自然をまもるために、まず自然に親しむこと、そして自然のしくみや人間とのかかわりあいを考えてみるための、さまざまなお話しをしてきました。そして、植物の働きとして、
1、光合成により酸素をつくりだします。 2、食料などのほかに、木材や燃料に使われたり、化学薬品などの原料にもなります。3、水をたくわえ、こう水や土砂くずれなどをふせぎます。4、高い木は風をふせぐなど、気候をやわらげるはたらきをします。5、さわやかな緑は人間の心をなごませ、私たちの生活をささえてくれます。
 などと話し、いかに植物が大切なのかをたとえ話を織り交ぜながらしてきました。そのときに思ったのですが、子どもたちに自然の大切さなどという抽象的なことをいくら話してもなかなか理解できないでしょうが、山野に連れ出し、自然の植物などを見ながら、こんなにもきれいな花たちを守ろうといえば、すこしは実感できるのではないでしょうか。自然を知ることによって、初めて自然のすばらしさや大切さが理解できると思います。
 この取り組みは、20年以上続けていますが、これからも春の恒例行事にしていきたいと思います。



☆ネパールの孤児院でボランティア!

 3月13日、ネパールの山々に行く計画を立て、シェルパにその準備をしてもらいながら、少しの時間を見つけ孤児たちの世話をしているところに出かけました。出会いとは不思議なもので、友人の娘さんがそこのボランティアをしているのが縁です。
 子どもたちは28人でしたが、みんな明るく、元気でした。とくに印象的なのは、その澄んだ目の輝きです。なかには本を読んで聞かせてくれる子どもや、飛びかかってくる子どもや、見知らぬ外国人に感心を持ちながらソッと知らぬふりをしながら見る子どもなどもいました。ここの管理者からは、ただ遊んでくれればいいと言われていましたが、後から考えると、逆に遊んでもらっていたような気がします。
 私の胸に刺繍されているシャクナゲを見て、自分たちの教科書にも同じような花がある、と教えてくれた子もいました。それもそのはず、ネパールの国花はシャクナゲなのです。近くの山にも、このシャクナゲの花は咲いていますし、ちょっと郊外に行くと、子どもたちが山で採ってきたシャクナゲの花を売って、教材費にあてたりしています。それほど、身近な花なのです。
 この翌日には、シブァプリというカトマンドゥ郊外の山に行き、自生のシャクナゲをたくさん見てきました。



☆ネパールとインドに行ってきました!

 3月10日、山形を出発し、11日に関空からネパールに飛び立ちました。
 3月末まで、日本ネパール友好50周年記念の特別措置で、日本人(日本国発行のパスポート所有者)に限り、カトマンズ空港でのビザ申請代金30USドルが無料だということでしたが、インドから再入国したスノウリ(Sunauli)でも無料でした。
 今年の日本は暖冬ということで雪も少なかったのですが、ネパールの首都カトマンドゥでは62年ぶりに雪が降り、多くの人が喜んだそうです。しかし、地方は大雪で大変だったようで、シャクナゲの大きな木が根っ子から倒れたり、枝折れも多く見かけました。実際、シヴァプリ(Shivapuri)山頂でテントに泊まっていたら、夜中に雪が降り、とても寒かったです。この山にはネパールの国花であるシャクナゲ(ネパールではラリグラス)が多く自生し、ちょうど見頃でした。ここは森林保護のために軍の兵士がときどき巡回していましたが、それでも村人たちが伐採しているのをなんどか目撃しました。ここでは、シャクナゲの木が、燃料や暖房などの薪として使われています。生活か自然保護か、どこの世界も同じような問題が起きています。
 右上の写真が、そのシヴァプリのシャクナゲです。



☆第53回 日本伝統工芸展を見てきました!

 2月20日、待ちに待った第53回日本伝統工芸展を東北で唯一開催された仙台三越に行って見てきました。開催日は、今日20日から25日の日曜日までです。
 この日本伝統工芸展は、特別なことでもないかぎりなるべく見るようにしていますが、若い作家が育ってきているように思います。もちろん、ここにはいわゆる人間国宝の作家から無名の作家まで、選ばれた作品が展示されています。ほとんど作品のスタイルが変わらない作家もいますし、毎年新たなチャレンジを試みる作家もいます。その1年の変化を見比べながら鑑賞するのも、楽しみの一つです。
 特に陶芸部門の作品は、展示をする目的もあり、多くの作品が大振りで実用にはほど遠い感じがします。どちらかというと、実用ものが好きということもあり、今回一番気になったのは三代山田常山作の「常滑自然釉茶注」でした。彼は平成10年に重要無形文化財保持者に認定され、平成17年10月19日に亡くなられていますから、これは遺作ということになります。
 この、ほんとうに小さな茶注ですが、これで一人分のお茶をいれ、ゆったりと楽しめるような、そのような雰囲気が感じられました。もう、20年ほど前になりますが、彼の常滑焼きの作品をもとめたことがあります。今でも、ときどき出しては楽しんでいますが、いい茶味をかもし出しています。




☆映画「幸せのちから」を観てきました!

 2月1日、この日は映画を1,000円で観ることができるので、「幸せのちから」を観てきました。
 この映画は、実在のクリス・ガードナーの半生をもとに描いたもので、まさに、ホームレスから億万長者となったアメリカンドリームそのもののような作品でした。しかし、1時間57分の半分以上の時間が親子二人のホームレス生活の場面で、父と息子の情愛がとても感じられました。
 しかも、この親子は本当のウィル・スミス親子の共演で、これは後から知ったことなのですが、やはりと思わせるところが随所にありました。監督は、イタリア映画のガブリエレ・ムッチーノで、たんなるサクセスストーリーでないところが彼らしいと思いました。
 現在公開中ですので、機会があればぜひどうぞ。



☆笹野十七堂まつり!

 1月17日、この日は毎年荒れるといわれていますが、今年は暖冬の影響なのか、とても良い天気でした。
 そこで、午後2時から火渡りの神事があるというので、それにあわせて参詣しました。駐車場に車を止め、踏みならされた参道を歩くと、山門のまわりにコシアブラを削ってつくった笹野花やオタカポッポのお店がありました。観音堂前には、採灯護摩の壇が準備され、写真を撮る人たちがそのまわりに陣取っていました。そこが、火渡りのする人たちを正面から撮ることができるようです。
 定刻の2時に山伏行者が入堂し、峯中法流にしたがって進められました。そして最後に火渡りの神事がおこなわれ、火渡り料500円で一般の方々も渡ることができるそうです。
 この笹野観音は、とても風情のあるお堂ですので、ぜひ機会があればご参詣してみてください。



☆正午の茶事を楽しみました!

 2006年12月23日、おりしも天皇誕生日に本格的な「正午の茶事」を楽しむことができました。
 席入りすると、まずは「初炭」、それから「懐石」へと進み、いったん退席して、席を清め直して濃茶と薄茶をいただきます。時間の都合で「続き薄茶」でしたが、それでも4時間はたっぷりとかかりました。
 この一連のお茶事を体験すると、日本文化に対する茶道の影響の強さがわかるような気がします。露地も、茶室も、懐石も、お点前も、それにともなう道具組まで、多方面にわたって影響を及ぼしています。
 茶道というと、ちょっと取っつきにくい印象がありますが、機会があれば一度は経験してみるのもいいかと思います。


まず炭をつぐ

懐石をいただく

濃茶のお点前



☆新田嘉一コレクション展を見てきました 

 11月22日、良い夫婦の日だそうで、いっしょに「新田嘉一コレクション展」を見に、山形美術館に行ってきました。
 会期は10月27日〜11月26日までですので、なんとか間に合ったようですが、それなりに楽しむことができました。ただ、収集に数寄者としての趣がなく、まとまりのないような感じを受けました。昨年夏に思文閣から売り出されたお茶の茶碗のいくつかがとても気に入り、連絡したのですが、それのどれもが売り切れでした。とても残念に思っていたのですが、数週間してから、ある新聞に新田嘉一さんの新しいコレクションとして載っていました。それが、おそらく今回出展されると思っていましたので、なんとか時間をつくって見に行くつもりでいました。
 案の定、その10数点がガラスケースの中に展示されていました。そのときの図録を思い出しながら、一点一点ゆっくりと拝見させていただきました。図録ではいいと思ったのがあまり良くなかったり、たいしたことがないと思ったのが裏側に見所があったりと、思わぬ楽しさを味わいました。
 とくに印象に残った茶碗は、加藤唐九郎の志野(銘 遊心)と荒川豊蔵の志野です。その二人の個性が茶碗に凝縮され、一目見ただけで作者がわかります。その対比がとてもおもしろく、同じ志野焼だからこそ際だつものを感じとることができました。
 また、このような機会があれば見てみたいと思いました。



☆鎌倉に合掌造りの民家がありました!

 10月27日、鎌倉で講演会があったのですが、その会場は瀧下さんのご自宅で、とても重厚な合掌造りの古民家でした。
 その講演の前に幾棟かある建物を案内していただいたのですが、その太い梁や木組みに圧倒されてしまいました。瀧下さんは、古民家を手がける著名な建築設計士ですが、その詳しい説明に目から鱗でした。たとえば、古い木材を再利用するのは奈良時代ころから盛んに行われたこと、雪国の根曲がりなどのクセの強い木材を上手に利用すること、また檜などの売れる木材はあまり民家では使わず、売れないような木材を工夫して使うことなどなどです。
 しかも、これらの古民家は、上からの力にも地震などの横揺れにも強いそうです。だからこそ、修繕を繰り返しながら何百年も使い続けられるのです。それを、彼は「日本の古い民家は循環可能な家です」と表現していました。
 その講演の後に、奥さまの手料理をごちそうになりましたが、ここにクリントン前アメリカ大統領が来日の折、ヒラリー夫人が鎌倉を訪れたときにまわられたと聞き、なるほどと思いました。ここには、和の文化が凝縮されていると感じました。



☆『仏像 一木にこめられた祈り』を見てきました!

 10月27日、鎌倉で講演会があったので、その折に、東京国立博物館 平成館で開催されている『仏像 一木にこめられた祈り』を見てきました。これは10月3日から12月3日まで開かれているもので、前期と後期にわけて展示するそうです。
 そこで感じたのですが、一木の場合はたった1本の木から彫ったもので、むしろ、彫るというよりは、その木に宿る仏さまの姿を彫らされたようでした。木なりといいますか、木を彫り進んでいくうちに、いつの間にか仏さまの姿になっていたような感じです。木目といい、鉈目といい、他の素材では考えられないような素朴さがあります。また金属製と違い、仏さまの温もりみたいなものも感じられます。
 パンフレットにも書かれていたのですが、「日本ほど木で仏像を造ることにこだわった国はありません」。木だからこそ、表現できることもあります。江戸時代の円空さんや木喰上人さんの仏像を、このようにたくさん拝むことはめったにできるものではありません。それだけでも、行く甲斐があるというものです。
 後期には滋賀県の向源寺の十一面観音菩薩立像が寺外初公開されます。これもまた、ぜひ見ていただきたいと思います。



☆ピアノを聴きながらお抹茶をいただく・・・・・

 10月18日、ピアノを聴きながらお茶をいただく会があり、行ってきました。
 演奏は、現在スロバキアで研鑽を積んでいる若きピアニストで、お茶会にあわせて着物姿で現れました。もちろんお茶の道具組もすばらしいもので、尋牛斎宗匠の書かれた短冊や使い込まれた西岡小十造の唐津茶碗など、数々の名品がそろい、主菓子も地元のお菓子屋さん特製で、ちょっと塩味の、とてもまろやかな味わいがしました。
 お茶のあと、ダリアの見える場所に移り、山形名物の芋煮なども準備されていて、さらに会場の「Jamm」特製の石焼きピザやコーヒーなどもあり、日頃のお茶会にはないミスマッチの風情を味わいました。立礼席ということも、そのお茶会にはとてもふさわしいしつらえでした。



☆生誕100年記念「ダリ回顧展」を見てきました! 

 9月26日、東京の「上野の森美術館」で、生誕100年記念「ダリ回顧展」を見てきました。
 ダリはなんどかその作品を見ているのですが、今回初めて見るものもあり、とても興味深く鑑賞することができました。とくに印象に残ったのは、ある画家が描いた帆船の絵を、ダリが模写しながらもダリらしさを味付けした絵です。これは絵も上手く、表現力もあるということを再認識させてくれました。
 ダリというと、融けだしたように曲がった時計の印象が強く、作者の表現が読み切れないことが多いのですが、その複雑に幾重にも折り重ねられた意味を少しだけ読み解くことができたように今回は思いました。
 開催期間は、9月23日から2007年1月4日までですから、ダリ好きの人はぜひ見ていただきたいと思います。



☆『国宝 風神雷神図屏風』を見てきました!

 9月26日、出張した折に、出光美術館で開催されている『国宝 風神雷神図屏風』を見てきました。
 これは9月9日から10月1日まで開かれているもので、俵屋宗達と尾形光琳と酒井抱一がそれぞれ描いたものをそろえて展示したものです。過去に3回ほどあるそうですが、今回は66年ぶりだそうです。
 とても混んでいて、入場制限されていましたが、見始めると混雑も気になりませんでした。それぞれがすばらしいできばえですが、風格では国宝指定の俵屋宗達筆『風神雷神図屏風』(建仁寺所蔵)がぬきんでていました。それぞれの違いの細かい点まで解説していましたが、解説なしでもその違いはわかります。もちろん、時代の差もありますが、独自の構想で作成したものと、それを模倣したものの違いかもしれません。
 その前に、上野の森美術館で『ダリ回顧展』を見ましたが、その空想性において、なにか通ずるものがあるように思いました。



☆七ケ宿ソバ畑に行きました!

 8月25日、七ケ宿のソバ畑に行ってきました。
 その前日にテレビでその情景が映り、まだソバの葉が青々としたままで真っ白なソバの花がとても印象的だったからです。その近くを何度か通りましたが、なかなかそのソバの花に出会うことはなく、やはりわざわざでも訪ねないとダメだ思いました。
 そこは予想通りの広々としたソバ畑で、心ゆくまでシャッターを押し続けました。この秋の新ソバのころには、このソバ畑の情景を思い浮かべながら食べたいと思います。



☆月山に上りました!

 8月9日、月山に上りました。今年の山開きは、大雪の影響で残雪も多く、途中で上るのをあきらめたと聞きましたが、まったくその通りでした。お盆前だというのに、まだ夏スキーをしていました。(写真右手が月山山頂です)
 高山植物たちは、健気にもその残雪がとけだす間際から青い新芽を出し、次々と花を咲かせていました。しかし、その花に実を付けるまでには秋が来て、すぐに初雪が降ってきてしまいます。今年ほど、山の春夏は短いと感じたことはありませんでした。
 ニッコウキスゲやチングルマの花に混じって、春のショウジョウバカマが咲いているのを見たのも数十年ぶりです。ちまたでは異常気象と簡単に割り切ってしまいますが、これら植物たちはそれをどのように感じているのか、ちょっと聞いてみたいような気がしました。



☆白水阿弥陀堂!

 この名前を知ったのは、五木寛之の『百寺巡礼』です。それを読んで、さらにその本に載っていた白黒の写真を見て、なんとかおまいりしたいと思いました。
 そして、7月29日、福島県いわき市の白水阿弥陀堂に行ってきました。そこは常磐自動車道の湯本I.Cから15分ほどにあり、駐車場に車を置き歩きました。真っ正面に大きな池があり、その赤い橋を二つ渡ったところにそれはありました。
 堂内の案内によると、この地を治めていた岩城則道の妻(奥州藤原氏の藤原秀衡の娘)が1160年に建立したものだそうで、国宝に指定されています。 とくに、きれいだと思ったのはその屋根の優美さで、これも解説によると宝形造りとち葺だそうです。また、池の蓮もちょうど見頃で、何枚も写真を撮ってきました。
 そういえば、6月に平泉中尊寺をおまいりしたのですが、ここでその平泉とクロスするとは考えてもいませんでした。この白水とは「平泉」の泉という字を上下に分解したものだそうです。



☆KOH-TAO live in 大黒さま !

 7月14日に甲子大黒天本山神殿内にて「KOH-TAO live in 大黒さま」がありました。KOH-TAO(コォ・タオ)とは無国籍音楽ユニットで、自作のカリンバやインドの横笛バンスリなどさまざまな民族楽器を使って演奏しました。ここでのライブは、一昨年に続いてのものです。
 今回は「水の響きの中で、遠い記憶との再会 〜心に響く音のメッセージ〜」が届くようにと演奏されました。前回と違うのは「peace flag」という活動が加わったようです。この「peace flag」とは、

新しい世紀を迎えて世界は他方向に流れて
東の国では悲しみが降りそそぎ
西の国でも同じことが繰りかえされている
この一連の流れの色は何色なんだろう
真紅の涙色
かなしい色
多くの人達がやりきれない思いの中で生きている

戦争反対の人も
今やむなく戦争している人も
みんなきっとその先に平和を願って祈っている

その平和の願いや祈りを形に
KOH−TAOからひとつの提案があります

自分自身が思い描いている平和な世界の旗
それが『peaceflag』です
絵でもいいし字でもいい
布でも紙にでも
どこかに『peacefIag』といれて
その旗を玄関にでも家のポストでも車でも
それを貼ってささやかな平和の意思表示をしていこうと

どんどん『peaceflag』がふえていけば
きっと平和な世界が訪れることを信じて
願いや思いはかならずかなうと信じて
その旗を作っている時の1人1人の平和への祈りと思い
純粋な意識の共時性が
少しづつでも世界を動かしていくと思います

意識がかわれば世界はかわると信じて



☆久しぶりに平泉を訪ねました!

 2006年6月17〜18日と東北ツツジ・シャクナゲ研修会があり、19日は五葉山に登り、ついでにもう一日延ばして、久しぶりに平泉を訪ねました。
 ちょうど毛越寺では、20日からあやめ祭りが開かれるということで、一山の僧侶とご詠歌衆とが開山堂で唱えるところでした。古い記憶では、ここで松尾芭蕉が「夏草や兵どもが夢の跡」という句を詠んだところと教わったような気がしましたが、実は高館というところらしい。それで中尊寺と毛越寺をお参りした後、その高館義経堂(たかだちぎけいどう)に行ってみました。ここが義経終焉の地でした。右の写真がそれです。
 ここ高館には、平成元年「奥の細道300年 平泉芭蕉祭」を記念して建立された「おくのほそ道」記念碑があります。ここに書かれた「平泉」の章段を読みながら、時の権力者の哀れより、その権力者に翻弄された人たちの悲しさを強く感じました。まさに義経の生き様はそうです。そこに日本人は共感を覚えるのかもしれません。ここ高館に立ち、蕩々と流れる北上川の向こうの束稲山を見ながらいろいろと考えさせられました。
 以下に、この平泉で撮った写真を掲載いたします。


中尊寺本堂

毛越寺のアヤメと大泉が池

達谷窟毘沙門堂



☆神殿で結婚式!

 2006年6月11日、甲子大黒天本山の神殿で結婚式が執り行われました。
 若々しい2人を見て、映画『エンジェル・アイズ』を思い出しました。「彼の前では不思議と自分が素直になれる・・・・・」、それが一生のお付き合いのなかでは大切なような気がします。
 さらに、「人間は一人では生きられない、誰かに支えられ、支えて生きるのだ!」というフレーズもありました。
 まずは、この日を忘れずに、あまり頑張らずに、何事もほどほどに・・・・・。



☆植物にも生命があります!

 2006年5月13〜14日と三沢コミュニティセンターで「第30回春の山野草展」が開催され、多くの方々でにぎわいました。とくに今年は大雪の影響もあり、出品数が少ないのではないかと心配されましたが、例年には見られない山野草などもあり、多くの方々に喜んでいただいたようです。
 甲子大黒天本山の境内地も第2会場で、今年はちょうどアズマシャクナゲが真っ盛りということもあり、多くの方々が訪れました。そこで気づいたのですが、大黒さまの前をお参りもせず通り過ぎ、ただ植物だけを見る人のなかには、小さな山野草をそっと引き抜いていく人がいました。とくにマイズルソウなどは、1本抜いても根まで引き抜けないので、何本も抜き、とうとう失敗した20数本をそのまま捨てていったのを見て、あきれかえりました。もちろん、マイズルソウにも生命があります。おそらく、彼らにはマイズルソウの引き抜かれる悲鳴が聞こえなかったのではないでしょうか。
 最近、子供をねらった犯罪が多発していますが、本来、人間も植物もすべて同じ生き物です。いや、もしかすると、植物がなければ人間の生命もないわけですから、植物のほうが上かもしれないのです。
 もっともっと、植物たちを私たちは大切に扱わなければならないと感じました。



☆子どもたちと山に入りました!

 2006年5月11日、地元の小学生4年生と5年生といっしょに近くの山に行き、自然観察をしました。
 それに先立ち、5月8日に教室で「植物観察について」のオリエンテーションをおこないました。その中で、むかしは道ばたにいくらでもあった植物の4分の1が、失われつつあること(環境省のレッドデータブックより)や、自然のしくみや人間とのかかわりあいなどに触れ、自然を守ることの大切さをお話ししました。
 そして、その体験学習として実際に山に入り、植物とふれ合ったのです。子どもたちはエンレイソウやフクジュソウを見つけたり、食べられるニリンソウと毒草であるトリカブトの違いを観察したり、楽しい2時間でした。つねに見ているチューリップやパンジーなどと違い、小さくかわいらしい山野草に素直に感動していました。
 自然を守るという意識は、子どもの時にいかに自然に親しむかが大切だと思いました。



☆呉汝俊(ウー・ルーチン)さんのコンサートを聴きました!

 2006年4月11日、港区芝公園の「東京メルパルクホール」で開かれたウー・ルーチンさんのコンサートに行きました。
 今まで断片的には何度か聴いていますが、コンサートは初めてです。今回はある方のご厚意で、しかも最良の席でゆっくりと聴くことができました。この場を借りて、深く感謝いたします。
 ルーチンさんは、京胡の名手で、エイベックスからCDなども出されています。京胡はもともとはモンゴル族の楽器だったということですが、蒙古琴などとは形も音色もまったく違います。蒙古琴を聴いたことがありますが、弦を内側から持ち上げるように押さえて弾いていました。京胡は、右のパンフレットを見てもわかるように、竹筒に皮を張っただけの見るからに素朴な楽器のようですが、音色は千変万化とも幽玄ともなんとも表現のしにくい妙なるものです。今回のコンサートでは、美空ひばりの「川の流れのように」などの歌も初めて聴きました。アンコールでは、特に好きな曲の一つである喜多郎作曲の「恋慕」を聴き、大満足でした。
 機会があれば、ぜひ聴いて欲しいアーチストのお一人です。



☆ムユウジュ(無憂樹)の花の写真を撮りました!

 いわゆる「仏教三大聖樹」と呼ばれている樹は、このムユウジュ、そしてインドボダイジュとサラノキです。
 このムユウジュはマーヤ夫人が出産のために実家に帰る途中のルンビニで、あまりにもきれいなのでその花をとろうと右手を上げたときにその右脇からお釈迦さまがお生まれになったと伝えられている樹です。インドではアショーカ・ツリーといい、インドの仏教寺院にはたくさん植えられているようです。アショーカとはサンスクリット語で「憂いがない」という意味ですから、それがそのまま「無憂樹」となったようです。この花のように見えるのは、じつはガクです。仏教では、この花に注目して、無憂華ということもあります。
 インドボダイジュは、お釈迦さまが悟りを啓かれたときに座っていた根元の樹、そしてサラノキは入滅されようとするときの二本の樹です。やはりインドは暑いので、人々はいつも木陰で仕事をしたり、おしゃべりをしたりしています。だから町中にはこのような大きな木が人の集まるシンボルツリーになっているのです



☆映画「博士の愛した数式」を観てきました!

 映画館で「博士の愛した数式」を観てきました。
 監督は小泉堯史で、出演は寺尾聰や深津絵里、齋藤隆成などです。流れは、交通事故の後遺症で記憶がたった80分しかもたない天才数学者と、彼の家に家政婦として派遣された杏子とその息子 √(ルート) との交流を描いたもので、静かに深く数式を交えながら進んでいきます。
 この映画を観て、ある数学者を思い出しました。一人は爆弾犯ユナボマーことテッド・カジンスキー、そしてもう一人はハンガリー出身のポール・エアディッシュです。カジンスキーは2年も飛び級し20歳でハーバード大学数学科を卒業し、ミシガン大学大学院を卒業後カリフォルニア大学バークレー校の数学科助教授になった超秀才でした。しかしたった2年でバークレーを辞任し、山の中に入り、1996年に逮捕されるまでユナボマーとして爆発物や声明文を送り続けました。
 一方、エアディッシュは21歳で博士号をとり、1996年に83歳で亡くなるまで1,500本以上の数学論文を書きましたが、結婚もせず、ほとんど何も所有せず、すべての時間を数学に捧げたような人生でした。しかも他の数学者たちとの共同研究も多く、孤独というよりは、数学の研究を楽しんでいたようです。しかし、数学以外のことはほとんどなにもできず、食事や洗濯などの基本的な家事もダメでした。そして、お金が入ると、そのほとんどを奨学金や必要とする人たちに寄付し、手元に残さないようにしていたそうです。
 この決定的違いは、おそらく、子供時代に両親から愛情をたくさん受けていたかどうかのような気がします。そして、子供は、自分の存在を全面的に肯定されることがもっとも大切だと思います。そうすれば、多くの人を愛する優しい心がきっと芽生えます。
 映画の最後に、ウィリアム・ブレイクの詩が映し出されます。

 一粒の砂の中に宇宙を
 一輪の花の中に天国をみいだす

 この手の中に無限を
 この今の中に永遠をとらえる

 もし、機会があれば、ぜひ観ていただきい作品です。



☆サワフタギの写真を送っていただきました!

 2006年2月9日、岩手の齊藤勉さんからサワフタギの写真をお送りいただきました。その時の文面を紹介させていただきますと、
 『今日は私の庭の「サワフタギの実」の写真を別添で披露してみたいと思います。インターネットで「サワフタギ」を検索して見ましたが、この写真のように実が鈴なりになった写真は見られませんでしたので、きっと読者の方々の目の保養になるのではと思いました。』
 とあります。まことに見事なサワフタギの実で、おそらくお初めてお目にかかる方もおられるかと思います。このサワフタギは、ハイノキ科ハイノキ属の落葉木で、漢字で書くと「沢蓋木」です。私も、このように多くの実をつけたのを見たことがありません。
 ぜひ、これからも珍しい写真が撮れましたら、お送りいただければここに掲載させていただきます。



サワフタギ

サワフタギ

サワフタギ



☆東京国立博物館に行ってきました!

 2005年11月4日(金曜日)、東京国立博物館に行き、「華麗なる伊万里・雅の京焼」と「北斎展」を見てきました。
 「華麗なる伊万里・雅の京焼」は表慶館で開かれ、古九谷といわれていた伊万里焼や仁清の茶壺など、以前から見たいと思っていたものをゆっくりと鑑賞してきました。
 とくに「北斎展」はすごい混みようで、ほとんど押されるようにして見てきました。現所有を見ると、海外の美術館も多く、おそらく明治期に海外に流出されたもののようでした。しかし、それらを、このようにして一堂に会して見ることができるとは、とても幸せな時代だと思います。また、いつ見ることができるかわからないこれらの逸品を、人混みの中でも静かに味わいました。
 なお、「華麗なる伊万里・雅の京焼」も「北斎展」も、12月4日までですので、興味のある方はぜひ見てみてください。




☆月見の茶会に行ってきました!

 2005年10月16日(日曜日)、月見の茶会に行ってきました。
 今年は翌日がちょうど満月という絶好の日にあたり、さらに時間が進むにつれてお月さまが山の端から上がり、最高の雰囲気でした。
 各席で出るお菓子も、新栗を使ったものや、季節の里芋を形取ったものまであり、ついつい各席すべてで食べてしまいました。お席も、お月さまにちなんだものや、夕方の席ということで格式張らない軽やかさがあって、気楽に楽しめました。
 今年は30回の記念ということで「親子体験席」もあり、大きな茶碗から一生懸命にお茶を飲んでいる姿がとても印象的でした。となりの小学校5年生に美味しいですかと聞きましたら、「お茶もおいしいけれど、お菓子がおいしい」という返事が返ってきました。



☆菊見還暦茶事に招かれました!

 2005年10月10日、ある方の菊見還暦茶事に招かれ、行ってきました。
 当山でも、個人や同級会などの団体の還暦ご祈願をいたしますが、いわば人生の大きな節目であり、新たなステージへの再出発でもあります。そのためには、今まで生かされてきた人生を振り返り、反省すべきは反省し、できなかったことはこれからは何とかできますようにと願うのです。
 今回の茶事も、その意味では、いろいろな思いが込められたお茶事であったように思います。いつも思うのですが、お茶は一期一会で、同じ人たちが同じ季節に同じ道具で出会うなどということは、なかなかないようです。しかも、今日という日は、今日限りですから、まったく一期一会と言い切ってもいいのかもしれません。



☆Dinka Dunk (ディンカドゥンク)の「名月ライブ」がありました!

 2005年9月11日(日曜日)午後5時からDinka Dunk (ディンカドゥンク)の「名月ライブ」がありました。
 彼らは、沖縄で出会った三人組のバンドで、アフリカやアジアの民族楽器を中心に演奏活動をしているそうです。実際に聴いてみると、その民族楽器の枠を取り外したような自由な演奏で、自然に耳に飛び込んでくるような感じでした。
 メンバーのお一人、近藤ヒロミさんも、今年の音楽のほうがこの神殿にぴったりすると話していましたが、まったくその通りでした。オーストラリアの民族楽器ディジュリデュの音色も素敵でした。この楽器を調べましたら、「ディジュリドゥはオーストラリア北部のブッシュ地帯に生えるユーカリの木から作られます。まずシロアリによって中が喰い荒され空洞化した木を探し出し、1mから2mぐらいの長さに切ります。その後、表皮を削り口当ての部分に蜜蝋(ビーズ・ワックス)などを塗り、表面には岩を砕いた顔料で独得なアボリジナル・ペインティングを施します。その口当てに口を付け、息を吹き込みながら唇を震わせ、口や筒の中に共鳴させることで豊かな倍音に彩られた独得な音を発生させるのです。」と書いてありました。
 機会があれば、ぜひ聞いていただきたい音色です。



☆葛田一雄さんの出版祝賀会に参加しました!

 2005年 8月26日、東京千代田区の「如水会館」で開催された「葛田一雄作[夢のあとに]の出版を祝う会」に行ってきました。
 この小説は、彼が還暦を迎えて初めて出版したもので、今までの彼の経歴とはちょっと違う感じがします。でも、その根底に流れている逗子ボーイの粋が随所にかいま見られ、スーッと物語りの世界に入り込んでいきました。
 全国発売は、9月7日だそうですから、ぜひお読みいただきたいと思います。
 写真は、葛田氏と表紙絵を描かれた細谷正之氏、そして司会の荒木敏成氏です。



☆平等寺の薬師堂をお参りしました!

 2005年 7月24日、「将軍杉」に会いに行ったとき、初めて平等寺薬師堂の存在を知りました。
 現在のお堂は1517(永正14)年建立されたといい、旧越後では最古の木造建築だそうです。しかも、釘を一本も使わずに建てられたもので、その屋根の風格はすごいものです。そこには、いろいろな植物が根付き、ネジバナさえも花をつけていました。
 でも、この建物を冬の豪雪から守るのはたいへんなことだと感じました。たしかに、「将軍杉」もみごとでしたが、それ以上に風格を感じたのがこの薬師堂です。



☆岩谷山平等寺の「将軍杉」に出会いました!

 2005年 7月24日、猪苗代ハーブガーデンに行ったついでに岩谷山平等寺の「将軍杉」に会いに行ってきました。
 というのは、6月に屋久島の縄文杉に出会い感銘を受け、帰宅してから日本の杉の巨木を調べてみました。すると、縄文杉こそ日本最大の杉と勝手に思っていたのですが、それより大きな杉が新潟の東蒲原郡にあることを知りました。それは、ぜひ、お会いしなければと思っていましたが、割合早くその機会が訪れました。
 この「将軍杉」は、1927年4月8日に国の天然記念物に指定されましたが、1961年秋の第二室戸台風により中央の1本が折れてしまいました。それでも、2001年の環境省再調査で19.31mとされ、晴れて日本一の杉の巨木になりました。「将軍」とは、10世紀頃の余五将軍平維茂(たいらのこれもち)のことだそうで、案内板にはいろいろなことが書かれていました。
 しかし、真ん中の1本がないというのは、なんとも残念です。



☆「植物画世界の至宝展」を見てきました!

 2005年 7月15日、東京藝術大学大学美術館で開かれている「植物画世界の至宝展」を見てきました。
 会期は6月11日から7月18日までですから、なんとか間に合ったという感じです。これは、英国王立園芸協会(RHS)創立200周年記念と銘打たれたもので、500年の流れがわかるように展示されていました。
 この後、神戸市市立小磯記念美術館と全国都市緑化ふくおかフェアで展示される予定になっていますので、機会があればみてください。植物の好きな方にはたまらないものだと思います。



☆雄国沼のニッコウキスゲを見てきました!

 2005年6月30日、ニッコウキスゲを見に北塩原村の雄国沼に行きました。この沼は、猫魔ヶ岳の噴火によって生まれたカルデラ湖で、昭和32年にミズバショウやニッコウキスゲなどの咲く湿原として国の天然記念物に指定されています。湖面の標高は、1,089mで、周囲は、4.62Km、水深は約7mといわれています。
 今年から、マイカー規制とシャトルバス運行が開始されたので、雄国沼萩平駐車場に車をとめ、そこから45人乗りのバスで金沢峠駐車場まで25分かかりました。往復大人一人1,000円です。そこからは雄国沼に下るだけで、満開のニッコウキスゲをみることができました。ちなみに、昨年は開花目前にしてほとんどが霜にやられてしまいました。だから、今年は何年かぶりの大開花です。

 そのときの写真を下に紹介します。


雄国沼のニッコウキスゲ大群落

オオカメノキとニッコウキスゲ

金沢峠から見た雄国沼



☆「しゃくなげ茶会」を開きました!

 2005年5月27日、小町山で「しゃくなげ茶会」を開きました。
 当日はあいにくの天気でしたので、神殿回廊部分に席を移し、懐石からはじまり、濃茶、薄茶とすすみ、野点風正午の茶事を楽しみました。
 参加者はしゃくなげ会の面々で、当日は地元テレビ局の取材もあり、和気藹々と予定の時間を忘れてしまうほどでした。
 そのときの写真を下に紹介します。


亭主濃茶お点前

薄茶お点前

当日の道具組



☆第29回「春の山野草展」が開かれました。

 2005年5月14〜15日と、三沢コミュニティセンターで第29回「春の山野草展」が開催されました。
 また、同じ日程で、万世山野草展も開催され、20回記念展としてさまざまな催しが開かれました。そして、お互いに訪問し合い、交流を重ねました。
 そのときの様子を下記に掲載いたします。


三沢山野草展会場

展示されたオキナグサ

万世山野草展会場



☆白石川堤の桜を見てきました!

 2005年4月19日、「さくらの名所百選」にも選ばれている白石川堤のさくらを見に行ってきました。ここは延々8qほどにたくさんの桜が植えられていて、「一目千本桜」とも呼ばれています。
 一番心配していたのは駐車場でしたが、河川敷におおきな駐車スペースが確保されており、ゆっくり両岸を歩くことができます。多くのひとたちが、桜の木の下でお弁当を広げたり、花見団子を食べたりしていました。近くの小学校の児童たちも来ていて、ゴミ拾いをしたあと、土手の芝生で転がったりして遊んでいました。
 ほとんどがソメイヨシノでしたが、一部シロヤマザクラも混じっているとのことでした、遠くには蔵王連峰が望め、川には屋形船も運航されていました。まさに、春爛漫、これぞ日本の風景といった雰囲気でした。


白石川堤の桜

白石川堤の桜と屋形船

桜並木と蔵王遠望



☆「恐竜博2005」を見ました!

 2005年 3月23日、「中宮寺 国宝菩薩半跏像」を見学する前に、国立博物館で開催されている「恐竜博2005」を見ました。
 一番の目玉は、全身の90パーセントの化石が見つかった「スー」で、この発見でティラノサウルスの全体像がわかったようなものです。展示された「スー」は、全長12.8mあり、歯は最大約30pもあり、のこぎりのようなギザギザもありました。
 展示の流れは、恐竜がだんだんと鳥へと進化していく過程をとらえ、その順に並べられていました。あの巨大な恐竜が小さな鳥になるという進化の過程がとても信じられませんでしたが、その過程を眺めると理解できないこともないなあなどと考えてしまいます。
 この恐竜博は、3月19日〜7月3日まで開催されていますので、ぜひ興味のあるかたはご覧ください。



☆「中宮寺 国宝菩薩半跏像」を見てきました!

 2005年 3月23日、東京国立博物館の本館特別5室で開催されている「中宮寺 国宝菩薩半跏像」を拝んできました。
 この神秘のほほえみともいわれているやさしい笑顔に、感激しました。会期は3月8日〜4月17日までですので、機会のある方はぜひ見学されることをおすすめいたします。
 初めて、四方から見学いたしましたが、後の光背がクスノキの一枚板だそうですが、それが丸い竹のように彫られたもので支えられていることを初めて知りました。何度も何度も時間をかけて見つめておりましたが、そのほほえみはやはり魅力的でした。



☆小石川植物園に行ってきました!

 2005年3月21日、東京の小石川植物園に行ってきました。というのは、ここで植物関係者の集まりがあり、久しぶりに園内を歩いてきました。
 ちょうど、シナミズキやトサミズキの大株が満開の花を付け、ウメなどは少し盛りをすぎたような感じでした。また、早咲きの桜が咲いていて、早めの花見を楽しんできました。サクラの安行寒緋という種類に、メジロが花の蜜を吸いに集まり、バードウォッチングも楽しむことができました。
 また、温室の中には、小笠原諸島固有種のムニンツツジやムニンノボタンが咲き、一度絶滅しかかったこれらの種がここから再生していったことなどを感慨深げに写真を撮らせてもらいました。
 翌々日には、上野の国立博物館で開催されている「恐竜展2005」を見たり、国立博物館の中宮寺の菩薩半跏像を拝んできました。せっかく上京したので、興味のあるところをいろいろと見学してきました。


カンヒザクラ

カンザキオオシマ

安行寒緋とメジロ



☆「世界らん展日本大賞2005」を見てきました!

 2005年2月23日、冬の京都を巡った後に、東京へ出て、さらに世界らん展日本大賞2005を見ました。
 一昨年も見ましたが、今年は15周年記念ということもあり、とても華やかでした。私は、東洋欄のようなものが好みなんですが、ときにはこのあでやかさも人を圧倒する美しさを持っていると思います。花をいくら言葉で表現しようとしても難しいと思うので、先ずは下の写真を見ていただきましょう。


洋ランの花々

黄花フウラン

パフィオペディラム



☆「京の冬の旅」に行ってきました!

 2005年2月19〜22日、滋賀県に用があり、そのついでに冬の京都を巡ってきました。今年で「京の冬の旅」の企画も第39回だそうです。普段は非公開の文化財も、このときだけ公開されるので、とても楽しみです。
 数ある公開されたもののなかで、特に印象に残ったものは、東寺の五重塔の初層内部や龍安寺の仏殿や西の庭、そして金閣寺方丈などです。当然、写真撮影できないものも多かったのですが、少し下に掲載します。3月18日までですので、機会があればぜひ行ってみてください。
 22日の夕方に東京に出て、翌日は世界らん展を見ました。


嵯峨野の竹林

清涼寺(嵯峨釈迦堂)

龍安寺仏殿と西の庭



☆「雪見の茶会」に行きました!

 2005年2月12日、第28回上杉雪灯篭まつりの協賛掛け釜の「雪見の茶会」に行ってきました。
 場所は米沢市座の文化伝承館で、主催は米沢茶道連合会で、午後4時から8時まででした。席は3席あり、それぞれの流派の違いなどの楽しみもあり、さらには観光客の方々の参加も多く、いつものお茶会の雰囲気とは違うものを感じました。
 茶席の外には、雪ぼんぼりに灯りが点され、手桶にはほどよい温かさの手水が準備され、その中でいただく一杯のお茶にたとえようもない美味しさを見つけました。この寒いときの熱いお抹茶は、身の底から温めてくれます。たった一杯のお茶ですが、それを楽しもうとする方には、無限の楽しみがあるはずです。
 ぜひ、機会がありましたら、一杯のお抹茶を楽しんでみてください。


伝承館の門構え

清山庵の床

清山庵の道具組



☆「「福王寺法林展」を見てきました!

 2005年 1月20日、山形市の山形美術館で開催されている「福王寺法林展」を見てきました。
 この展示会は、昨年11月文化勲章を受章されたことを記念して開かれたものですが、米沢市出身ということもあり、ぜひ見たかったものの一つです。
 簡単に略歴を記しますと、1920年に米沢市で生まれ、画家を志し上京したのが1936年です。再興第34回院展に「山村風景」で入選して以来、数々の受賞歴があります。
 長年の夢であったネパールに取材に行ったのが1974年で、このポスターに載っている「ヒマラヤの花」(山形新聞社蔵)を描いたのは1983年です。そして日本芸術院会員になったのが1994年で、1998年に文化功労賞、そして2004年11月には文化勲章を受賞され、今日に至っています。また今年に米沢市名誉市民になる予定です。
 今回の展示会では、日本画30点のうち、ヒマラヤの絵が13点あり、そのいずれも大作で、シャクナゲの花が一面に描かれた「ヒマラヤの花」(福島県立美術館蔵)もあり、時間を忘れて魅入ってしまいました。図録も買ってきましたので、当分は毎日見続けるのではないかと思います。



☆「大根茶事」今年もやりました!

 2004年12月23日、米沢市座の文化伝承館で、今年も大根茶事をやりました。
 先ずは、寒いなかをいらっしゃったということで、一服のお茶を差し上げ、それからゆっくりと懐石を楽しみました。そしてメーンの「ふろふき大根」が出て、今年はさらに芋がゆまで最後に出されました。それをつくってくれた方は、戦前戦中を生き抜いてこられ、自らも毎日このような芋がゆを食べてこられたそうです。これはこれでとてもおいしかったのですが、毎日食べるとなれば、いまの人たちはきっとイヤになると思います。
 でも、年の終わりに、このような簡素なお茶を楽しめたことに、それなりの意義があろうかと思われます。きらびやかな大寄のお茶会と違って、気心の知れた方々とのゆったりとしたお茶事は、見てくれよりお茶の道に沿うような気がします。
 今年で3回目ですが、ぜひ来年もこのようなお茶事を楽しみたいと思います。


この掛け物を書いた方も参加

先ずは簡素の道具でお茶一服

右上がふろふき大根です



☆「吉野・熊野・高野の名宝」展を見てきました!

 2004年12月8日、東京世田谷美術館で開催されている「吉野・熊野・高野の名宝」展を見てきました。
 これは世界遺産登録記念と銘打って開かれた特別展で、「祈りの道」という副題も付いています。私は縁あって、昨年の4月と今年の2月にこの祈りの道を訪ねることができました。ですから、再びあの仏たちに出会う喜びがあり、さらにはその時に、拝むことのできなかった仏たちとの新鮮な出会いもあり、身の清められるような時間でした。
 さらに、この東京世田谷美術館のあとに、国立国会図書館を参観することができました。
 だいぶ前のことですが、国立国会図書館の新館がオープンし、それを紹介する記事を見て、その設備のすばらしさや地下にある収蔵庫の活用法にびっくりしたことがあります。それを実際に自分の目で見ることのできるチャンスに、小躍りして喜びました。しかも、案内してくれた方はすごい役職の方で、私たちの質問にも分かりやすく納得できるようにお答えいただきました。
 ただ、残念なことに、あの地下8階から眺めた情景の写真を撮ることができなかったことが心残りです。
 それにしても、いろいろな体験のできた一日でした。



☆上杉鷹山-改革への道-開催されました!

 2004年10月9日〜11月23日まで、伝国の杜「米沢市上杉博物館」で、上杉鷹山-改革への道-の特別展が開催されました。
 これは、「成せば成る 成さねば成らぬ何事も 成さぬは人の 成さぬ成りけり」と詠んだ上杉鷹山公の改革への道を資料を通して紹介する企画展でした。今回は、国宝上杉本洛中洛外図屏風の原本も展示され、多くの参観者でにぎわいました。
 不景気になると取り上げられる鷹山公ではありますが、その優しい生き方に共鳴される方も多いと思います。私もその一人ですが、ぜひ鷹山公の人となりに触れ、自分の生き方をもう一度考えるいい機会にして欲しいと思います。



☆月釜に行ってきました!

 2004年11月7日、米沢市座の文化伝承館で開かれた月釜に行き、おいしいお茶をいただいてきました。
 ここでは、冬期間をのぞいて、毎月初めの日曜日に釜がかけられていて、誰でも参加できます。この日は、とても天気が良く、露地の風情も秋めいて、名残のお茶のような雰囲気が感じられました。下にそのときの写真を少し載せますので、雰囲気だけでも感じ取っていただければと思います。
 お茶は作法を知らないとどうしても敬遠してしまいがちですが、このような一般を対象としたお茶会で試しに飲んでみることも良い経験になります。


青山庵

青山庵から露地を眺める

青山庵でのお手前



☆演劇『心中天の網島』を観ました!

 2004年10月21日、川西町のフレンドリープラザで公演された『心中天の網島』を観てきました。
 これは流山児★事務所の創立20周年を記念する公演第一弾で、あの有名な近松門左衛門作『心中天の網島』を現代風に篠井英介が演出したものです。とても動きがあり、特に七瀬なつみさんの二役も見応えがありました。
 公演パンフにも書いてありましたが、「恋って何でしょう?」という永遠の問いが江戸時代と現代をつないでいるように思いました。
 もし機会があれば、ぜひ観てみてください。



☆当山神殿にアフリカの風が吹きました!

 甲子大黒天本山神殿で、2004年10月17日(日)午後6時から、アフリカの伝統と現代を織り交ぜたスライド&トークとカリンバ・ムビラ&太鼓のライブが開催されました。
 第1部では、ケニア在住の早川千晶さんがスライドを上映しながらのトークショーで、第2部はブルケンゲ(俵貴美・大西匡哉)の太鼓と近藤ヒロミさんのカリンバ・ムビラの演奏でした。
 いずれも印象に残るライブでしたが、あのカリンバ・ムビラの優しい音色は、今でも耳に心地よい音色となって残っています。私が今もときどき聞いている近藤ヒロミさんのCDは、「TAPIWA-おくりもの-」です。みなさんもぜひこのやさしい音色を体験してみてください。


太鼓の演奏

近藤ヒロミさんの演奏

ライブ終了後の一こま



☆映画『トゥー・ブラザーズ』を観ました!

 2004年10月6日、『トゥー・ブラザーズ』を観てきました。これは、カンボジアのジャングルにある古い寺院に暮らしていたふたごのトラの物語です。監督は『セブン・イヤーズ・イン・チベット』のジャン=ジャック・アノーで、いつも思うのですが、野生動物を力強く描くのはとても大変なことです。私も西ベンガルであの大地を揺るがすようなトラの鳴き声を聞いたのですが、まさに映画館に響き渡るようなすさまじいものでした。
 ぜひ、このトラの数奇な運命と冒険家エイダン・マクロリーや少年との交流など、人と動物とのふれあいを観ていただきたいと思います。アメリカ映画もダイナミックでいいですが、このようなヨーロッパ映画も心を揺さぶるものがあります。



☆『中国 国宝展』を見てきました!

 2004年10月1日、東京国立博物館 平成館で開催されている『中国 国宝展』を見てきました。
 これは中国の考古学の新発見と仏教美術が中心でしたが、とくに興味を引いたのが仏教美術です。あの重い仏像をここまで運ぶのに大変だったろうなあという思いと、ここにいながら御尊像を拝める幸せを感じました。中には私が訪れたことのあるお寺のものもあり、懐かしくなりました。
 会期は9月28日〜11月28日までですので、ぜひご覧ください。



☆当山神殿でKOH-TAO(コォ タオ)コンサート開催!

 甲子大黒天本山神殿で、2004年7月23日(金)午後7時30分から、KOH-TAO(コォ タオ)のコンサートがありました。
 彼らは東京を拠点にヨーロッパやアジアなどで音楽活動をしていますが、今回はある縁で当山での開催となりました。
 特に印象深かったのは、オルゴールの起源とされている親指ピアノ(カリンバ)の音色です。コンサートが終わってから演奏者のBUNさんに聞いたのですが、これらはみな自分で作られたそうで、指の爪でひくので爪もすり減っていました。そんな大変な苦労も感じさせない軽やかな演奏会でした。
 機会があれば、ぜひまた聴きたいと思います。


右がHARISHさん、左がBUNさん

主催者のせいのさんの挨拶

演奏に使われたカリンバ



☆西国三十三観音札所巡り Part.24

 さあ、これで最後の第16番札所音羽山清水寺です。
 五条坂からちゃわん坂の方に向かい、いかにもかって知ったかのように歩きました。考えてみれば、この清水寺には少なくても5〜6度は来ているはずです。この前訪ねたときも京都陶磁器会館や朝日堂を見て歩きましたが、今日は一心参りです。寄り道をせず、そのままちゃわん坂を上り、清水寺の山門前に立ちました。
 この山門は、色鮮やかな朱塗りになっていて、ちょっと浮いたようにも見えますが、そのまま三重の塔のわきを抜け、拝観券を求め、本堂に向かいました。この舞台造りは、西国三十三観音札所のなかにもいくつかの寺院で見かけましたが、やはり一番大がかりで、見事なものです。ちょっと人が多いのが難点ですが、先ず本堂西側に祀られている大黒天に参拝し、それから本尊さまの十一面千手千眼観世音菩薩にお参りしました。しかし厨子の中に祀られていると思ったのですが、現在は保存のため宝蔵殿に移されていると聞き、ちょっとガッカリしました。確かに文化財といえばそうかもしれませんが、信仰者の立場からいえばお参りをする対象であり、保存云々の問題ではありません。そこにいらっしゃると思ってお参りをしたのに、別なところに保存されていると聞けば、いささか肩すかしを食らったようなものです。もちろん、本堂などの建物もそうですが、お参りをする場所であって、鑑賞するものではないはずです。この舞台の端でしばらく眺めていると、お参りをするというよりは、ただ見回している方々のほうが断然多いことに気づきました。それも本尊さまがいらっしゃらないのだから当然というば当然なのかとも思いました。
 それから釈迦堂や阿弥陀堂、奥の院などをお参りし、そのまま三重の塔のほうに向かって歩きました。そして、ふと、本堂の方を眺めてみると、その檜皮葺きの屋根の少しふくらみを持たせた優美な姿に目が釘付けになりました。今まで、何度も来て気づかなかった美しさです。この本堂は1633年に徳川家光の寄進で再建されたそうですが、屋根だけはその後も何度か補修されているはずです。それでもこのふくらみを残してきたことに、感動すら覚えました。山門や経堂、開山堂などにはない日本独特の丸みです。これを見つけただけで、ここを西国三十三観音札所の最後にして良かったと思いました。
 日本の宗教建築物の良さは、反り返った鋭さや、人を威圧するような大きさではないように思います。いわば優しいなで肩のようなもので、いつでも人を受け入れてくれるような寛容さです。宗教というのは、本来は、今生きて悩み苦しんでいる人たちを救うものでなければなりません。人を拒絶したり、寄せ付けないようなものでは困ります。誰でも気軽に訪ね、好きなだけ時間を過ごせるところが必要だと思います。

 この西国三十三観音札所をすべて巡り終え考えてみると、観音さまのご慈悲、優しさに触れた旅だったように思います。そして、その観音さまのご慈悲をそのまま他の人に差し向けなさいということだと感じました。観音さまの放つ慈悲の光りを、自分だけでなく、多くの人たちと共に、全身で受け入れることこそ有り難いものです。共に生き、共に楽しめる、その共にという姿に、人としての優しさ、柔らかさがあると思いました。最後に、今、私の床の間に掲げている元清水寺住職大西良慶師が書かれた『清風座中起』を紹介してこの連載を終わりにしたいと思います。
 よくお茶席で見かけるのは、『歩々起清風』ですが、これは一歩一歩あゆむごとに涼しい風が吹いてくるという非常に爽やかな情景を表しています。そして、さらに日々努力し続けた人の一挙手一投足がとても美しく感じられるという意味でもあります。では、『清風座中起』の清風も同じかというと少し違いまして、この清風は爽やかさだけではなく、なごやかな雰囲気にいつも包まれ、円満なさまをも表しているのだそうです。そういえば、大西良慶師が92歳のとき、ノーベル賞作家であるパールバックさんが清水寺を訪ねられたことがあります。そのとき、パール・バックさんが、大西良慶師に、自分の一生を振り返っていつの頃が一番よかったでしょうかと質問されたそうです。すると師は、即座に「そやなあ、今が一番ええなあ」とお答えになりました。  「今が一番ええなあ」・・・・・。この何気ない言葉ではありますが、92歳になって言えるということは素晴らしいと思います。その歳になれば、身体は思うように動かない、耳もよく聞こえないし、目もよく見えなくなる、いくらでも愚痴はでてきますが、「今が一番ええなあ」と思って暮らせれば、それぐらい幸せなことはありません。
 ぜひ、この連載をお読みいただいた皆さまがたも、この共に生き、共に楽しみ、さらには「今が一番ええなあ」と思いながら生きていただきたいものです。
 長い間の連載におつきあいいただき、本当に有り難うございました。心から感謝いたします。



☆西国三十三観音札所巡り Part.23

  第18番と第19番は歩いて回ったのですが、第15番札所新那智山観音寺(今熊野観音寺)は東山区の泉涌寺の近くにあるので、車を利用しました。市バス泉涌寺道から入り、10分ほど歩き朱塗りの鳥居橋を渡ると観音寺に着きます。ここは泉涌寺の塔頭寺院でもあり、四国八十八カ所お砂踏みでも有名なところです。
 石段の途中に子まもり大師像がまつられ、本堂わきの石段の上には大師堂もあり、ここは真言宗のお寺だということが分かります。本尊さまは十一面観音で、寺伝によると、空海がこの地を訪れたとき、熊野権現と名乗る老人が1寸8分の十一面観音を託し祀るように言い残したといいます。そこでその話しを聞いた嵯峨天皇の命により空海がお堂を建て、新たに1尺8寸の十一面観音像を造り、その胎内にその老人から託された観音像を納めたということです。現在は、その前立本尊がありお参りできるようになっています。
 本堂の右奥の小高いところに見える多宝塔は日本唯一の医聖堂で、日本の医学の発展に寄与した人たちを祀るのだそうです。これは昭和59年に完成しましたが、現在も本堂の一部を手直しをしていました。
 次に向かったのは、第17番札所補陀洛山六波羅蜜寺です。バス停の泉涌寺道まで戻り、市バスで清水道まで行き、そこから京阪五条駅のほうに進みました。何度か道行く人に尋ねながら細い路地を歩き、たどり着きました。ここは真言宗智山派ですが、市の聖として有名な空也上人の開基されたお寺です。ですから、ここにはあの教科書にも掲載されている口から化仏を吹き出している空也上人像があります。私には、意外なところで懐かしい像に出会ったような感じでした。それに、ここはあの六波羅探題があったところだというし、お寺の北側には六原小学校があるということで、寺名にも納得してしまいました。
 本堂は真新しく感じましたが、昭和44年に解体修理されたのだそうで、重要文化財です。そのとき発掘調査なども行われ、泥塔なども出土したそうです。本尊さまは十一面観音で、空也上人が市中を引き回したときの像だとありました。その本堂南角には、新しそうなブロンズの縁結び観音像が立っていて、修学旅行の女生徒たち、しかも今時珍しいセーラー服を着て真剣に手を合わせていました。
 ここで時計を見ると、もう午前11時45分。そういえば、これまで昼食は、ほとんどが車の中でパンやおにぎりを食べる程度でしたので、今日ぐらいは食堂で食べようと思いました。東大路通に出て、その通りに面した「甚六」というお蕎麦屋さんに入り、ノートをまとめながらお蕎麦をいただきました。やはり、ゆっくりといただくと、食べたような気がします。車の中で食べると、いかにも腹が減ったから食べるというだけです。ここで少しゆとりを持って最後の札所に向かいました。



☆『伊東忠太の世界展』見学ツアーに参加しました!

 伝国の杜「米沢市上杉博物館」で、2004年5月22日〜6月27日まで『伊東忠太の世界展』が開催されています。そのワークショップの一環として、見学ツアーが企画され、鶴見の総持寺にある伊東忠太のお墓をお参りし、その後、忠太が設計された築地本願寺や大倉集古館を見学するものでした。
 6月12日、山形新幹線で東京駅まで行き、そこから貸し切りバスでの移動でした。鶴見の総持寺では、ちょうど実峰良秀禅師600回忌法要が行われていましたが、私たちはまっすぐに伊東忠太のお墓に行き、清掃の後、お焼香をしました。ついでに、すぐ近くの石原裕次郎や浅野総一郎のお墓もお参りしました。そして、アクアラインの「海ホタル」で各自昼食ののち、築地本願寺に行きました。(左の写真は総持寺にある伊東家のお墓です)
 築地本願寺では、寺の由来から伊東忠太の設計された本堂の説明などもしていただき、さらに備え付けのパイプオルガンの演奏までありました。とても有り難く、その本堂に鳴り響く音色にしばし陶酔しました。
 そこからホテルオオクラ前にある大倉集古館に行きました。ここはだいぶ前に一度見学したことがありますが、今回は学芸員が案内してくれ、その展示の意図なども伺うことができ、とても参考になりました。ここは平成9年、創立80周年を記念して全館大改修が行われ、平成10年には国指定の有形文化財に登録されたそうです。
 特に国宝に指定されている「普賢菩薩騎象像」は、解体されたそのままに陳列されていました。こうすると、今まで気づかなかった部分まで確認でき、様々な角度から見ることができます。また、二階に上る階段のところに彫刻されたかわいらしい獅子像にも挨拶してきました。築地本願寺の階段部分にも同じように馬や象などの彫刻がありましたが、まさに伊東忠太の遊び心が感じられ、どっぷりとその世界に触れることができました。(右の写真が大倉集古館です)
 そして、午後5時36分発のつばさ123号で帰郷しました。楽しい、有意義な一日でした。



☆西国三十三観音札所巡り Part.22

 2月17日、おそらく今日で西国三十三観音霊場巡りも満願を迎えるという気持ちで起き出しました。昨夜の予定では、今熊野観音寺から初めて革堂で終わるようにするつもりでしたが、急遽、ホテルの近くの革堂からお参りをすることにしました。
 第19番札所霊ゆう山行願寺(通称革堂)は、中京区の寺町通りにあります。山号の「ゆう」という字は、パソコンのフォントになく、鹿の字の下に七という字を書き入れたものです。通称の革堂は、「こうどう」と読ませ、開基の行円上人は元狩人でつねに鹿皮の衣を身につけていたことによるのだそうです。その狩人だったとき、射止めた鹿の腹に子が入っていてまだ生きているのを見て、殺生の罪の深さを知り比叡山の横川で修行したといいます。鹿はお釈迦さまが初めて説法したところが鹿野苑ですし、そこにも鹿はいましたから、仏教と縁があるのかもしれません。
 本尊さまは千手観音で、宗派は天台宗です。比叡山の横川で修行した行円上人が開基ですから、当然といえば当然ですが、この当然がそうではないのがお寺の歴史の不思議さです。この西国三十三観音霊場を巡ってみても、ここは真言宗だろうと思っていたら、まったく違っていたということが何度もありました。それが悪いということではないのですが、なんとなく割り切れない思いはありました。ほかの世界ならいざ知らず、お寺だけは一貫したものがあってもいいのではないかと思います。
 ここから歩いて次に向かったのは、第18番札所紫雲山頂法寺(通称六角堂)です。ここは同じ中京区ですが、御池通からちょっと入ったところで、あの華道の池坊家元が住職を務めるお寺です。寺伝によりますと開基は聖徳太子だそうで、本尊さまは如意輪観音で秘仏になっています。そのかわり、同じお姿をされた前立仏が祀られ、また重要文化財に指定されている毘沙門天像も安置されています。池坊というぐらいですから、大きな池でもあるのかと想像していたのですが、作りがけの小さな池があるだけでした。正面から見ると六角堂には見えないのですが、わきから見ると六角形の端正なお堂が見えます。なにぶん境内地が狭いので、見渡すということまではできないのですが、なんとか山門のぎりぎりの所からお堂の写真も撮れました。先ほどの革堂もここの六角堂もそうですが、いわば町衆の信仰で護られてきたお堂で、集会場の役目もしていたようです。だからかもしれませんが、人を威圧するような建造物もなく、ただ本堂だけがひっそりと建っているように見えました。



☆西国三十三観音札所巡り Part.21

 2月16日午後1時、第24番札所紫雲山中山寺に到着しました。ここは兵庫県宝塚市にあり、阪急宝塚線の中山駅からすぐのところにあります。この日は縁日に当たっていたのかどうか分かりませんが、お参りの方が多くいました。石段のわきにエスカレーターが完備されていて、お年寄りにはとてもやさしい設備です。これには賛否両論があるかもしれませんが、足腰の都合により選べることはありがたいと思います。
 中山寺は真言宗中山寺派の大本山で、本尊さまは十一面観音で、毎月18日にご開扉されるそうです。ここは、長谷寺の徳道上人が石棺に宝印を納めたのを花山天皇が掘り起こし、それをきっかけとして西国三十三観音霊場を再興したといういわれのある寺でもあります。そのような縁で、ここが西国三十三観音札所の第1番だったこともあるそうです。
 この本堂の裏手には、大師堂があり、そこからは市街地を一望できます。さらに上ると中山観音公園があり、ハイキングコースもあります。参拝者を見ると、ここが市民の憩いの広場になっているような感じです。また、ここは安産祈願の寺としても有名で、若い夫婦や赤ちゃんを抱いてお礼参りをする姿も多く見かけました。
 ここから次に第22番札所補陀洛山総持寺に向かいました。いったん国道171号線に戻り、東海道本線の摂津富田駅近くで細道に入り、茨木市の総持寺に着いたのが午後2時25分でした。すぐ駐車場に車を停め、立派な山門をくぐり、本堂にお参りしました。本尊さまは千手観音で、織田信長の茨木合戦の際、ほとんどの堂宇を焼き尽くされたが、本尊さまだけが下半身は黒こげになったものの上半身は焼けなかったといいます。ご開扉は4月の1週間だけですが、火伏せ観音とも呼ばれ、参詣者も多いそうです。また4月18日には、テレビなどで見たことがありますが、食材にはいっさい手を触れずに調理する「山陰流(四条流)包丁式」があるということでした。
 ここから、さらに第20番札西山善峰寺に向かいました。ここは京都市西京区にありますが、まったくの山の中の寺でした。国道171号線の長岡あたりから一般道に入り、細い山道を15分ほど入ったところにありました。総持寺を出発したのが午後2時55分で、善峰寺に到着したのが午後4時ですから、1時間少々かかったことになります。すでに参詣の方は一人もなく、静かにゆったりと、しかもお寺の人の勧めで本堂の中に入ってお参りできました。本尊さまは千手観音で、天台宗に属しているということでした。
 お参りをすませ、さらに石段を上ると、枝を長く伸ばした松がありました。これが「遊龍の松」で、樹齢約600年で枝の長さが北に11m、西に28mということでした。高さは、3mもなさそうですから、まさに横に龍が広がったような形をしています。そのわきから、京都市内を眺めると、ここがいかに山寺かということがよく分かります。
 時計を見たらまだ午後4時35分です。もしかすると、もう一カ所今熊野観音寺まで行けるかもしれないと考え、出発しました。しかし、国道171号線に入る手前で渋滞に巻き込まれ、171号線に入ったのは午後5時12分を過ぎていました。もうまっすぐレンタカーの営業所に向かうしかありません。途中の東寺付近のガソリンスタンドで満タンにし、河原町営業所に着いたのが午後5時46分でした。返す予定は午後6時ですから、なんとか間に合いました。メーターを確認したら、18,979Kmですから、今日の走行距離は、153Kmでした。京都河原町を出発し、京都府亀岡市、大阪府箕面市、兵庫県宝塚市、大阪府茨木市、そして京都市西京区と153Kmの札所巡りでした。



☆こまつ座『太鼓たたいて笛ふいて』を観劇!

 2004年5月7日、川西町のフレンドリープラザで井上ひさし作、栗山民也演出『太鼓たたいて笛ふいて』を観ることができました。
 若き日の林芙美子が文壇に登場する前後から、戦争をはさんでのちの半生を描いたもので、舞台狭しと動き回る役者たちに感動しました。大竹しのぶの演技もさすがでしたが、梅沢昌代と木場勝己のうまさも際だっていました。さすが、2002年の演劇賞を総なめにした舞台だけのことはありました。その再演最後の川西町のフレンドリープラザで観ることができたのです。
 考えれば、自分が太鼓たたいて笛ふいて他の人たちを踊らせたら、やはりその責任はちゃんと自分がとらなければなりません。今の世の中は、太鼓たたいて笛ふいても、肝心なところで責任逃れをしているように感じます。責任をとることがたとえ自分の命を縮めることになったとしても、それは仕方のないことです。だって、自分で太鼓たたいて笛ふいてわけですから・・・・・
 いつも思うのですが、井上ひさしの演劇はおもしろく、ちょっと悲しく、ちょっと考えさせられます。



☆西国三十三観音札所巡り Part.20

 2月15日は名古屋市内のホテルで会議でしたが、その晩に京都まで移動しました。翌16日は、朝に京都市内の営業所で新たにレンタカーを借り、出発しました。今日の車は、走行距離数18,826Kmの濃紺の「bB」です。
 初めに向かったのが、第21番札所菩提山穴太寺です。ここは京都府亀岡市にあり、約1時間ほどで到着しました。途中、新しい道などもあり、少し迷いましたが、着いてみるとのどかで少し寂れたような雰囲気の漂うところにありました。ちょっとはげかかった土壁もとてもすてきでした。ここは天台宗に属し、本尊さまは聖観音ですが、昭和43年に盗まれたまま、現在も行方知らずだそうです。現在の本尊さまは、佐川定慶仏師作だそうですが、以前と同じように33年ごとにご開扉されるのだそうです。
 私が感心したのはむしろ庫裡とおぼしき建物で、飾らない質素な感じにとても好感が持てました。今は、少し余裕があると、とんでもない庫裡を建て、下手すると本堂より豪華な建物に住んでいる宗教者もいます。それでは本末転倒です。それにひき替え、ここは古い建物をとても大切に使い、生活も質素にしているという感じが伝わってきます。もちろん現実は分かりませんし、後から知ったことですが、この建物は日光輪王寺から贈られたもので、江戸時代中期の陣屋造りだそうです。それでも、私はここを今回の一押しにします。ぜひ機会があれば訪ねてみてください。
 ここを出発したのは、午前10時37分で、兵庫県宝塚市にある中山寺を目指しました。国道423号線を兵庫県に向かって走っていると、まったく偶然に「勝尾寺」の標識を見つけました。ナビにばかり頼っていては見つからなかったかもしれません。そこで、少し戻り、その標識の示す方向に向かいました。山道を上り、午前11時20分には勝尾寺に着きました。ここは大阪府箕面市にありますが、箕面川治ダムよりもっと先の方です。
 第23番札所応頂山勝尾寺は、明治の森箕面国定公園の一角にありました。境内はきれいに整備され、とくに多宝塔を望む石段の両脇には大株の西洋シャクナゲが植えられてありました。花時には、素晴らしい景観になることと思います。そこを右に曲がり、さらに左に曲がり、ちょっと下ったところに本堂がありました。ここは高野山真言宗に属し、本尊さまは十一面千手観音です。でも、本堂を塗り直したのかどうかですが、あまりにも朱の色が強すぎます。山内の自然景観に浮き上がっているように見えます。もちろん、この見え方には個人差はあるでしょうが、私にはそのように見えました。
 約1時間ほど参詣し、出発したのは午後12時10分でした。途中、箕面ビジターセンターがあり、箕面滝は「日本の滝100選」にも選ばれているそうですから、季節の良いときにもう一度来てみたいと思いました。そして、国道171号線を中山寺に向かいました。



☆西国三十三観音札所巡り Part.19

 2月14日、午後1時ころ高野山の大門に到着しました。ほぼ予定した時間です。途中でコンビニにまわり、パンとお茶を買い、車の中で昼食をすませました。
 すぐ、一の橋の近くに車を停め、奥の院への参道を歩きました。道の両側には雪があり、ひんやりとした空気がほほに冷たく感じました。一の橋と中の橋の途中にあるわが家のお墓に詣り、突然思い出したように来山した理由などを報告しました。そして、奥の院まで行き、今度は宗祖弘法大師に今回の西国三十三観音札所巡りのいきさつなどを話し、ご法楽を捧げました。ここは、いつ来ても心が引き締まる思いです。いまでも弘法大師はここに入定し、いらっしゃるということが当たり前のように感じられます。多くの人たちも、何度も般若心経を読み、その声が奥の院にこだましていました。
 その参道を戻るとき、御廟橋のところで修行僧とすれ違いました。その真剣なまなざしを見たとき、やはりここに来て良かったと思いました。なんでもそうですが、初心に戻るということは大切なことです。生きていて、知らず知らずのうちに垢やほこりにまみれ、それにすら気づかない忙しい日常を過ごしています。この知らず知らずが怖いことで、もう後戻りできないほど自分が変わってしまっていることに気づいてがっくりすることもあります。そんなとき、本当の自分を取り戻すには、もう一度自分の原点に立ち返ることです。私がこの高野山の奥の院に立ったのは、昭和49年3月末のことでした。それからちょうど30年。あのときここで感じたこと思ったことのいくつかを思い出しました。これをしたい、こんなことをやってみたい、ということなども輪郭だけですが思い出します。その思い出したことなどを考えながら、参道を下りました。できたこと、できなかったこともありますし、そのときは考えもしなかったことをしていることもあります。やはり30年の時間の隔たりは、相当なものです。
 一の橋を渡り、一般道に戻り、かさ國というお菓子屋さんで名物の「みろく石」を買い、それから高野山真言宗の総本山である金剛峯寺に行きました。この宗派は全国に3,600ケ寺あり、この高野山の中心でもあります。聞けば、地理的にもこの山上のほぼ中心にあるそうです。
 そこから壇上伽藍に行き、金堂、根本大塔、御影堂などを巡拝しました。この根本大塔は、弘法大師が高野山を開創されたとき、一番最初に手がけられた建物です。ただし現在の根本大塔は、昭和12年に再建されたもので、高さ約49m、四方約24mの建物です。内部は、中央に胎蔵界大日如来、四方に金剛界四仏、周囲16本の柱には堂本印象画伯の十六大菩薩などが描かれ、それ自体立体曼荼羅を表していますから、いわば真言密教のシンボルでもあります。
 ここまでゆっくりとお参りをして歩いていたら、もうすでに午後3時15分です。上ってくる途中の道の両側には残雪があり、下りの道が凍り始めるかもしれないし、さらには午後6時までには和歌山市内の営業所にレンタカーを返さなければなりません。初めてのところですし、夕方になれば道も渋滞するかもしれず、少し早めに下りることにしました。車に乗り込み、大門を通過するころには午後3時30分を少し過ぎていました。
 そして和歌山駅近くの営業所に着いたのが午後5時ころで、予定通りの行程でした。車のメーターを確認したら、今日2月14日の走行距離は、196Kmでした。二日間で420Km走ったことになりますが、これでこの新車「ist」ともお別れです。そして、何よりも無事故で過ごせたことに感謝です。



☆西国三十三観音札所巡り Part.18

 2月14日、朝7時30分に丸浅旅館を出発し、第4番札所槇尾山施福寺に向かいました。ここは標高530mの槇尾山中腹にあるということなので、それなりの覚悟をして行ったつもりでしたが、山道に入ったにもかかわらず、小さな案内板すら見あたりません。とうとう砂利道になり、車もすれ違えない細い道になり、峠を越えてしまいました。その近くで施福寺への道を聞いたら、もう一度戻らなければならないと聞き、その通り進んだのですが、車のナビすら「目的地周辺です。案内を終了します」といいだす始末です。しかたなく、車で入れるところまで入ったら、車が1台とまっていました。その隙間になんとかとめ、その道を歩き出しました。誰一人通らない山道を途中何度も不思議な気持ちになりながら歩くと、その檜の林の山道に小さな石仏が祀られ、シキビが添えられていました。それに心を強くし、さらに20分ほど歩くと、やっと施福寺の本堂が見えてきました。
 そこで初めて気がついたのですが、そこは裏道で、通行止めになっていました。だから誰一人通らなかったのです。その訳が分かると安心し、今度はゆつくりとお参りできました。本尊さまは十一面千手千眼観世音菩薩で、一年に一度、5月15日にご開扉されるそうです。宗派は、天台宗ですが、案内板によると、若き空海がここに住持していた勤操大徳を慕い来て、剃髪得度をしたということでした。その跡も現在は愛染堂として残っています。ということは、もしかして、あの人っ子一人通らないような山道を空海も上ってきたのではないかと想像がふくらみ、導かれるようにあの裏道を歩かざるを得なくなったのではないかとさえ思えました。さらに、ここで剃髪得度をしたということは、ここが仏道修行の初めだとすれば、その終着点は高野山ではないのか、だとすれば高野山にもお参りしたいと考えました。
 そこで、すぐにあの裏道を戻り、車を山道から一般道まで下げ、ナビでこれからの予定を立てました。今の時間は午前9時50分だから、今朝から予定していた第5番札所の紫雲山葛井寺までは約1時間で行けそうです。そこから高野山までは、距離にして55Kmほどだからこれも何とか昼過ぎには着きそうです。それなら、やっぱり高野山には行きたい、ということで、先ずは藤井寺を目指しました。仲哀天皇陵のわきを通り、藤井寺商店街のアーケードの手前で車を駐車し、葛井寺にお参りしました。ここの本尊さまは、天平時代に作られた十一面千手千眼観世音菩薩で、中が空洞の脱活乾漆造りです。もちろん国宝に指定されていて、しかも秘仏ではなく、毎月18日にご開扉されるのだそうです。絵はがきで見ると、ぜひ次の機会には18日に来て、ゆっくりお参りしたいと思わせる優しさをしていました。
 そして、きびすを返すように、今来た国道170号線を戻り、富田林、河内長野、そして橋本を通過し、高野山を目指しました。



☆西国三十三観音札所巡り Part.17

 熊野三山、すなわち那智大社・速玉大社・本宮大社を順に参拝し、そのまま第2番札所紀三井山金剛宝寺(通称紀三井寺)に向かいました。本宮大社をちょうど12時に参拝し、すぐ車で出発し、紀三井寺に着いたのが2時間45分ですから、ここまで2時間45分かかったことになります。
 ここの寺名は、正式には金剛宝寺護国院といい、救世観音宗に属し、本尊さまは十一面観音です。ご開扉は50年に一度、1ヶ月だけだそうです。ここに至る231段の石段は有名で、かの紀伊国屋文左衛門が母を背負いお参りに来たとき、その石段の途中で草履の鼻緒が切れ、困っているところを玉津島神社の宮司さんの娘さんが直してくれ、それが縁で二人は結ばれ、その宮司さんが資金を出してくれたみかん船で大儲けしたという縁起が残っています。その紀三井寺の名は、石段途中にある「清浄水」と、同じく境内地にある「吉祥水」と「揚柳水」をあわせた三つの井戸から起こったとあります。
 境内地にはサクラの木がたくさん植えられていて、花時は見事だと思うが、まだ春浅い2月中旬、常緑樹だけが青々としているだけでした。でも、だからこそ遠くに和歌の浦がよく見渡され、万葉の世界に遊ぶような心地がしました。
 時計を見たら、まだ午後3時20分。予定ではこのあたりに宿泊するつもりでしたが、この時間ではまだ3番札所の粉河寺まで行けそうです。急いで車に戻り、粉河寺を目指しました。
 第3番札所風猛山粉河寺に着いたのは、4時15分でした。茶店も片づけようとしていましたが、声をかけ、このあたりで泊まれるところはないですかと聞きました。すると、自分の自宅の前が旅館だから聞いてあげるといい、すぐ電話をしてくれました。こうして、今日泊まるところを確保してから、ゆっくりとお参りしました。
 本堂は、桃山時代に作られたという粉河寺庭園に囲まれ、その豪快な石組みとサツキの刈り込みのまとめ方はさぞやと思わせる風格です。宗派は、粉河観音宗といいますから、独立した一派かもしれません。本尊さまは千手観音で、お参りをしながら見ましたが厨子の中でした。
 この寺の近くに真言宗の根来寺がありますが、一昨年お参りしたので今回は遠慮しました。参詣をすませ、先ほどの茶店で聞いた山門前の旅館「丸浅」に向かいました。夕食はできないと言われていたので、途中で弁当を買いました。昔の商人宿のような雰囲気でしたが、ここまで足を伸ばすことができたことに感謝しました。しかも、レンタカーはまだ428Kmしか走っていない新車同様の車で、快適に乗ることができました。走行距離224Km、西国三十三観音札所巡りも順調な滑り出しです。



☆西国三十三観音札所巡り Part.16

 また連載を再開します。
 平成16年2月12日から西国三十三観音札所巡りを再開しましたが、12日は午前7時42分に米沢を出て、東京、名古屋で乗り替え、紀伊勝浦に到着したのが午後4時42分でした。ですから、9時間かかってここ勝浦に着いたことになります。勝浦は漁港としても有名で、聞きましたらマグロ料理が美味しいということなので、夕食はマグロ丼を食べました。
 実質的な札所巡りは、翌13日からはじまりました。午前8時30分にレンタカーを予約していたので、その時間まで営業所に行き、手続きを済ませすぐ出発しました。目指すは、西国三十三観音1番札所那智山青岸渡寺です(写真右)。約20分で那智の滝周辺の駐車場に着きました。そこから歩いて先ず青岸渡寺本堂にお参りし、ご朱印をいただきました。ここ熊野は、いにしえから信仰のメッカであり、「熊野詣で」という言葉が残っているほどです。さらにここは第1番札所ですから、特別な感慨もあります。ゆっくりと観音経をあげ、これからの札所巡礼の無事満願も祈念しました。ここの本尊さまは、如意輪観音で、宗派は天台宗だそうです。でも那智の滝、飛滝権現の本地仏は千手観音ですから、なかなか分かりにくいところもあります。
 少しゆとりが出て、あたりを見渡すと、すぐ隣り合ったところに那智大社がありました。案内板を見ますと、ここ那智大社と速玉大社、本宮大社で熊野三山というとあります。出羽三山などは、本当の三つの山があるのですが、ここは信仰の社が三山という形に表れているようです。この那智大社を参り、ここのシンボルでもある那智の滝を拝むべく歩き出しました。もちろん、ここまでは音も聞こえず、案内図が頼りです。もう一度青岸渡寺の前を過ぎ、斜面の道を歩くと朱塗りの三重の塔が見えました。その遙か後ろに、絵に描かれているかのように那智の滝が見えました。この三重の塔と那智の滝を組み合わせ、写真を何枚も撮りました。そして、この三重の塔に上り、那智の滝を眺めましたが、水量も少なく、日本一の実感がわきませんでした。でも、心の中では、遙か昔、ここを目指して歩いてきた人たちの思いがしのばれ、豊かな時間を過ごすことができました。
 そこで、この機会を生かして熊野三山を順に参拝することにしました。ここ那智大社をお参りしたのが午前9時30分、そしてレンタカーで速玉大社に着いたのが10時20分、さらに本宮大社(写真左)でお参りしたのがちょうど12時でした。
 昔は、それこそつづら折れの道をひたすら歩いて、一社一社時間をかけてお参りしたのでしょうが、今はたったの2時間30分ですべて回ることができます。それが良いか悪いかは分かりませんが、私はむしろ不幸なことだと思います。お参りは、いわば心の整理でもあるわけだから、十分な時間をかけてお参りできる方がはるかに有意義です。それで、熊野本宮大社までの熊野古道を少しだけ歩いてみましたが、ここが霊場として全盛期を誇った平安末期の人々の信仰心がほんのひとかけらですが分かるような気がしました。もちろん、今から800年ほども前のことですから、ただそのような気分になれたということに過ぎないと思いますが・・・・・。



☆大根茶事をしました

 2003年12月13日(土曜日)、友人が育てた大根の出来が良かったので、それをほろふき大根にしてお茶事をしました。その味噌も持ち寄りで、しかも私が青竹を切って入れ物を準備しました。その写真が右です。
 お抹茶というと、どうも堅苦しい雰囲気を想像してしまいますが、昔はお茶菓子が干し柿だったり身近で手に入るものを使って楽しんでいたようです。だから、大根を煮て、それを懐石(もともとの意味は、暖めた石を懐に入れて暖をとる程度の料理)にしてもいいわけで、今回はそれだけではお腹が一杯にならないのでニシン蕎麦を最後にいただきました。
 今のお茶事は、珍しいもの、手のかかるもの、それも懐石というよりは食べきれないほどのものが出てくるようです。さらにお茶の道具は、名品ぞろいで、おそるおそる手にするものばかりです。しかも家元の書き付けがあるかないかなど、どうでもよいことを見所にしている風潮があります。お金さえ出せばそろう道具より、お金を出しても味わえないことのほうが大事です。
 たとえば、この青竹の味噌の入れ物ですが、箸も人数分、一生懸命作りました。持って帰りたいという人もいて、よろこんで使ってくれました。すごくうれしかったし、手塩に掛けて育てた大根もとても美味しかったです。そんな何気ないことを喜べることこそ私は大事だと思います。一杯のお茶を美味しく、みんなで楽しく飲む、それもお茶の心です。
 みなさんも、ぜひこのようなお茶事を楽しんでみてください。そんな意味もあって、ここに紹介しました。



☆高尾山薬王寺に参詣しました

 2003年12月9日(火曜日)、昔、ともに同じところで修行した仲間で、高尾山薬王寺に参詣しました。ここは、以前醍醐派だったのですが、明治14年、真言宗智山派の別格本山となり現在に至っていますが、平成元年に修験道の柴燈護摩道場が新設されてからは醍醐修験との関係も密になっているようです。
 私たちは、知り合いの僧に導かれ、薬王院大本堂にて護摩祈祷を受けた後、本坊にて精進料理をいただき、普段は開放されていない書院、方丈殿などを案内していただきました。ふすま絵やガラスの一枚一枚までもがすばらしいものでした。
 さらに、その後境内地を案内していただきましたが、飯縄権現堂(御本社)では、能の撮影が行われており、特別に舞っていただきました。そこで気付いたのですが、休憩している時の面はまるで緊張感のないただのお面ですが、ひとたび舞い始めると、その面が生き生きとした表情に変わり、喜怒哀楽までも表現するのです。まさにその落差がおもしろく、初めての体験でした。最後にその室町時代の作という面を外して持っていただき、写真まで撮らせていただきました。
 飯縄権現堂内で舞うのも素晴らしいアイディアですが、その時に出会えた私たちも、かけがえのない貴重な時間をいただきました。もし、このホームページをみていましたら、厚く御礼を申し上げたいと思います。



☆西国三十三観音札所巡り Part.15

 長谷寺の山門を抜け、門前町を眺めながら下ると、ちょっと右に曲がったところに「西国三十三所開基 徳道上人御廟所 番外 法起院」と書かれた石碑を見つけました。ここが番外札所の法起院です。この寺は、長谷寺を開いた徳道上人が晩年隠棲した寺で、天平7年(735年)に創建されたと案内板に書かれていました。それによると、「養老2年(718年)に徳道上人は突然の病気により、仮死状態になったとき、冥土で閻魔大王に会った。その閻魔大王から、悩める人々を救うために三十三ヶ所の観音霊場をひろめるように言われ、宝印を授けられ、この世に戻されたという。徳道上人は霊場を定め巡拝するよう勧めたが思うにまかせず、しかたなく宝印を中山寺に埋めたという。その宝印は約270年後、花山法皇によって掘り出され、西国三十三観音霊場巡りも再興され盛んになった。」ということです。
 これが西国三十三観音霊場の開基逸話になっていますが、それはそれとして単純に計算してもすごい年月がたっていることになります。その長い信仰の礎をつくられた徳道上人を本尊とする寺なので、今日まで18カ寺巡拝してきたことなどを思い出しながらお参りしました。しかもここは門前町の中にありながら、その喧噪もあまり気にならない静かな環境でした。
 法起院を出て、また長谷寺駅を目指し歩き出し、駅に着いたのが12時ちょうどでした。さあ、これからどうしようかと考えましたが、今日の夜まで東京に戻ればいいので、高校の修学旅行に一度行ったっきりの法隆寺に行くことにしました。長谷寺駅12時13分に乗り込み、12時23分八木駅に着き、乗り替えて12時28分発筒井駅12時50分着でした。そこからタクシーで法隆寺に到着したのが午後1時5分で、寺前のそばやさんで「柿ざるうどん」を食べました。この柿は、「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の柿だと思いますが、ただ柿色をしたうどんでした。一杯650円ですから、あまり文句も言えません。
 午後1時20分に法隆寺境内に入り、南大門、回廊、金堂、五重塔、大講堂などを順に見て回りましたが、修学旅行生も多く、やはり気分は文化財見学の雰囲気でした。世界最古の木造建築といわれれば、「ホホーッ」と思いますし、これが教科書にも出ていた仏像ですといわれれば、やはり「スゴイナー」と思います。平成10年に建立された大宝蔵院には、日本の仏教美術を代表する飛鳥時代の百済観音立像が展示されていましたが、ガラス越しでは参拝しようという気にはならず、仏さまも気のせいかかさついていました。2時間前に拝んだ長谷寺の観音さまはつやつやとしてすばらしいほほえみをしていたのに、ここの観音さまは目が沈んで生き生きとしていないのです。確かにすばらしい仏像なのですが、信仰されているとは感じられないのです。ちょっと寂しい気がしました。
 それでも夢殿は端正な八角堂で私の好きな形ですし、お堂の中に安置されている救世観音立像はいかにも飛鳥仏らしい瀟洒な仏さまでした。しかも、年二回、4月11日から5月5日まで、秋は10月22日から11月3日までしかご開扉しないそうです。だからお参りできたのですが、やはりありがたいと思いました。
 一通り拝観し、時計を見たら午後2時20分、急いでJR法隆寺駅に向かい、奈良駅からみやこ路快速に乗り換え、京都発午後4時21分の東京行き東海道新幹線に乗りました。これで西国三十三観音札所巡りの前段は終わりです。指折り数えると18カ寺お参りしたことになります。さて、この続きはいつ頃できそうかなあ、と考えながら新幹線で眠りこけてしまいました。



☆西国三十三観音札所巡り Part.14

 4月18日(金曜日)午前5時40分起床、湯を沸かしお茶を飲み、奈良公園に散歩に出ました。今日で西国三十三観音霊場巡りも一時中断し、夜には東京まで戻らなければなりません。ホテルから猿沢池、興福寺の五重塔と東金堂の間を抜け、奈良国立博物館から東大寺南大門まで歩きました。そして東大寺前の鏡池のところで写真を撮っていると、東大寺受付の戸が開いたのです。聞くと午前7時30分から入れるということで、ちょっと待って中に入りました。この広い東大寺大仏殿で、参拝していたのは私一人だけです。修学旅行の子どもたちの話し声も、甲高い声で話す人たちも誰もいません。世界最大の木造古建築の大仏殿の中で、752年に開眼された大仏さまにたった一人でご法楽を捧げ、このとてつもなく大きな大仏さまと一対一でお話しができるのです。そのゆったりとした経の声が、確かに大仏さまの耳に届いたような気がしました。それからゆっくりと大仏さまの周りを回り、もう一度正面でお経を捧げました。奈良に来て本当に良かった、と思いました。8時ちょっと過ぎ、大仏殿前の金銅八角灯籠のところまで来ると、修学旅行と思われる中学生がドヤドヤと入ってきました。これでまた、いつもの喧噪のお寺になるのでしょう。
 それから、二月堂や三月堂をまわり、西国第9番札所興福寺南円堂に着いたのは、午前8時40分でした。ここには一昨日もお参りしましたが、夕方でご朱印をいただけなかったので、このときいただきました。納経所の前には大きな藤棚があり、さぞ花時はきれいだろうし、夏の強い日差しの時には良い日除けになると思いました。この南円堂はきれいな八角形のお堂ですが、平成8年に解体修理されたと聞き納得です。南円堂があるのだから、北円堂もあるのだろうかと調べましたらこれがありまして、しかもこの北円堂は興福寺の建物の中でもっとも古く、1210年に再建されたと書かれてありました。南円堂の本尊は不空羂索観世さまで、西国ではここだけおまつりされています。毎年10月17日の大般若会のときだけご開扉されるそうです。
 そして長い朝の散歩からホテルに戻ったのが午前9時頃で、すぐ朝食をいただきました。すでに多くの方々は朝食が終わり、チェックアウトをされていましたので、一人でゆっくりと今日のこれからの予定を考えながら食べました。そして、ホテルを出たのが10時ちょっと前でした。
 10時14分発の桜井行きの電車に乗り、桜井駅で近鉄線に乗り換え、長谷寺駅に着いたのが10時55分でした。長谷寺駅でタクシーに乗ろうとしたら、ここはタクシーが少ないので乗り合いで行こうということになり、ある方と一緒に長谷寺まで行きました。その車の中で、少し話しをしたらぜひ長谷寺の中まで案内したいということになり、入山パスがあるというのでそのまま受付をフリーパスで通過しました。長い回廊を上り、本堂の受付でなにやら話していたと思ったら、いま許可をもらったので本尊さまの真下でお参りできるということでした。何がなにやら分からぬままに案内され、階段を下りたら、そこに左手に宝瓶、右手には錫杖を持った大きな十一面観音さまが立っていらっしゃいました。そのうっすらと浮かぶような金色のお姿に圧倒されながらも、その足下にぬかずきながら、不思議な縁を感じ、観音経を読誦させていただきました。そして外に出て本堂の拝所に立ちましたら、なかで山内の僧侶が出仕して法要が開かれていました。ということは、その法要の真っ最中に私が観音さまのお膝元で祈っていたのです。まったく不思議な縁としかいいようがありません。考えてみれば、ここの本尊は十一面観世音菩薩さまで、10mを超す日本最大の木像仏ですが、ほぼ同じお姿が鎌倉の長谷寺にもおまつりしていて、今年の2月にお参りしたばかりです。何か導かれるようにしてここまで来たかのような思いがしました。写真を撮ることも忘れ、ご朱印をもらうことも忘れ、回廊を下ろうとしたとき、ふと我に返りました。すぐ引き返し、西国第八番豊山長谷寺のご朱印をいただき、本堂や五重塔などの写真を撮り、たった一輪咲いていたボタンに見送られながら長谷寺を後にしました。西国三十三観音巡りの最後に、このような不思議なご縁をいただき、早く残りの札所を巡らなければと思いました。



☆西国三十三観音札所巡り Part.13

 4月17日、午後4時30分に西国第七番札所東光山竜蓋寺(通称岡寺)に着きました。行けるかどうかと考えたのは、距離的な問題より時間的な問題、すなわちご朱印がいただけるかどうかの心配でした。でも、なんとか間に合いました。
 ここは飛鳥の里を見下ろす高台にあり、天智天皇の岡宮旧跡に建立されたことから「岡寺」と呼ばれるようになり、竜蓋寺という名は、むかし農民を苦しめていた竜をこの寺の僧が法力で池に封じ込め、大きな石で蓋をしたという伝説に由来するのだそうです。朱塗りの山門をくぐり、石段を上ると入母屋造りの本堂があります。本尊は如意輪観音さんで、奈良時代の作で、丈六といいますから今の単位で4.6mほどあり、現存する塑像では日本最大級です。そう思って見るせいか何となく天平ののびのびとしたおおらかさが伝わってくるようです。しかも、平安後期からの六臂の如意輪観音さんと違い、二臂で右手には施無畏印(不安を取り除く)、左手には与願印(願いを叶える)と分かりやすいお姿をしています。
 その本堂手前右手の高台には、昭和62年に500年の歳月を経て再建された三重の塔が再建されていました。ここはシャクナゲも名物の一つですが、たった一輪、ほんの申し訳程度に咲いていました。もし、満開に咲いたならば、相当見応えがありそうです。その時期をねらって、もう一度来てみたいところでした。
 この岡寺の近くに教科書などでも有名な石舞台古墳があると聞いて、そこにも寄り道しました。ここは公園のようになっていて、その中央に石舞台があります。正確には、石舞台というより周囲に堀をめぐらした方形墳で、上を覆っていた土が流され、石室がむき出しの状態になったのではないかといわれています。巨石は30数個あり、これをどのように運び、しつらえたのか不思議です。ちょうど夕日がこの巨石を照らし、古代への感傷を引き出してくれました。
 でも、ここまで来たら、もう一カ所回らなければなりません。それは桜井市安倍の文殊院(通称安倍文殊)です。先日参拝した天橋立の切戸文殊とここの安倍文殊と、山形県高畠町にある亀岡文殊で、一般的には日本三文殊といいますが、今日お参りできれば、三文殊すべてにお参りしたことになります。そこでタクシーに急いでもらいました。
 時計を気にしながらも、なんとか間に合いました。この文殊院は、孝徳天皇の勅願によって大化改新の時に、左大臣となった安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が安倍一族の氏寺として建立したのが「安倍山崇敬寺文殊院」(安倍寺)で、鎌倉時代に現在の場所に移されてきたのだそうです。もちろん本尊は文殊さまで、獅子に乗った高さ7mほどの大きなお姿で、快慶作です。そして、本堂近くの文殊池には、安倍倉梯麻呂をまつる金閣浮御堂があり、その東岸には陰陽師安倍晴明をまつる晴明堂が建っていました。東岸高台には展望台があるとのことでしたが、そこをあきらめ、JR桜井駅に向かいました。
 ここ斑鳩の里は、もう一度ゆっくりと目的を持たずに歩きたいところでした。



☆西国三十三観音札所巡り Part.12

 今日(4月17日)は、長年の念願だった吉野の桜を見に行きました。吉野には二度ほど上っていますが、どちらも桜の季節ではなく、あの西行が「願わくは 花の下にて春死なん その如月の望月の頃」と詠んだその季節にその場所に立ちその桜を見てみたいと思い続けてきました。その想いがやっと叶う日です。
 朝6時15分起床、ゆっくりと準備をし、朝食を食べ、ホテルを出発したのは8時15分、近鉄奈良駅を8時28分に出発、大和西大寺駅で乗り替え、橿原神宮で再度乗り替え、吉野駅に着いたのが10時25分でした。電車の中では、昨日までのレンタカーと違い、ゆっくりと本を読んだり、削りかけの茶杓を磨いたり、この原稿のメモを執ったりしました。確かに車は便利ですが、電車の良さもあります。2時間は長いですが、何かをしていると瞬く間に過ぎてしまいます。
 吉野駅を下りると、駅前に上千本までの臨時バスが運行(350円)されていて、たった10分で到着しました。すると、それを待っていたかのように奥千本までのマイクロバスがあり(400円)、それに乗って奥千本の金峯神社前の参道入り口まで行きました。ここまでくれば、西行庵まで約10ほど歩くだけです。
 西行庵は、金峯神社からちょっと上り、南西の谷へ下ったところにありました。西行はここに文治年間(1185〜90)に住んでいましたが、現在の庵は後世のもので、世捨て人を象徴しようとしてわざと粗末に作ったような作為が見て取れました。でも、その庵から少し上ったところにある岩間の苔清水は、現在も涸れることなく湧き続け、ここで西行は、「とくとくと 落つる岩間の苔清水 汲みほすまでもなき住居かな」と詠んでいます。
 このあたりの桜は、まだ2分咲きほどで、しばらく西行に思いをはせていましたが、下山しました。奥千本から少し下がったところがちょうど満開で、高城山展望台からは遠く蔵王堂も見え、桜に染められた吉野山が一望できました。以前調べた本によると、修験道の霊木は桜と石楠花だと書いてありました。ここは修験道のメッカですから、桜が大事にされ、他の木は切っても絶対に桜と石楠花だけは切らなかった、だからこのように全山桜に埋もれるようになったのかもしれません。また、ここで、山桜にこのように多くの変化があることに初めて気づきました。芽だしが赤いのだけでなく、緑色のものもあり、それがまた微妙に変化し、ちょっと大げさかもしれませんが、一本一本違うような気がしました。現在では、桜というとソメイヨシノを指すような気風がありますが、これはたった一本の木から生まれた、まったく同じ遺伝子を持った桜です。いっせいに咲き、いっせいに散る桜です。でも、ここ吉野山の山桜は、一本一本ちゃんとした個性を持ち、他との違いを際だたせています。それで、山全体が桜色に染まるのです。この微妙な花の色の変化が吉野の桜のすばらしさだと思います。だとすれば、その吉野山にはなかなか行けないけれど、染井で生まれたこの桜、すなわちソメイヨシノもそれに近い美しさを持ってますよ、ということで名付けられたような気がしてきました。
 そんな桜をゆっくりと堪能しながら、奥千本から上千本と下り、蔵王堂にお参りし、吉野山ロープウェイで下千本の吉野千本口まで下りました。電車は午後2時38分発でしたが、今日も昼食も食べずに桜の下を歩いたことになります。いや、桜吹雪の中で、食べることさえも忘れてしまったようです。
 近鉄吉野線で壺阪山駅に着いたのが3時25分、それから西国第六番札所、壷阪山南法華寺(通称壺阪寺)に向かいました。本尊は、十一面千手観音菩薩さまで、とくに眼病に霊験あらたかと聞くが、ここが有名になったのが明治時代の世話物浄瑠璃である『壺坂霊験記』のお里沢市の話しからで、そんなに古いことではないらしい。しかも、境内には大きな石造レリーフや大観音石像、大石堂などが造られ、ちょっとやりすぎという感じがしないでもありません。まあ、いろいろな寺院があってもいいのでしょうが、私には石の硬さより木の柔らかさが良いと思いました。でも、本堂の中に自由に入ることができ、本尊さんに近寄って間近でお参りできることはとても良かったと思います。
 そして、次は時間的にちょっと無理かとも考えましたが、岡寺に行きました。



☆西国三十三観音札所巡り Part.11

 西国第二十六番法華山一乗寺は、清水寺から約1時間で着きました。途中曲がりくねった山道でしたが、ところどころに山桜も咲いていて、楽しく運転ができました。
 でも、ここでは駐車料金を300円、さらに拝観料も300円かかり、ご朱印も300円とお参りもなかなか大変です。しかし、そこの方に伺うと、縁日などはそれなりのお参りがあるそうですが、それ以外は札所巡りの方々だけだそうですから、それでこれだけの堂宇を護っていくのはこれでなかなか大変なようです。そんな話しを伺うと、せめてお賽銭だけはと思い大奮発しました。
 現在、本堂は解体修理中なので仮本堂でお参りし、ご朱印をいただきました。この仮本堂は、案内書で見ると常行堂らしく、この堂は聖武天皇の勅願による建立と伝えられていますが、何回かの火災に遭遇し、現在の建物は明治元年(1868年)に建てられたものだそうです。本尊は聖観音さまで、銅製の白鳳仏ですが、秘仏なので詳しくは分かりません。ただただ堂宇護持の大変さを思いながら下山しました。
 次は、そこから40分ほどで書写山圓教寺へのロープウエイ乗り場駐車場に着きました。時間は午後1時15分でしたが、今日も昼食は車の中ですませました。すぐ1時30分発のロープウエイに乗り、約4分、瞬く間に山上駅に着きましたが、以外や以外、そこから札所までが遠く、15分ほどかかりました。この山上駅から仁王門までの参道には、西国三十三ヶ所各寺院の本尊さまの写しが安置されていて、今までお参りした本尊さまを思い出しながら歩きました。
 その突き当たりの、見上げるような石段の上に、舞台づくりの本堂(摩尼殿)が見えてきました。ここが西国第二十七番書写山圓教寺で、西国三十三ヶ所霊場のもっとも西端に位置しています。寺域も広く立派な堂宇も多く建ち並び、西の比叡山と称せらるのも納得です。
 本尊は、如意輪観音さまですが、火災にあい、昭和8年の本堂再建のときに試作仏とされてきた仏さまを本尊さまとしてまつっています。1月18日だけご開扉されるらしく、この日はお姿を拝見できませんでした。それでも、この舞台のような回廊から眺める風景はとても素晴らしく、春の桜もいいが秋の紅葉もまたいいような気がしました。
 でも、いつまでもここにいる訳にはいきません。今日の午後5時までには奈良市内でこのレンタカーを返さなければならないのです。急いで参道を下り、ロープウエイに乗り、下駅の駐車場に着いたのが午後2時25分でした。すぐ出発して、山陽自動車道の姫路西インターから入り、大阪市内を抜け、奈良に着いたのが午後4時30分でした。すぐガソリンを満タンにして、トヨタレンタリース奈良に車を返しました。今日の1日の走行距離は335.8Kmですから、3日間の総距離数は785.6Kmになりました。
 そこの社員の方にホテルまで送っていただき、ホテルでちょっと片づけて、外に出てお抹茶とお菓子を買い、部屋でゆっくりとお茶を楽しみました。



☆西国三十三観音札所巡り Part.10

 4月16日(水曜日)、午前5時30分ごろ天橋立の方から朝日が昇るのが見えましたので、6時には起床し、今日一日の行程を考えました。見渡すと、雲一つない晴天で、今日はとりあえず奈良まで行くことにしました。朝食を食べ、8時5分には出発、先ずは智恩寺にまわりました。智恩寺といっても分からないでしょうが、切戸の文殊といって、日本三文殊の一つになっており、ちょうど天橋立の付け根のところにあります。
 せっかく天橋立に行くのなら、ここにはまわろうと最初から考えていました。日本三文殊の一つは山形県の高畠の亀岡文殊、そしてこれから行く予定の奈良の桜井市にある安倍文殊、この機会にすべてお参りすれば、少しずつ物忘れが激しくなってきたのが救われるかもしれません。
 ということで、切戸の文殊さまにお参りして、さらに廻旋橋を渡って天橋立を歩きました。小天橋、さらに大天橋を渡り、その松並木に覆われた3Kmを越えるというほんの一部の砂州の感触を楽しみました。
 そして、車に戻り、初めてガソリンを満タンに詰め、9時にはここを出発しました。目指すは、兵庫県加東郡にある清水寺です。
 舞鶴自動車道の三田西インターで下り、ゴルフ場が多くある地域を通り、昭和50年に開通したという有料道路(3Kmほど、300円)を走ると大きな駐車場に着きます。そこに昭和55年に再建された仁王門があり、最近塗り替えられたばかりのような鮮やかな朱塗りが目にもまぶしく感じられます。そこを通ると、第25番札所御獄山清水寺で、御嶽山頂上近くの標高500mほどのところにあります。
 本尊は十一面千手観音さまで、30年に一度ご開扉されるそうです。ここは何度も山火事や落雷などの災害に遭い、ご朱印は大正時代に再建された大講堂でいただきました。それでも、ここの環境が厳しいせいか、根本中堂や薬師堂などもそれなりの時代がかって見えました。帰り道、さの参道の途中に新しく「しゃくなげ園」が造られていましたが、ただ植え込んだようなもので、管理も良くありませんでした。ここは古くから山岳仏教の霊地でしたから、その意味でも霊木たるシャクナゲを植えたいということは分かりますが、ただ植え込めば育つわけではありません。植物のなかでも、シャクナゲ栽培は難しいほうで、もう少し研究の余地はありそうです。それと無造作に日本産のシャクナゲと西洋シャクナゲを混植させるのも考えものです。
 そんなことを考えながら、次の法華山一乗寺に向かいました。



☆西国三十三観音札所巡り Part.9

 4月15日(火曜日)午後2時20分に、第29番札所青葉山松尾寺に到着しました。高速道路を使ったこともあり、意外と早く着いたようです。また、カーナビ付きのレンタカーを借りたのも良かったようです。常には使っていないのですが、やはり全然知らない土地を走る場合には、とても便利です。一回一回地図を確認する必要もないし、いわばカーナビに教えられた通りに走ればいいのですから簡単です。今回はまったく初めての場所なので、行程なども分からず、最初の計画では三日目の舞鶴辺りで車を返す予定をしていましたが、このまま順調に走れば、明日は兵庫県をまわって奈良県まで移動できそうです。そこで、途中の賤ヶ岳パーキングエリアから大津唐崎の営業所に電話をして、明日の午後5時まで奈良で返すことにしました。変更料は隣の県ということで、かかりませんでした。
 さて、松尾寺は、若狭富士と呼ばれている青葉山の中腹にありますが、どこにでも「○○富士」というのがあるところをみると、日本人は富士山にあこがれ以上のものを抱いているようです。本尊は馬頭観音さんで、西国札所でここだけですが、そのせいか本堂前には唐金製の馬像も添えられてありました。聞くと、ここの本尊さんは秘仏で、鎌倉時代初期の三面八臂の忿怒像だそうですが、その前立本尊さんと同じお姿だといいますから、ヒンドゥー教のビシュンヌ像に近いと思います。また、本堂も珍しい宝形造りで、山門からだとその屋根の部分だけが遠目に見えます。
 ちょうど桜が満開で、その山門にかかるようにして咲いていました。ここも京都ということですが、京都市内はすでに葉桜でしたが、ここではゆっくりとお花見ができました。そして、最近は交通安全を願う人も多いということなので、私もしっかりと安全を祈願して、ここを出発したのは、午後2時45分でした。
 ここから、また国道27号線に戻って、天橋立を目指します。午後4時ごろ宮津市内に到着したので、先ず今夜の宿を旅館組合の案内所で紹介してもらい、それから第28番札所成相山成相寺に向かいました。ここは国道178号線の天橋立西岸の国分から左折して山道を約4Kmほど入ったところにあります。
 本尊は聖観音さまで、秘仏でご開扉もないようですが、高さ50cmほどで橋立観音とも言われているようです。本堂は入母屋造りで、内陣には左甚五郎作と伝えられる「真向の龍」の彫刻もあり、雪国とは思えない造りです。
 この本堂から、距離にして約1Km、車で5分ほどで弁天山展望台まで行けます。ここからは、天橋立はもちろん、雄大なパノラマ風景が一望できます。すでに今晩の宿は確保してあるので、この日本三景の一つ、天橋立をゆっくりと堪能しました。そして、今日までの西国三十三観音札所巡りを思い出し、ここがその最北端に位置することを改めて思い至りました。
 今日一日の走行距離は、280.2Kmでした。



☆西国三十三観音札所巡り Part.8

 4月15日(火曜日)、朝食を食べ、午前8時前に出発し、一路第33番札所谷汲山華厳寺を目指しました。8時40分に駐車場に到着し、仁王門をくぐり、境内地を進みました。今回は車で通り抜けましたが、この仁王門までの約800mほどの道の両側は、桜と楓の並木になっていて、お土産屋さんが並んでいます。まだ朝が早いせいか、店を開く準備をしていて、散った桜の花びらを掃いている方もいました。
 ここの本尊は、十一面観世音菩薩さんで、本堂までの石畳の参道にも「南無十一面観世音菩薩」と書かれた大きな奉納旗がいくつもありました。本堂は間口20mほどの立派なもので、その回廊を一巡すると本尊さまと結縁できるということでした。ここは、いつから始まったか分かりませんが、過去(笈摺堂)、現在(満願堂)、未来(本堂)にちなんだご詠歌が3首あり、納経も3印ありました。それぞれの場所でご朱印をいただけばいいのですが、同じところで同じ人が書いて朱印だけ違うというのは、ちょっと釈然としませんでした。本来は、ここが第33番札所でそれなりの感慨も生まれるかと思ったら、意外と淡々としたものでした。もちろん、順不同で道なりに巡拝しているからかもしれませんが、それなら33番目の寺院は、よほど考えて決めなければと思いました。
 ここを早々にお参りし、せっかく近くまで来たので横蔵寺に向かいました。その道の途中で、梅と桃と桜のそれぞれの花が満開に咲き乱れているところに出会いました。カメラマンらしき人が一人撮影に没頭していましたが、私もついつい何枚もシャッターを切りました。さらに巡礼の道連れのレンタカーといっしょに記念撮影もしました。後にも先にも、自分の姿を写したのはこの時の1枚だけです。
 さすが横蔵寺は名刹で、参道にかかる朱塗りの橋も情緒がありましたが、本堂も三重塔もりっぱでした。境内に植え込まれたモミジの新芽も柔らかく伸び出し、静かなひとときを満喫することができました。
 横蔵寺を出発したのは午前10時12分、ここから関ヶ原インター、そして敦賀インターまで高速道路を走り、国道27号線を舞鶴近くまで行き、第29番札所青葉山松尾寺まで車を走らせました。



☆西国三十三観音札所巡り Part.7

 4月14日、昼食を車の中ですませ、なんとか長浜港午後1時15分発の竹生島観光船に乗り込みました。乗船料は往復で2,980円です。いっしょに同乗したのがアメリカンスクールの子供たちで、聞くところによると遠足だとか、船に乗ること35分、そして乗船場で待っていたのが白装束に輪袈裟の巡礼姿の人たち、乗船場はちょっと不思議な雰囲気でした。
 ここ、竹生島は周囲約2kmの花崗岩からできた島だそうだが、周囲は切り立った断崖で、ここの乗船場からしか入島できない。
 先ず、みんなと同じように、まっすぐ前にある石段をそのまま上って鳥居を2つくぐり、急な石段を上りきると日本三弁才天の一つに数えられている弁財天本堂に着きます。たしか、石段は165段あったように思います。この本堂は昭和17年に建てられたもので、なかには聖武天皇の命で行基が刻んだ高さ25センチほどの弁財天がまつられています。そこから平成12年5月に再建されたばかりの三重の塔を左に見て石段を下ると、そこに第30番札所巌金山宝厳寺の観音堂があります。それにくっつくように唐門があり、これが国宝になっているそうです。そこをくぐり観音堂でおまいりをしました。本尊は、千手千眼観世音菩薩さまで、弁財天と同じように61年目ごとのご開扉だそうです。前回は1977年だそうだから、次は・・・・。
 次に観音堂から、有名な船廊下を渡り、今度は都久夫須麻(つくぶすま)神社にお参りしました。このように無理矢理分けたのは、明治時代の神仏分離令以降のことで、全国各地でこのようなおかしなことが今でも行われています。私にとっては、神さまも仏さまも同じく信仰してますから、かたちはどうであれ、気持ち的には同じことです。なお、都久夫須麻神社本殿は、国宝に指定されています。
 ここでは、長浜港でお茶券を購入してあったので、本殿右脇の小道を通って常行殿に行き、お抹茶を頂きました。聞くと、ここには飲み水がないので、すべて島外から運んでくるということで、さらに有り難く頂戴しました。さらに、この島には僧や神官以外は住むことが許されていないので民家もないそうです。まあ、この日本にも、そのようなところが一つぐらいはあった方がよいと思います。
 ここ竹生島は、あとはどこにも行けません。この石段で結ばれたところを、何度も行ったり来たりして、竹生島発午後3時15分に乗船しました。長浜には46分に到着し、車の中で地図を確認しましたが、今日はこれ以上巡拝できそうもありません。そこで、第33番札所谷汲山華厳寺を目指し、行けるところまで行くことにしました。結局、その日は、岐阜県大垣市に泊まりました。今日一日の走行距離は、169.6Kmでした。



☆西国三十三観音札所巡り Part.6

  4月14日午前8時30分、レンタカーを借りる手続きをして、9時に出発。普段はナビなど使ったことはないが、まったく初めての道なので今回はナビ付きにした。
 先ず目指すは第31番札所の長命寺、山号は姨綺野山(いきやさん)といい、仮名をふらなければちょっと読めそうもない。ここは寺名の通り、長寿健康祈願に訪れる人が多いという。もともとはバス停のある一般道路から石段で上るそうだが、これがなんと808段もあるそうです。私は、寺の道を通って長命寺庫裏の真下の駐車場まで行きました。大型バスで来ていた団体さんは、タクシーに乗り替え、ピストン輸送をしていましたが、それでも最後の100段ほどは自力で上らなければなりません。
 その石段の途中から見上げると、石組みの上に舞台のように造られた本堂は見事なもので、さらに上ると右手に大日如来を安置した三重の塔が見えてきます。それを感じてもらうために最後の100段を残したのではないかと勘ぐるほどでした。本堂前の広場から見ると、それら諸堂の屋根はほとんどが檜皮葺で、琵琶湖から立ち上る霧で苔むしていました。本尊は千手十一面観音さまで、千手、十一面、聖の三尊が一体の仏として聖徳太子が刻んだといわれていますが、秘仏なのでそう信ずるしかありません。
 次に向かったのは第32番札所の繖山観音正寺、この山号も読みにくく、これで「きぬがさやま」といいます。この寺は標高432.9 mの繖山の中腹に建ち、以前は上醍醐寺と並んで最大の難所と言われていましたが、五個荘のほうから新しい道が切られ、通行料さえ払えばすぐ近くまで行けるようになりました。私がお参りしたとき、ちょうど安土町の方から古い石段を上ってきた方がおりましたので聞きますと、50分ほどかかったといいます。たしかに時間をかけてゆっくりとお参りしたいと思うが、先を急ぐ身であれば、少しでも効率よくお参りしたいと思うのも人情です。今日からレンタカーにしましたが、ここも長命寺もバスで来るとすれば1日1寺しか巡拝できません。まあ、それでもいいとは思いますが・・・・
 ここの本尊は千手千眼観音さまで33年ごとにご開扉されてきましたが、残念なことに平成5年の本堂焼失で本尊さまも失われてしまいました。新しい本尊は、インド白檀で造られ、現在再建されている本堂に安置されることになっています。そういえば、長命寺の開基も聖徳太子でしたが、ここ観音正寺の開基もそうです。聞けば、ここ琵琶湖周辺には聖徳太子の伝説が多く残っているそうで、ここでは「聖徳太子が人魚に呼び止められ、その成仏できないでいる姿を憐れみ、観音像を刻み堂を建てて成仏させた、それが観音正寺のはじまりです」としています。
 ご朱印もいただき、再建中の本堂が1日も早く完成することを願い下山しました。時計を見ると、午前11時50分、予定では岐阜の谷汲山華厳寺に行く予定でしたが、時間がありそうなので長浜から琵琶湖に浮かぶ竹生島に行くことにしました。昼食は車の中でパンを食べて終わりです。



☆西国三十三観音札所巡り Part.5

 4月13日、午前9時に日本ツツジ・シャクナゲ協会全国大会が閉会され、その後、1931年に国の天然記念物に指定された「鎌掛谷のホンシャクナゲ群落」を滋賀支部の方に案内されて見学しました。たった一輪咲いていましたが、例年4月20日すぎが見頃だそうです。
 そして、今晩宿泊する大津市内のホテルに入ったのが、午後3時。この時間だとまだ第11番札所の上醍醐寺に上れるかもしれないと思い、すぐ身支度を整え、醍醐に向かいました。この日は、ちょうど桜会の日で、夕方にもかかわらず混雑していました(左の写真が下醍醐)。せっかくだからと思い、桜に囲まれた金堂や五重塔、大講堂などを巡拝し、女人堂を通って、上醍醐寺への参道を進みました。ここは、西国三十三観音札所巡りのなかでも最大の難所と言われているところであり、ここで修行していたときでも、上醍醐寺までの往復はきつかったものです。小さな子供さん連れの方がこれから上る方に「どのくらいかかりますか?」と声をかけられていましたが、「片道1時間30分ほどかかったみたい」と話していました。
 私は30年ほど前、30分で上ったことなどを思い出しながら、ほとんど休まず一気に上りました。そして、醍醐水のところで時計を確認したら、40分でした。そしてご朱印をいただく時間を気にしながら、すぐに観音堂に直行しました。本尊さんは聖宝理源大師が自ら刻まれたという准胝観音さまで、しばらくぶりでゆっくりとお参りしました。この観音堂は火災のために昭和43年に再建されたもので、私がいたときにはまだ木の香りが残るような真新しさを感じましたが、少し風格がついてきたようでした。准胝観音さまの准胝とは、心の清浄をあらわすと聞きましたが、まさにここまで上ってきてお参りしただけで、心が洗われるようです。(右が准胝観音堂です)
 ご朱印もいただき、後は時間を気にすることがないので、ゆっくりと五大堂や如意輪堂、開山堂などを巡り、冬の寒いときの五大力尊仁王会の前行(2月15日〜21日)修行をしたことなどを思い出しながら巡拝しました。このように、札所巡りの楽しみはたくさんあります。昔の人たちも、往路と復路を変えてみたり、その寺の縁起や史跡、伝説などを尋ねたり、また境内の季節の花を楽しんだりとしたようです。更には、門前の茶屋でお茶を飲んだり精進料理を楽しんだりもしました。そして、近くの神社仏閣にも立ち寄ったりとゆったりとした時間をもってお参りしたようです。ところが、最近は、ただご朱印を集めるだけの人が多くなったようですが、この札所巡りは、忙しい日常世界から離れたゆったりした異次元に遊ぶことでもあります。たしかに「癒し」という部分もありますが、そのような時間を持つことの有り難さを感じることが大切です。有り難いと思って札所巡りをするから、そこに素晴らしいご利益が芽生えるのです。
 そんなことを考えながら、桜の散り始めた醍醐寺を後にしました。



☆『ミレー3大名画展-ヨーロッパ自然主義の画家たち』を見てきました!

 2003年6月27日、午後から荻巣樹徳の会「千樹会」に出席するため少し早く山形を出て、午前中にBunkamuraザ・ミュージアムで開催されている『ミレー3大名画展-ヨーロッパ自然主義の画家たち』を見ました。ミレーは、昨年山梨県立美術館でミレーの「落ち穂拾い、夏」を見ましたが、今回はオルセー美術館所蔵の作品です。
 そのミレー3大名画とは、「落穂拾い」「晩鐘」「羊飼いの少女」ですが、どれも貧しいながらもその日常のままに描き、とくに「晩鐘」の祈りは敬虔な信仰に基づく姿で、気高い存在を感じさせるものでした。とても感動しました。
   そして午後2時から、荻巣樹徳の会「千樹会」総会ならびに講演会に出席しました。荻巣樹徳さんは、とてもすごい植物学者で、世界でプラントハンターと呼べるのは日本人の荻巣樹徳さんとイギリスではロイ・ランカスターだけである、という研究者さえいるほどです。それを裏付けるように、ザ・タイムズの『ア・センチュリー・イン・フォトグラフ』には彼が再発見したクリスマス・ローズの野生種が紹介され、また1995年には植物学や園芸の発展に貢献された人に英国王立園芸協会から贈られるヴェイチー賞を最年少で受賞するなど、日本ではあまり知られていない数々の業績があります。現在、東方植物文化研究所を主宰され、消えかかっている日本の伝統園芸植物を収集保存しています。
   そのようないろいろの体験からにじみ出てくるようなお話しは、とても真を突くもので、教えられることがたくさんありました。機会があれば、もっともっとお話しを伺いたいと思います。
 その後、清澄庭園の中にある涼亭(右の写真)で、懇親会が開催されました。この清澄庭園は、かつて紀伊国屋文左衛門がここに住み、さらに岩崎弥太郎が造園を計画し弟の岩崎弥之助が完成させたものですが、関東大震災で多大の被害を受け、その後東京市に寄附されたものです。昭和54年、東京都名勝第1号に指定されましたが、中央に大きな池があり、それを回遊する「回遊式林泉庭園」になっています。
 そこで、時間を忘れるほど語り明かし、まさにその道の達人たちの話しに酔いしれました。



☆『前田常作展-マンダラへの道』を見てきました!

 2003年6月11日、新潟市美術館で6月10日から7月13日まで開催されている『前田常作展-マンダラへの道』を見てきました。
 だいぶ前のことになりますが、ある本で前田常作さんの紺地に描かれたマンダラを見て、すごく感動したことがあります。それは今までのマンダラとは違い、宇宙そのものを感じさせるもので、いわば現代のマンダラでした。今にして思えば、まだコンピューター・グラフィクスが一般的ではないときに、あのようなデザインがあるということはすごい根気とデザイン力がなければならないと思います。
 今では、この種のソフトを使えば、比較的似たようなマンダラを描くことはできると思いますが、その想像力は誰にでもマネのできることではありません。まさにマンダラの世界に遊ぶ心地がしました。
 今年、西国三十三観音札所巡り(まだ18か寺です)をしたきたので、特に「西国巡礼」は、思い出とも重なって印象深く感じました。ぜひ機会があれば、見てください。



☆『兄おとうと』を観ました!

 2003年6月4日、川西町の「フレンドリープラザ」でこまつ座第69回公演『兄おとうと』を観ました。
 これは、作者の井上ひとし氏が遅筆堂の名にふさわしく初日延期になった新作もので、2時間10分休みなしで楽しめました。題材は、実在の吉野作造(宮城県古川市出身、1878−1933)を中心にしたもので、兄弟といえども、ものの考え方の違いから人生も大きく違ってきたことを明快に浮き出させたように思います。吉野作造は、「政治は一般民衆の意向によって行われねばならぬ」と言ったそうですが、井上ひさしは、「三度のご飯をきちんと食べて、火の用心をして、元気で生きられること」と単純明快に切り取ったのはさすがです。そして、台詞の中でも「なぜ、なぜ、なぜ・・・」を連発するくだりがありますが、私たちもつねにこのなぜを忘れてはならないと思いました。作者本人は、「重いようでいて軽く、まじめなようでいてバカバカしく」描いたということでした。
 でも、今回の作品は4月末の脱稿予定が5月5日まで遅れ、それから役者さんたちがけいこをして公演したことになります。確かに、作者が納得いくまで原稿を書くという姿勢もたいしたものですが、それから短時間でけいこの総仕上げをしてあれだけの演技をする役者さんたちもまたすごいと思いました。
 これで、こまつ座公演が延期されたのは9回目だそうです。



☆西国三十三観音札所巡り Part.4

 翌4月12日も小雨が降り、第11番札所の上醍醐寺登山をあきらめ、第10番札所明星山三室戸寺に行くことにしました。JR京都駅から乗りJR黄檗駅で下車、ここ黄檗は、3年ほど前、鉄眼さんの一切経の版木を見たくて、訪れたことがありますが、今回はまっすぐに三室戸寺に向かいました。
 高い垣根のある参道を進むと朱塗りの山門があり、「西国十番三室戸寺」と白文字で書かれていました。そこを入ると、右手はシャクナゲやツツジ、アジサイなどが植栽された大きな庭園があり、そのまま進むと階段手前に「ようおまいり」と剽軽な文字で書かれた石柱があり、そこを上ると重層入母屋造りの本堂がありました。ここの本尊さまは千手観音さまで、秘仏だとか。その本堂前には、多くの睡蓮鉢が並び、パンフレットによれば100種類ほどのハスが咲くそうです。
 その本堂わきの新しいような三重の塔をお参りすると、そのいわれに「三重の塔は江戸中期のものだが明治末に兵庫県三日月町の高蔵寺から移築されたもの」だと記されていました。しかも以前は参道左手の高台にあったものをここにさらに移築したとのことで、だから新しいように感じたのかもしれません。
 小雨の中をお参りし、タクシーも見つからないので、宇治方面に向かって歩き出しました。この平等院に続く道は、まさに『源氏物語』の宇治十帖の世界で、昨年久しぶりに再読したことなどを思い出しました。しばらく歩くとバス停があり、そこで待っていた方に伺ったら、すぐJR宇治駅経由のバスが来るとのことでした。そのバスに乗り込み、その方から60円のチケットをもらい、100円足して駅前で下りました。その優しい笑顔が雨空をすがすがしいものに変えてくれました。旅先で出会う優しさは、また格別なものです。その素敵な思いをいただいたまま、JR京都駅までもどり、昼までには日本ツツジ・シャクナゲ協会全国大会の会場に向かいました。それが、今回の旅の大きな目的でもあります。
 ここで、この西国三十三観音札所巡りも一時中断です。



☆西国三十三観音札所巡り Part.3

 次に向かったのは第13番札所石光山石山寺です。 すぐ近くを瀬田川が流れ、その岸に桜が植えられています。山門を入ると、桜とモミジの並木があり、さらに進むと拝観料を払い、天然記念物の硅灰石の岩塊がある場所に出ます。その左手蓮如堂わきの石段を上ると本堂があり、舞台造りになっていて、全体を撮影するのはちょっと難しそうです。石山寺と書かれた大きな提灯が目をひき、満開の桜も出迎えてくれました。ここは『源氏物語』、『枕草子』、『更級日記』などにも登場する寺で、本尊さまの如意輪観音は33年に一度のご開扉で、次は2024年だそうです。そもそも、三十三観音札所巡りの三十三というのは、法華経普門品(観音経)の中に観世音菩薩が三十三種類の姿に身を変えて救ってくださるという記述があるところからといわれていますが、そのためかどうかは分かりませんが、33年ごとのご開扉が何か寺かありました。
 次は、第14番札所の通称三井寺で、正式には長等山園城寺といい、天台寺門宗の総本山です。札所の観音堂は、南端の高台にあり、ここの展望台からは琵琶湖や大津市内だけでなく、満開の琵琶湖疎水の桜も見渡せました。ここの本尊さまも如意輪観音で、お参りさせてもらったときは午後4時50分で、なんとかご朱印をいただくことができました。(右の写真が三井寺)
 その帰り道、小雨のなかを琵琶湖疎水の桜並木のそばを通ったので、写真を撮りました(左の写真です)。ここは有名な桜の写真スポットで、何度も写真雑誌で見慣れた風景でしたが、実際に見るのは初めてです。しっとりと小雨に煙る桜もつややかなものでした。この晩は、JR大津駅から京都駅まで行き、京都市内で宿泊しました。



☆西国三十三観音札所巡り Part.2

  西国三十三観音札所巡りに出発したのは、平成15年4月11日です。朝米沢を発って、京都に着いたのは午後12時46分でした。ちょっと小雨でしたが、先ず最初に巡拝すべきは十一番札所の上醍醐寺です。というのは、ちょうど30年前、醍醐寺伝法学院で修行しましたが、もちろん上醍醐寺にも何度も上っています。その当時は、急ぐと30分程度で上れたのですが、さて今ならどのぐらいかかるのかと思いながら、JR京都駅から山科駅まで、そこで地下鉄に乗り換え醍醐駅まで行きました。
 でも、あいにくの雨で傘をさしながら醍醐寺まで歩きました。そこで、今日は上醍醐寺へ上ることをあきらめ、「醍醐寺霊宝館」を拝観しました。昨年、仙台市博物館で開催された「京都醍醐寺展」に出品されたのとほとんど同じだったのですが、鎌倉時代に制作された『十一面観音立像』は素晴らしい仏さまでした。何時間見つめていても、その穏やかな表情につい引き込まれてしまいました。今回は観音札所巡りということもあり、特に観音さまに惹かれるものがあったのではないかと思います。左上の写真は、醍醐寺霊宝館わきの満開の桜です。雨で、むしろしっとりとした趣がありました。
 次に向かったのは、第12番札所の岩間山正法寺、通称岩間寺です。ここは標高445mの岩間山中腹にあり、30年ほど前、上醍醐寺の開山堂から奥の院を経て、ここ岩間寺まで歩いたことがあります。
 本尊さまは、身丈15pほどの金銅造千手観音立像で、その観音堂わきには松尾芭蕉が「古池や蛙飛び込む水の音」と詠んだと伝えられる池がありました。本当に静かな山寺で、ここなら蛙が水に飛び込んでもその音が聞こえそうでした。



☆西国三十三観音札所巡り Part.1

 『大黒さまのホームページ』100回更新記念で、西国三十三観音札所巡りをしてきました。そして、その札所巡拝の様子などを、携帯電話とモバイルパソコンを使って、毎日『大黒さまのホームページ』に掲載しました。おそらくパソコンといっしょに更新しながら巡拝した方は少ないと思いますが、考えていた以上に多くの方々に見ていただいたようで感謝しております。
 やはり、旅は楽しいものです。『フォレスト・ガンプ 一期一会』という映画の中で、”人生はチョコレートの箱みたい、食べるまで中身は分からない・・・・”って言っていましたが、旅もしてみなければ分からないことだらけです。まったく初めての場所を、地図を頼りに進むことは新鮮な感覚ですし、そうしてやっとたどり着いた札所で味わう安らぎは、格別なものです。境内の一本の木も一草の花も、もちろん本尊さんとも初めての出会いです。
 山頭火の句に『心おちつけば水の音』というのがありますが、ゆったりと旅をしているとこの水の音が聞こえてきます。上醍醐寺に上る途中の女人堂後ろの渓流、琵琶湖に浮かぶ竹生島の宝厳寺に渡る船の波切る音、石山寺わきの瀬田川の流れなど、本当に軽やかに聞こえてきました。今回の旅で西国三十三観音札所すべてをまわることはできませんでしたが、ゆっくりゆったりということを心がけて心静かにお参りしてきました。
 この旅と、この旅で感じたことを、何回かに分けてここに掲載する予定です。



☆インドで考えたこと Part.12

 ヴァーラナーシー(ベナレス)の空港は、約12Kmほど離れたババットプール(Babatpur Airport)です。そこから飛行機が飛び立ったとき、大きなうねりを見せるガンジス河が見えました。
 雨が降り、その雨が大地を潤し、それがガンジス河に流れ込み、遠い遠い海まで続いています。それが水蒸気となって空に上り、再び雨となって降り注ぎます。この自然の循環を肌で感じたインド人が、自分たちもそのようにめぐると感じたのが「輪廻転生」ではないのかとふと思いました。太陽も月も朝夕を繰り返し、時間も季節も巡って、生きとし生けるものだけが死んだっきりというのはむしろ不自然ではないか、いや、人間を含めた生きものだって生と死を繰り返すのではないのか、このガンジス河を空から見て、そのようにも考えられるような気がしました。
 空港まで送ってくれた運転手さんは、「死ぬということは、古い服を脱いで、新しい服を着るようなものだよ」と言っていたのが、強い印象として耳に残りました。

※今回の「インドで考えたこと」で、いちおう連載は終了いたします。ちょうど1年前の今日(2002.03.23)、ネパールのカトマンドゥのホテルで「インドで考えたこと Part.1」を書きはじめました。
 本当に短い文章ですが、考えてみれば、1年間も考え続けたことになります。また、このような機会に恵まれましたら、再度、書いてみたいと思います。



☆インドで考えたこと Part.11

 ヴァーラナーシー(ベナレス)でのことですが、朝早く起きてガンジス河の岸辺に行き、ボートに乗り、ガート(沐浴場)に近づきました。すると、小魚をナイロン袋に入れて売るらしいボートが近づいてきました。聞くと、それを買って、その小魚をガンジス河に逃がせば大きな功徳を積める、ということだそうです。でも、その逃がした小魚をまた捕まえて売るとすれば、それが何で功徳を積むことになるのかと、少しあきれてしまいました。
 まさにここは、沐浴をするだけでなく、火葬したのを流したり、洗濯をしたり、この水で食事をつくったりと、生活のすべてが注ぎ込んだような河です。ボートをこいでいる人から、「あなたも沐浴してみませんか?」と言われましたが、とてもそのような気にはなれませんでした。
 その時です。この目で見れば汚く、悪臭もひどいと思うが、ここで沐浴すれば身も心も浄められ、神仏と一体になれるとすれば、そんなことは何も気にならないのではないか、むしろ、だからこそ心の汚れをこの河の汚れといっしょに洗い流してくれるのではないかとさえ思いました。その汚さをどう感じるか、それがインドを好きになる人と嫌いになる人との境目のような気がしました。
 ここヴァーラナーシーは、ガンジス河が南から北へと流れているために、朝日を正面から拝みながら沐浴することができます。私も、ボートの上から、やっと顔を出した朝日を拝みましたが、ここでお釈迦さまも同じように朝日を拝んだのかと思うと、それだけでガンジス河の有り難さを味わうことができました。



☆「世界らん展日本大賞2003」に行って来ました!

 2003年2月25日、東京ドーム で開催されている「世界らん展日本大賞2003」に行って来ました。これは、2月22日〜3月2日まで開かれていますが、今年の展示テーマは『咲き誇る、エレガンスの競演』だそうです。確かに洋ランはあでやかで咲き誇るという感じですが、野生ランの自生地に行ったことがある私にすれば、自然本来の野生ランの美しさは天賦の美であり自然の造形の妙であるように思います。それをこんなにも人間が勝手に改良していいものだろうかと、ふと疑問が芽生えました。
 それでも、農業高校の生徒たちの展示を見たとき、こんなにきれいな花を育てていれば、その心もきっときれいなままだと思いました。花を育てる、花を愛でる、花を楽しむ、そのような生活が悪かろうはずはありません。そして、それを一生の仕事にできれば幸せというものです。
 その帰りの電車の中吊りポスターで見たのですが、「ありがとうと感謝をされる仕事がしたい」というのがありましたが、このようなきれいな花に出会うと、これを育てた苦労を思い、このような花を見せていただいた感謝の心でいっぱいになりました。



☆雪灯篭お茶会に行って来ました!

 2003年2月8日、米沢市座の文化伝承館で午後3時から開かれた雪灯篭お茶会に行って来ました。これは、2月8〜9日開催の「上杉雪灯篭まつり」の協賛の掛け釜です。
 今年は、例年になく上天気に恵まれ、足下も良く、充分に楽しむ事ができました。また、雪も充分に降ったので、雪灯篭を作るのにも、周りの雪を集めただけで間に合ったと聞きました。
 お席は3席あり、表千家、裏千家、玉川遠州流です。今回は、ゆっくりとすべてまわることができました。右の写真はその一つで、表千家の担当で清山庵席です。いかにも夕方からの席の風情があり、ここでお茶をいただいたあとに外に出たら、雪灯篭に灯がともっていました。そのオレンジ色の灯りがなんとも温かく感じられました。本当は、外で、しかも雪で作られた灯篭ですから冷たいはずなのに、温かく感じられるのです。
 最近のストーブは、なぜかこの炎の揺らめきが見えないのですが、この雪灯篭の灯りを見て、見えるということも大切なことだと思いました。『大黒さまの一言』に、ジッドの「目の見える人間は、見えるという幸福を知らずにいる。」と書きましたが、本当に実感です。



☆インドで考えたこと Part.10

 お釈迦さまが初めて説法をされたところは、ヴァラナーシー(ベナレス)の近く、サールナート(鹿野園)というところです。ここは、現在、史跡公園になっていますが、そのシンボルはダメーク・ストゥーパです。その近くにサールナート考古博物館がありますが、ここに展示されていた転法輪印を結ぶブッダ像には、すごい感動をしました。
 まさにその穏やかな表情には、5人の比丘を前に説法する優しさと厳しさが同居しているのを感じました。ここではもちろん写真撮影はできませんが、何度もこの前に立ちつくして我を忘れて魅入ったので、今でも目を閉じるとその時の姿が瞼に浮かび上がります。
 そこで思ったのですが、有名な「四門出遊」の故事で、最後に北の門を出て見た出家修行者の姿もこのように端正で静寂な様子だったのではないか、それは、極端な苦行から得られるものではなく、あのぎらつくインドの太陽の光を遮ってくれる菩提樹の下こそ、やはりふさわしいのではないか、そして、あの喧噪としたヴァラナーシーではなく、鹿が傍らで遊んでいるようなここだからこそ、静かに説法ができたのではないか、そんな思いがぐるぐると頭の中を駆けめぐりました。そして、また、いつの間にか転法輪印を結ぶブッダ像の前にいました。
 やはり、あのお姿には、あこがれます。



☆東京ディズニー・シーで呉汝俊(ウー・ルーチン)さんと出会った!

 2002年12月27〜28日と東京ディズニー・シーに行って来ました。それは、ある会社の創業50周年記念感謝会に出席するためでしたが、ディズニーランドにも行ったことがないので、とても楽しみでした。泊まりはホテルミラコスタで、27日の午後からゆっくりとすごし、センター・オブ・ジ・アースのアトラクションもスリルがあって緊張もしました。
 一番うれしかったことは、もちろん、昭和49年から毎年当山にお参りを続け、順調に繁栄し、今年で創業50年を迎えられたこと、そのお祝いの席に出席できたことですが、次に、そこで呉汝俊(ウールーチン)さんとお食事をしながらお話ができたことも楽しい思い出です。彼の「京胡」の調べを聞くと、いつも雲南省の大草原を思い出します。そこは少数民族が独自の生活をしているところですが、高地にもかかわらず果てしなく広がった空間に、一面に背の低い植物が絨毯のように咲いています。
 ぜひ機会があれば、呉さんの音楽に接してみてください。彼の新しいアルバム「It's For You」が avex io より発売されています。必ずや、その甘く切ない旋律の虜になるはずです。



☆奈良裕之「民族楽器ミニライブ2002.12.15」を聴きました!

 2002年12月15日(日曜日)、米沢市内の「心氣光治療院」で奈良裕之(ならゆうじ)民族楽器ホームコンサートを再び聴くことができ、感動しました。
 今年は、何度か奈良さんのコンサートが当地で開催され、そのたびにご案内をいただいていたのですが、なかなか出席できず、今年最後のこの機会に、何とか参加できました。
 今回感じたのは、奈良さんの音楽がとてもいろいろに聞こえてくるということ、それは、奈良さんのコンディションや聞く私たちのコンディション、もちろん民族楽器そのもののコンディションもありますが、演奏する会場の構造や雰囲気なども大きく作用するのではないかと思いました。だから、何度聞いても新鮮だということにもなりますが、これはとても難しい問題でもあります。それが民族楽器という多彩な楽器をあやつる宿命なのかもしれません。
 また、演奏が終わってから、これも恒例になりつつある忘年会があり、みんなが持ち寄った種々なご馳走をいただきました。これも、奈良さんの民族楽器のように、一つ一つ思い思いの味を出していました。
 ぜひ、またこういう機会を持ちたい、と思いながら帰ってきました。



楽器が並んでいるところ

楽器を演奏する奈良さん

太鼓をうち鳴らす奈良さん


☆インドで考えたこと Part.9

 お釈迦さまが悟りを開かれたブッタガヤーでのことです。
 そのとき、その悟りを開かれた菩提樹の下の金剛宝座の前で祈っていました。すると、その菩提樹から3匹のリスが下りてきて、その金剛宝座に供えられている供物を食べ始めたのです。まさか、リスが自分の目の前で、夢中で食べ始めるとは思いませんでした。でも、ここのリスたちは、人間などに傷つけられたことがないので、まったく恐れないのだと分かりました。
 お釈迦さまは「不殺生戒」を説かれています。これは生きものを大切にしなさいということだと簡単に考えていたのですが、そうではなかったのです。「すべての生きものにとってそれぞれの自己がいとおしい。だから自分のために他人を害してはならない。」と教典にも書いてあります。この生きもののなかには、人間はもちろん、リスもライオンもカもハエもすべての生きとし生けるものが含まれています。まさに横並びに位置づけられているのです。何らの優劣もそこには存在しないのです。そこが大切なことだとこの時に考えました。  確かに、インドでは現在も「輪廻思想」によってすべての生きものが生まれ変わりを繰り返していると考えられています。それが、このような考え方のベースになっていると思いますが、それだけではなく、同じ生命をもつ生きものすべてに深い慈悲の念を通わす大きな優しさのようなものを感じます。
 私はこの大きなこころを、ぜひ見習いたいと思いました。

 追記 帰国してから菩提樹のことを調べましたら、お釈迦さまが悟りを開かれたことに由来する名前であることは知られていますが、もともとはアシュヴァッタ樹(サンスクリット語)、あるいはピッパラ樹というそうです。和名はインドボダイジュですが、クワ科イチジク属の高木で、寿命も非常に長い樹です。スリランカには、紀元前288年に植えられたという記録が残る樹もあります。ただ、亜熱帯の植物ですから、日本で栽培するのは難しいと思います。
 ついでですから、お釈迦さまと樹の話しをしますと、お釈迦さまがネパールのルンビニー(Lumbini)でお生まれになったとき、マーヤ夫人がしっかりと掴んでいた枝は、サラノキです。これはフタバガキ科の高木で、特にヒマラヤ山麓に多く自生しており、カトマンドゥにはこの樹だけで建築した寺院もあります。2〜3月頃、3cmほどのうす黄色の花を咲かせますが、この樹から礼拝用の線香も作られます。
 また、お釈迦さまがなくなられたのはインドのクシナガラというところですが、サラノキの2本の間に身を横たえ、そのまま入滅を迎えられたといいます。そのことから、この樹を沙羅双樹と言うようになったのだそうです。



☆インドで考えたこと Part.8

 お釈迦さまはブッタガヤーの菩提樹の下で悟られたのですが、私はその菩提樹の葉を何枚か拾ってきました。その葉を拾いながら、人生もこのようにヒラヒラと儚いものではないのかと思いました。だからこそ、今、この与えられた時間を精一杯楽しく生きなければならないのではないかと考えました。確かにインド人は、ゆったりとしてこせこせしていません。それは、この世だけが人生ではなく、永遠に続く一こまが今のこの世なのだという輪廻の思想がしっかりと息づいているからかもしれません。
 しかし日本人は、仏教の思想から、なぜかこの輪廻という考え方を捨て去りました。今の今、この世しかないという非常に現実的な考え方だけを残しました。それが良いのか悪いのかは分かりませんが、少なくとも私は、お釈迦さまの悟られたブッタガヤーの地に立って考えてみると、仏教の本流ではないような気がします。輪廻という考え方があるからこそ、人も時間もゆったりとした悠久のときを刻み、死ぬことの恐怖感も薄らぐのです。そしてなにより、信仰を持って生きたいという願いも生まれてくるのではないかと思います。そう考えなければ、あの仏教聖地で五体投地を繰り返す仏教徒の思いは、永久に分からないでしょう。
  


☆インドで考えたこと Part.7

 ブッタガヤーの菩提樹の下でお釈迦さまは悟られたのですが、その菩提樹の葉は、自然に落ちたのを拾うことはいいのですが、無理矢理落とすことは禁止されています。それは、菩提樹を大切に守っていきたいということもあるでしょうが、仏教の教えらしく、生きている葉を傷つけないという不殺生の教えを実践する願いもあるのではないかと思いました。
 そして、そのヒラヒラと舞い落ちる菩提樹の葉を拾いながら思ったのですが、心を落ち着けていると不思議にその菩提樹の葉が落ちたのが分かるのです。誰かと話していたり、よけいなことを考えていたりすると、その落ちたのが分からないのです。そこで、思い出したのが、

 「あききぬとめにはさやかに見えねども 風のをとにぞおどろかれぬる」 (藤原敏行)

 の歌です。まさに驚くようにして分かるのです。いや、「落ちているよ」と教えてもらうような感じです。帰国してから辞書を引いて調べてみたら、「流風(りゅうふう)」という風の名前があり、それはそよそよと伝わってくる微風だそうです。しかも、花の香りや音やひびきをかすかに乗せてくるといいますから、まさにその感じです。
 日本には、素晴らしく綺麗な言葉があるものだと深く感心しました。
  


☆『月見の茶会』に行って来ました!

 2002年10月20日、上杉記念館で開かれた「月見の茶会」に行って来ました。この茶会に行っていつも思うのですが、お月さまに対する日本人の想いってスゴイなあと思います。
 聞くところによると、西洋人はこのお月さまの模様を人の顔に見えるらしいのですが、東洋人にはウサギが餅をついている姿に見えます。一方は不吉な予感に感じるそうですが、他方はメルヘンチックなおとぎ話の世界を想像します。そして、そのお月さまにススキを活け団子を供え、雲間に浮かぶお月さまに思いをはせます。
 だから、十六夜の月、立ち待ち月、居待ち月、寝待ち月などという優雅な呼び名が生まれたのではないでしょうか。
 同じお月さまを見ても、民族によって、住む世界の違いによってこんなにも違うのですから、やはり争いごとが起きるのも当然ではないかと思います。でも、だからこそ、その違いを理解し合うことが大切なのです。違って当たり前の世界なのですから、その違いを乗り越えた共通理解が必要なのではないか思います。
 このお月さまは、どこから見ても、同じお月さまです。一服のお茶をいただきながら、そんなことを考えました。



☆インドで考えたこと Part.6

  私は、「人は楽しむためにこの世に生まれてきた」と、よく人に話しますが、仏教では「この世は苦の世界である」というのが共通認識のように思います。それでも私は、「楽しむ」ということに力点を置いて考えてきました。
 ところが、ブッタガヤーであるお坊さんと話していると、その「この世は苦の世界である」という認識にずれがあるように感じました。確かに、生まれてくることも老いることも病気になることも死ぬことも、苦しいことには違いない。でも、人は、生まれてくるときも死ぬときもたった一度のことだし、病気だっていつも病気なわけではないし、若いときから老いを考えてばかりはいないはずです。ということは、その何でもないときも苦の世界なのかと聞かれれば、いや、そうばかりではないように思えるのです。
 そこで、その大問題を、そのお坊さんに直接ぶつけてみたら、パーリ語で「ドゥッカ」ということではないかといいました。では、その「ドゥッカ」という意味を聞いたら、「自分の思うとおりにならないこと」だそうです。
 それを聞いて、納得しました。
 思うとおりにならないことを、思うとおりにしたいと思うから、苦しむのです。この世は、楽しめばいいのです。病気になったら仕方がないとあきらめて治すしかない、年をとったらみんなが老いるんだからと思えばいいのです。死ぬときは、あっさりとこの世にさようならと言えばいいのです。
 このように菩提樹の樹を見ながら考えていたら、ふと、あの新潟の良寛さんの辞世の句を思い出しました。
 「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」
 まさに、自然の風にまかせて生きてきた良寛さんらしい句です。やはり、思い通りにならないことを苦にしながら生きるより、今できることを楽しんで生きた方がよい、と私は確信しました。

 (注 帰国してから調べてみたら、良寛さんの辞世の句と言われているものは外にもあって、「散る桜 残る桜も 散る桜」、「形見とて 何か残さむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみぢ葉」などです。
 ついでだから書き添えますと、パーリ語というのは、お釈迦さまが2,500年前に実際に話されていた言葉です。また、ドゥッカという言葉には、「空しい、不満、不安定、苦しい」というような意味もあるそうです。)



☆『子供騙し』を観ました!

 2002年9月29日、「伝国の杜」置賜文化ホール開館1周年の記念公演『子供騙し』緒形拳、篠井英介、冨樫真出演を観てきました。演出は、水谷龍二で、落語で有名な「芝浜」からヒントを得て作ったといわれています。この「芝浜」は、客席からもらった3つの題を織り込んで即興につくる三題噺の一つですが、この演劇では三陸・理髪店・失踪がキーワードになっていました。
 でも、観ているうちに、子供騙しのようなことでも、それにすがりながらも生きている人間の寂しさやむなしさが感じられ、笑いの中にも一抹の哀れを感じてしまいました。最後の場面で、ひっそりと待つ緒形拳の丸まった背中に、そのちょっとした物音にも敏感に反応する姿に、人は何かに支えられなければ生きていけないというような、そんな思いを強く感じました。それが、たとえ子供騙しのような嘘であったとしても・・・・・



☆『シルクロード 絹と黄金の道』を見てきました!

 2002年9月25日、前日に東京で仕事があり、そのついでに国立博物館で開催されている『シルクロード 絹と黄金の道』を見てきました。これは日中国交正常化30周年記念の特別展ということでした。でも、私は砂漠の中だからこそ残ったんだろうなという感慨だけで、そんなに興味を引くものではありませんでした。
 むしろ、その同じ会場で開催されていた『江戸蒔絵 ー光悦・光琳・羊遊斎ー』や『江戸と桃山の陶磁』のほうを楽しくみることが出来ました。やはり日本の文化・芸術はすごい、と思いました。その根気とひたむきさ、そしてそれを支えるひらめきなど、どれをとっても一言では言い表せない奥深さがありました。中でも一番気に入ったのは、一入作の黒楽茶碗で銘を「かのこ斑」といい、その不思議な色合いに魅入ってしまいました。黒楽といわれればそのようだし、赤楽といってもおかしくはないし、とても複雑な色模様を醸し出していました。
 3時間も見続けたので、のどもからからで表に出てきたら、テント張りの中で鶴屋吉信がお抹茶とお菓子の店を開いていました。さっそくそれをいただき、帰りに「光悦満雲寿」をお土産に買い求めました。
 その薯蕷まんじゅうを帰宅してから食べたら、何年か前、京都鷹峯の光悦寺で開かれた「光悦会」のお茶会に行ったことなどが思い出されました。



☆『源氏物語』をちょこっと再読しました!

 米沢市立図書館主催の『源氏物語の世界』の講座を受講しました。2002年9月6日、13日、20日の3回シリーズでしたが、本当に久しぶりで、『源氏物語』に触れることができました。前に読んだときには、心のひだを読み出すところまではいかなかったのですが、今回は光源氏が40歳を越えてからの話が中心なので、生老病死などの四苦八苦や自分の思い通りにならない不条理など、世の常のありようがとくに感じられました。いかに光源氏とはいえ、年とともにこの身の哀れさが漂います。
 そう思ってみるからかも知れませんが、仏教の世界を強く意識した物語なのではないかと強く感じました。しかも、以前読んだときにはそんなに感じられなかったのですが、華やかな世界を描きつつも暗い厭世観が底に渦巻いているように思いました。こう感じるのも、やはり年のせいなのか、と自分で一人考え込んでしまいました。
 みなさまも、この秋の夜長、ゆっくりと読書に耽ってみてはいかがでしょうか。かの哲学者ベーコンは、「燃やすに一番いいのは老木、飲むには古酒、信頼するには古友、読むには古い著者」だと申しております。



☆インドで考えたこと Part.5

 お釈迦さまの最初の弟子になったのが、以前からの修行仲間でもあった5人でした。彼らは、修行法の違いなどもあり離れていましたが、サールナートでお釈迦さまの説法をうけ、すぐさま弟子になったのです。現在のサールナートには、この様子を再現した像があります(仏像というには、日本人には原色すぎて違和感を感じます)。
 ここサールナートの中心は、もちろん円筒形の巨大なダメーク・ストゥーパ(Dhamekh Stupa)です。ここの基部は石材ですが、上部はレンガ積みで、直径28m、高さ34mもあります。ここには、昔、鹿がたくさんいたことから鹿野苑と呼ばれていましたが、日本人にはこの名前の方がしっくりきます。
 ところで、ここで考えたこととは、シュラマナという言葉でした。これは中国で「沙門」と翻訳されましたが、真理を求めて努力する人という意味です。何事にも最終的な目標みたいなものがありますが、むしろ大事なことは「し続けること」です。真理を求めて努力し続けることです。もちろん、しっかりとした目標がなければ進めませんが、少しずつでも進んでいるというその歩みが大切だと思います。それがシュラマナから連想したことです。



☆こまつ座「雨」を観てきました!

 2002年8月18日、こまつ座第67回公演の「雨」を観てきました。今回は、全国公演の初日ということで、ピーンと張りつめた緊張感を感じました。
 この公演は、1996年以来の再演だそうで、今までのこまつ座では考えられないような21人ものキャストでした。主演は、こまつ座でおなじみの辻萬長さんと三田和代さんで、そのほかのキャストも何度か見ている人たちが多く、その役柄にはまりこんでいるのが感じられました。
 しかも、演劇の中では「平畠藩」となっていますが、近くの高畠のイメージがありますし、見知った地名なども多く、とても親しみを覚えました。方言も、井上ひさしさんらしく、とてもこだわったようで、早口だと私たちにも分からないところがありました。そして、やっぱり、最後はどんでん返し・・・・・。人はとても他人になりすますことはできないようです。
 ストーリーは、これから全国で100ステージを越えるそうですから、秘密にしておきます。機会があれば、ぜひ、ご覧ください。



☆インドで考えたこと Part.4

 ブッタガヤーの菩提樹の下に座って、仏教の原点とは何だろうかと考えていたら、ふと法句経の『七仏通戒偈』を思い出しました。これはお釈迦さまがさとりを開かれる前にすでにブッダとなっていた6人に、お釈迦さまを加えて7人のブッダが同じように戒めとしてきたものです。それは、
 「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」
 というもので、簡単にいってしまえば、悪いことをしないで、つねに自分の心を浄らかに保つこと、それが7人のブッダの教えだということです。さとりを開かれた7人のブッダみんなが戒めとしてきたということは、それなりのインパクトがあります。
 しかし、このようなことは誰でも知ってはいますが、いざ実践となりますとこれがなかなか難しいことです。なかには善い悪いの判断ができずにしてしまったり、悪いことと知りながらやってしまったり、時には善いことだと自分に言い聞かせるようにしてやってしまったりと、人それぞれです。考えてみれば、この「善い悪い」の判断が一番難しいのではないかと思います。
 でも、私は、やっぱりここに仏教の原点があるように思います。この「善い悪い」の判断ができるように、日々の修行もあるのではないでしょうか。



☆山形美術館で「北京故宮博物院展」を見てきました!

 2002年7月23日(火曜日)、山形市の山形美術館で、「北京故宮博物院展」を見てきました。
 北京の紫禁城には何度か行きましたが、なかなかその収蔵品を見る機会がなく、今回は山形でゆっくりと見ることができました。これは、日中国交正常化30周年記念の一環として開催されたもので、7月19日から8月18日まで開かれています。
 特に印象に残ったものは、「白大理石彫 思惟菩薩像」のお姿です。何度もその前に立ち戻り、帰りにもう一度戻りかえって見入ってしまいました。それは、とても一言では言い表せないほどの気高さでした。
 もし、機会があれば、あの紫禁城のなかで、もう一度出会いたいと思います。




☆東北大学植物園を見てきました!

 2002年7月8日(月曜日)、岩手の八幡平で偶然に出会った友人といっしょに、仙台の青葉山にある「東北大学 大学院理学部研究科附属 植物園」を見てきました。この植物園は、昭和33年に設立されたそうですが、展示ホールには植物園立体模型や植物と昆虫の関わりなどが視覚的に分かるように展示されていました。とくに関心したのは、カタクリの展示で、普通は地上部しか分からないのですが、地下部も分かるように地下の部分をガラス面にしてありました。樹木の羽田や内部構造などの展示もおもしろいものでした。
 外はあいにくの小雨でしたが、タマアジサイやギボウシなどが咲いていて、ゆっくりと散策できました。自然林には大木のモミの木があり、昭和47年には国の天然記念物に指定されたそうです。
 また、植物園わきの津田記念館は、故津田弘氏により東北大学に寄贈されたもので、1987年(昭和62年)4月24日、津田氏が生涯深く尊敬しておられた牧野富太郎博士の誕生日に開館されたそうです。これは日本有数の植物標本館であり、植物好きの方はぜひ訪ねていただきたいと思います。
 私も、機会があればまた訪ねてみたいところでもあります。




☆早朝の清々しい茶事を楽しみました!

 2002年6月29日(土曜日)午前6時30分から、某所で朝茶事を楽しみました。この季節にしてはカラリと晴れ、清々しいなかで静かなひとときを過ごしました。
 炭手前のころに、茶室の窓から朝日が差し込み、そこで戴く懐石の味わいをいっそう引き立ててくれます。ゆっくりと懐石をいただき、主菓子をいただき、中立のころには、もうすっかりと朝露が消えていました。
 また席入りし、濃茶、続いて薄茶と順序に従い粛々と進んでいきました。そして、寄りつきに戻った頃には、10時をほんの少し過ぎていました。
 やっぱり朝茶事は、今頃のお茶事だと思います。



茶室と露地風景、ここから先は別世界です

掛け物を見る

鉈篭に夏椿と京鹿子が・・・・・

濃茶の道具組み

薄茶のお点前

正客と連客の主菓子、銘「紅花」




☆インドで考えたこと Part.3

 お釈迦様は欲を否定したかといいますと、否定も肯定もしなかったと私は思います。もし欲を否定し、それを極端に押し進めれば、私たちの日常生活は成り立たなくなります。しかも、考えてみれば、さとりたいと思う気持ちにしても一面では欲と考えられなくはないわけです。また他面から見れば、欲を否定するということはお釈迦様が六年間苦行したことと同じことであり、それでは結果的にさとりは開けなかったのです。
 では欲を肯定するのかといいますと、人間の欲は限りのないものになってしまい、結果的には身を滅ぼすことになります。この欲という字を手のひらに書いてみると分かりますが、谷の右側に欠けると書きます。谷がないということは、上りっぱなしということであり、これが欲という字なのです。
 ということは、人の欲というものは、善い欲とか悪い欲とかという区別があるのではなく、その欲がちゃんとバランスがとれているかどうかということが大切なのです。そのバランスがくずれて、極端に走ったときに悪い欲になるとお釈迦様は考えられたのです。そして、その欲にこだわるから苦しみを味わうことになるのだから、こだわりの心、とらわれの心をなくすようにと教えられたのです。欲をなくすのではなく、苦行と快楽の両極端を離れて中道を歩むことをさとられたのです。



☆Kemさんの「聖地のうたコンサート」を聴きました!

 2002年6月9日(日曜日)午後6時から当山の本殿内でKemさんの「聖地のうたコンサート」が開かれ、タンプーラとうた、そしてインドハープやバンスリーの音色を楽しみました。
 Kemさんは、20年以上もインドのベナレスに住んでいるそうで、彼が奏でる調べは、ガンジス河の岸辺にうち寄せる波にも似て、その繰り返しのなかでだんだんと引き込まれていく底の深さを感じました。
 聞くところによると、インドに昔から伝わる曲をラーガというそうですが、その意味は「心の色彩」だといいます。それはマントラ(呪文)を唱える音階などから生まれたもので、まさに宗教的儀式のようなものです。そして、インドではそもそもが即興演奏が多いそうなので、ずいぶんと演奏するところの雰囲気によっても変わってくるような気がします。
 だからKemさんは、初めてここに来て、ここの場所の雰囲気が好きになり、ここの本殿でコンサートを開きたいと思ったのでしょう。大黒さまの前に正座したKemさんは、インドの楽器を手にしたとたん、そのまま彼の世界に入り込み、この本殿とインドのベナレス、そしてガンジス河が精神的につながり、あっちに行ったりこっちに来たり、今年の3月にベナレスを訪ねたときの空気感まで伝わってきました。
 もし、またこのような機会がありましたら、ぜひ聴いてみたいと思います。



コンサートを支えるスタッフの方々

主催者側挨拶の後藤さん

コンサートが始まる・・・・・

インドハープを奏でる

3人の合奏

終わってホッとするKemさん




☆インドで考えたこと Part.2

 お釈迦様が最初に弟子たちに示したのは五戒です。これは基本的には出家者も在家者も区別はなく、仏教者として必ず守るべきもの、それが五戒です。五戒とは、生き物を殺さない(不殺生)、盗みをしない(不偸盗)、邪な性行為をしない(不邪淫)、嘘をつかない(不妄語)、酒を飲まない(不飲酒)の五つです。この戒という言葉は、原語で「シーラ」といいまして、その意味は習慣ということです。すなわち戒を守るということは、日常生活の中で、この五戒が習慣となり、無意識の中で行われなければならないということです。
 私のネパールの友人でアンバブさんというのがいますが、彼はシェルパ族で、仏教徒です。彼の居間の中央にはすばらしい仏壇があり、彼の自慢でもあります。彼と山を歩いていたとき、川の辺りで魚を採っている人がいました。その魚の採り方がおもしろく、大きなハンマーで石を強くたたき、魚を気絶させ、浮かび上がったところを捕まえるというやり方でした。彼はそれを見つけ、そこに行き、何やら話しをしました。話しがまとまったらしく、その魚の入った魚籠を取りあげ、中からまだ生きている魚を掴み、川に逃がしてやりました。元気に泳ぐその魚を見て、アンバブさんはとてもうれしそうでした。これが不殺生戒なのです。生き物を殺さないというだけでなく、ともに生きることを喜べるその心が大切なのです。そうはいっても、既に死んでしまった魚は、その晩の食卓にのぼり、彼も私も美味しくいただきました。
 この様子を見ていて、戒というといかにも厳しく守らなければならないように感じますが、むしろ習慣として、自然に出来ることが大切だと思いました。いわば、無意識で箸を上手につかっているように、戒も意識せずに守られていることが肝心なのです。
 そういえば、アンバブさんも何のてらいもなく、まったく自然に魚を川に放されました。



☆インドで考えたこと Part.1

 お釈迦さまが、ガヤー(お釈迦さまがさとりを開かれた後はブッタガヤーと呼ばれています)の菩提樹の下でさとりを開かれたのは、出家して6年目の12月8日の早朝でした。
 そのブッタガヤーからバラナーシー(日本では一般的にベナレスといいます)までは、約240キロメートルほどあります。その途中で、その当時有名な修行者とも会ったそうですが、苦行をやめたという批判や、伝導布教のやり方が未熟だったこともあり、誰も弟子になろうとはしなかったといいます。いくらさとりを開かれたとしても、最初からうまくはいかなかったわけです。
 私は、むしろこの点で、人間としてのお釈迦さまに深い親しみを感じます。さとりを得たからすべてがうまくいく、というのではなく、少しずつ何かを学び取りながら成長していく、その姿勢が大事なのではないか、昨日がダメでも、今日が良ければヨイ、その積み重ねがまた楽しいのではないか、と思いました。



☆こまつ座『國語元年』を観劇!

 2002年3月30日、米沢市内の伝国の杜置賜文化ホールで、こまつ座第65回公演『國語元年』を観ました。
 これは明治7年、文部省のお役人、南郷清之輔に「全国の話し言葉を制定せよ」という命令が下ったことから話しが始まります。しかも、この南郷家の人々や出入りする人々もお国訛りがはげしく、それも見所の一つだが、大騒ぎになってしまったのです。
 でも、考えてみれば、今まで藩という閉鎖的な空間で生活していた人々が一気に日本という枠組みの中で生活をするようになったのですから、混乱が生まれるのは当然といえば当然の成り行きだったと思います。それにしても、言葉というイキモノをたった一人の人間が制定できるものではなく、そこに悲喜劇が生まれる素地が見え隠れします。
 この話し言葉のようないわば文化というものは、一握りの人がつくるのではなく、多くの人々が関わり合って、知らず知らずのうちにつくられるように思います。最近、特に引き合いに出される世論ということも、情報操作によってつくられるのではなく、一人一人の人たちが関わり合ってできるのが本当の世論というものです。
 この「全国の話し言葉を制定する」なんてばかげたことは、結局はできなかったわけですが、もし強権発動でできたと考えたときに、むしろ怖いものがあると感じました。



☆『世界の原種/シャクナゲ・ツツジ・ヴィレヤ辞典』出版記念祝賀会に参加!

 私のシャクナゲ仲間である内藤芳徳さんが、『世界の原種/シャクナゲ・ツツジ・ヴィレヤ辞典』を出版され、しかも私もたくさんのシャクナゲの写真を提供したこともあり、その出版記念祝賀会に出席してきました。
 2002年2月16日、山梨県甲府市で開催されましたが、甲府に行くのは初めて。そこで、山梨支部の方にお願いして、出版記念祝賀会の翌日に甲府市内を案内していただきました。考えてみれば、わが米沢市はもともと上杉城下町、甲府市は武田城下町。ともに昔は戦ったと歴史には書かれていますが、それはそれ、塩を送ったという逸話もあることですから、友だちがいてもいいわけです。
 そこで感じたことは、武田神社はもともと武田信玄の館跡とのこと。やっぱりお城は造らず、人を育てることを第一に考えたことが伺えます。それと、山梨県立美術館でミレーの「種をまく人」などの一連の秀作を見てきました。地方の美術館でこれほどの絵画を収蔵していることにびっくりすると同時に、それを上手に役立てていることに関心しました。観光バスでも立ち寄る美術館は、おそらくここぐらいではないかと思います。
 それと、山形はまだ雪の中というのに、山梨はもう梅が咲いているところもあり、一足早い梅の芳しい香りをかいできました。やっぱり、春が来て花が咲くというのは心がウキウキするものだ、ということを実感してきました。
 山形にも早く春がくることを首を長くして待っています。



☆『羽田健太郎PIANOコンサート』を聴きました!

 2002年2月11日、米沢市内の伝国の杜置賜文化ホールで、『羽田健太郎PIANOコンサート』を聴きました。たった一台のピアノからたたきだされた音が、あんなにも豊かな階調を持つとは知りませんでした。目を閉じると、そこには吸い込まれるような不思議な空間が存在しました。
 名刺代わりと本人もおっしゃる「渡る世間は鬼ばかり」で始まった演奏は、前半はクラシック曲が続き、特にサティの「ジュ・トゥ・ヴ」の流れるような曲に感動。そして、この「ジュ・トゥ・ヴ」というのは、フランス語で「アイ・ラブ・ユー」より強い思いがある、などと軽快なお話しが曲と曲の合間を潤します。親父ギャグが多いな、って思いましたら、なんと同い年、こちらも気を付けなければ・・・・・。
 後半は、お得意の「日本の四季」メドレーから「スクリーンミュージック」メドレーまで、なんと観客から3曲のリクエストまでもらっての演奏、堪能しました。そのリクエストは、「禁じられた遊び」、「慕情」、「星に願いを」の3曲で、いかにもという曲ばかりでした。でも、それを織り込んだメドレーは、最初から準備をしてきたように鍵盤のうえを指が流れ、軽やかな音色となってきこえてきました。
 そうそう、後半の半ばで弾かれた羽健オリジナルの「ワルツ・イン・ソリチュード」も良かったですよ。
 建国記念の日、すばらしいピアノコンサートを聴くことができ、いい思い出になりそうです。



☆こまつ座『連鎖街のひとびと』を観劇!

 2002年1月6日、川西町のフレンドリープラザで井上ひさし作、鵜山仁演出『連鎖街のひとびと』を観ることができました。
 舞台は中国大連の連鎖街、そこにある「今西ホテル」の地下室ですが、井上ひさしのペンネーム、遅筆堂らしくなかなか脚本を書けない劇作家2人を中心として進行します。そこで繰り広げられるストーリーは、これから観る人のためにお話しませんが、印象に残ったのは「嘘を隠すための大嘘・・・・・」という言葉でした。隠すという行為が、さらにそれを隠すための行為をしなければならず、さらにさらにその行為の上塗りを重ねていく、それがコメディタッチでとてもおもしろく進んでいきます。でも、考えてみると、しょせん嘘は嘘、本当ではないのです。
 しかし、その嘘がばれたとき、だまされた人は怒りませんでした。なぜなら、その嘘は周りの暖かい思いやりから生まれたものであり、自分に対する友情のあかしでもあったからです。
 だから、喜びみも悲しみも、そして人生のすべてが多くの人たちとつながっている、いわば連鎖していく、そして芝居もその流れの中で進んでいく、連鎖街という大連市のメインストリートにあった実名の街名ながらそんな印象を受けました。
 でも、考えてみればこの世のなかには、なんとこの手の話しの多いことか。それを外側から見ると、悲劇であってもそれが喜劇的に見えるのかもしれない、そのような思いにしてしまう芝居でもありました。



☆奈良裕之「民族楽器ミニライブ」を再聴!

 2001年12月22日(土曜日)、今度は米沢市内の「心氣光治療院」で奈良裕之(ならゆうじ)民族楽器ホームコンサートを再び聴くことができました。
 私が到着したときには、まだ奈良さんは楽器の調整をしておりましたので、お話を伺いながら、「この楽器はどんな音をだすのだろうか、この楽器はどうして使うのだろうか」などと考えました。当山で聴いたときには、最後列でしかも周りに注意しながらでしたので、音色は届いていたのですが演奏している姿はおぼろげだったのです。
 今回は最前列で、まさに食い入るように聴き入り、見ることができました。一つ一つの民族楽器から発せられた音と音が絡み合い、リズムを刻みながら、それが不思議なメロディになっていく、そのプロセスの妙に魅せられていきました。そして、奈良さんと楽器とが一体となり、この楽器は今はこの音しかでないというように思えてきました。
 特に印象深かったのは、水の音が音楽になる、それを改めて感じさせられたことです。琵琶を持つお弁天さまは、もともとインドのサラスバティという河の流れの化身です。いわばその河の流れのサラサラという音色から生まれた仏さまです。だからお弁天さまは、ほとんどが池や川などの水の周りにお祀りされているのです。その水を手にすくって、その手からこぼれ落ちる水音が、源流の音さながらの心地よい音色を奏でたのです。考えれば当たり前の音が、当たり前のように耳に聞こえてくる、その不思議さに感動しました。
 また、風を切るような音を出す楽器では、目を閉じるとヒマラヤの峠を越える風の音を感じました。ある方が話しておられましたが、この演奏は、奈良さんが作り出すものであると同時に聴く人の心の状態によっても作り出されるように思います。いや、その両方の呼応が作り出すものなのかもしれません。
 また、演奏が終わってから、奈良さん特製のカレーが振る舞われました。野菜だけのシンプルなカレーですが、その味は民族楽器の多様さにも負けない深みとこくがありました。おそらく仲間内が準備したと思われる種々なご馳走も、淑さん特製のヨーグルトケーキも、ほんとうに美味しくいただきました。すがすがしい音楽を聴き、美味しいものをいただく、まさに至福の時を過ごした、そんな感じのホームコンサートでした。
 今回は、まったく思いがけずに生まれた企画だそうですが、思いがけないからこそ喜びも思いがけないような大きさでした。また、このような機会がありましたら、また聴いてみたいと思いました。



楽器を調整する奈良さん

楽器を演奏する奈良さん

奈良さんの不思議な光景

笛を吹く奈良さん

水を奏でる器たち

奈良さんとお手製カレーを食べる



 ◎奈良裕之「民族楽器コンサート」を聴いて
 2001年10月7日(日曜日)に、奈良裕之(ならゆうじ)民族楽器コンサートが当山で開催されました。
 その大地の鼓動にも似た音色は、既成の音楽を越えた音楽、自然の音韻としか形容できないような音楽でした。それを聞きながら、自然そのものが音楽なのかもしれないと思いました。特に私的には、ホムスというロシアの口琴が奏でる旋律がステキでした。しかも、初めて聴く楽器も多く、コンサートの最後にそれらを自由にならさせていただき、改めてその音色の素晴らしさに感激しました。
 今回は、大人も子供も楽しめる音楽を、ということで企画されたようですが、いつかは、大人だけでじっくりと聴いてみたいような気がします。
 また。このような機会がありましたら、多くの方々に聴いていただきたいと思います。



 ◎「伝国の杜」置賜文化ホールでのこけら落とし公演
 2001年9月29日、「伝国の杜」置賜文化ホールが新設になり、そのこけら落としで金剛流の能『翁』が金剛永謹氏によって上演されました。この『翁』は、今回のようなこけら落としや新年のあらたまった催しなどに演じられるもので、なかなか目にする機会もありません。先ず、これを観たいというのが本音でした。そのために、このチケットを取るために、電話をかけ続けました。
 『翁』は、「能にして能にあらず」といわれているそうですが、まさに厳かな雰囲気を漂わせ、一般に上演されている能とは一線を画す内容でした。しかも、この上演者は、「別火といって数日前から精進潔斎をし、幕内の鏡ノ間には祭壇を飾り、出演者一同で盃事を行い、切火を切るしきたりも『翁』に限ってのこと」だと書かれたリーフを読み、改めて感動しました。
 この後、狂言の『末廣がり』と能の『羽衣』が上演され、古典的演劇の世界にひたってきました。しかも、演者は当代一流の方々ばかりで、それを米沢にいながら堪能できるというのは、すごい贅沢だと感じました。常に一流のものに触れる、それを信条にはしていますが、なかなか難しいのが現実です。これからも、このような機会を逃すことなく、楽しみたいと思います。
 (※右の写真が「伝国の杜」置賜文化ホールで、左の写真が中にある能楽堂です。両方とも9月29日の公演日に撮りました。)
 


   ◎「神社は、花だ!」
 2001年8月30日、川西町フレンドリープラザで井上ひさし作の『闇に咲く花』という演劇を見てきました。
 これは、井上さんの昭和庶民伝三部作の一つで、解説では戦争と国家神道の関係を問いかける演劇ということでした。それはそれとして、神主さんの一人息子の健太郎さんが、「神社は、ひっそりと野に咲く花だ。」と言った言葉が印象的でした。だから、「時代にあわせてクルクルと色を変えてはいけない。」とも言いました。
 その花は、その神社に集う人たちのやさしさ(ここでは戦争で未亡人になった5人ですが)にも支えられ、そして和んだり、心の垢を落としたりとさせてくれるのです。その中心に、清く明るく生きる神主さんがいて欲しいというのです。
 私は、これら三部作すべて見ましたが、その中に流れるものは重いテーマをユーモアを交えながら描き出す井上ひさしの世界です。もし機会がありましたら、ぜひ、ご覧ください。



   ◎楽しむ気持ちが必要
 2001年8月26日、あるテレビを見ていたら、関根勤さんが「付き合ってた娘と別れた一言」という話しをしていました。
 それは、デートをしていたときのことだそうですが、その娘さんが天気予報で雨だというので傘を持ってきました。しかし幸いなことに、帰るときまで雨が降らなかったそうです。しかしその娘は、雨も降らないのに一日中傘を持って歩いて頭にきたと言ったそうです。その一言で、別れてしまったということでした。
 この話を聞いて、いろいろと考えさせられました。
 普通ですと、雨の予報なのに晴れれば喜びます。それなのに、傘を持ってきたというそのことばかりにこだわっていては、楽しいデートも楽しくなくなってしまいます。どこに視点を置くかで、その人の人生が変わります。その一言で、彼女の性格が分かってしまったのではないかと思います。
 晴れれば、それを楽しみ、雨降れば、その風情を楽しむ、曇り日もそれなりに良いと感ずる、それぐらいの余裕が人生には必要です。



 ◎ネパールで感じたことパート2
 ネパールといいますと、世界最高峰のエベレスト(ネパールでは「サガルマータ」といい、“宇宙の頭”という意味だそうですが)などのヒマラヤ山脈を連想し、写真などを見ても必ず背景には雪や氷の真っ白な山々が並んでいます。ですから、ネパールというと寒いとか雪が多いとか勝手に思い込んでいる人が多いのではないかと思います。ところが地図を見ても分かるように、日本でいえば奄美大島とほぼ同じ緯度ですから、いくら首都のカトマンドゥが標高1,400mの高さに位置していましても、冬でも暖かいのです。
 しかもカトマンドゥ市内の人たちは、遠くの山々の白い雪を見ているだけで、その雪に触れたことがないといいます。もし、何10年か振りで近くの山に雪が降ったりすると、大勢の人がその雪を見に出かけていくそうです。現に私のところに3月に訪ねてきたネパール人は、その雪に大喜びをし、早速家族にメールを出しましたら、すぐ家族から「お父さんばかり、たくさんの雪が見れてイイですね」というメールが返ってきました。
 そういう意味では、ネパールという国は、テレビなどでは伝わってこない部分が多いような気がします。



 ◎ネパールで感じたことパート1
 今年の4月中旬にネパールを旅してきました。そこで感じたことは「iモード版」でも書いていますが、今回はネパールの暦について考えてみます。
 ネパールの暦は、私たちが使っているグレゴリオ暦ではなく、ネパール独特の暦で、今年の元旦は4月14日でした。ちなみに、昨年は4月13日でした。ところが、これだけでも十分に不思議なのに、ネパールには暦が一つではないのです。チベット系の人々はチベット暦を使っているし、ネワール族ではまた別の暦を使っています。
 ということは、当然元旦も違ってくるし、その土地で暮らす人々の生活のリズムも違ってきます。それでも、ネパールの人々は、仲良く暮らしているのです。
 暦という大きな生活の基準が違っていても、自分たち民族の誇りを守る。そして、他の民族の誇りも傷つけない。その姿勢を、私たちは学ぶ必要があると感じました。



 ◎笑顔でくらす
 先日「伊藤家の食卓」というテレビを見ていたら、カメラを向けて微笑まない子どもを微笑ませて写真を撮るにはどうしたらよいのか?ということを話していました。
 それは、意外と簡単な方法ですが、ただ写真を撮る方が微笑めば子どもも微笑むということでした。それを説明するために、心理学者は「感情の同調」という用語を引き合いにだしていました。これは、つい、他人の感情につられてしまうことらしいのですが、実験では微笑みかけながらカメラを向けると、相手の子どももつられて笑顔になってしまうのです。しかも、その結果は、7割強の確率でした。
 ということは、自分が笑顔でいたければ、まず周りの人たちを笑顔に誘えばよいということではないのかと、妙に納得してしまいました。



 ◎現実的に生きる
 人を笑顔にするには、先ず自分が笑顔でなければなりません。
 また、人を生かすと思えば、先ず自分も生かさなければなりません。
 と考えていたら、ある本に「飛行機が緊急着陸をすることになり、酸素マスクが下りてきたら、幼い子供を連れている人はまず自分が酸素マスクをしてから、子供にマスクをつけさせることが指示されている。それはまず自分の意識が保たれなければ、幼児を脱出させる人がいない、という現実的な問題からものごとを見ているからである。」と書いてありました。
 やはり、それが現実的だと思います。確かに、人のために生きるといえば格好がよいし、そういう意識を持たないとますますそのような姿勢から遠ざかるような気はします。おそらく、「人のために生きる」ような人が少ないので、それを理想化して、美化したのかもしれませんが、この現実をしっかりと生きるためには、自分が先ず笑顔になり、その笑顔を多くの人たちに向ければ良いのではないかと単純に思います。そして、自分のことと同様に他の人のことも考えられれば、更に素晴らしいのではないかと考えました。
 しかし、今日(2001.01.25)、「ダンサー イン ザ ダーク」という映画を見てきたのですが、母というのは、我が子のためには更に現実的に生きるということを知りました。



 ◎ルンビニーで想ったこと (やっと新世紀に間に合わせて書きました。)
 お釈迦さまの仏跡はほとんどがインド国内にありますが、唯一ネパール国内にあるのがお釈迦さまがお生まれになった場所、生誕地です。
 2000年4月8日、まさに灌仏会のその日に、私はそこに行きました。そこはルンビニーというところで、インド国境とは目と鼻の先にあります。気候はインドそのもので、鼻を刺すような乾季の風が舞っていました。気温は30℃を越え、ヒマラヤの奥地でシャクナゲ調査をしてきた身にはとても汗ばむ陽気でした。
 でも、少しずつルンビニーに近ずくにつれて、不思議と心が浄化されていくように感じられ、自然に口数も少なくなりました。この辺りをお釈迦さまが歩かれ、道で出会った人たちと何気なく話しておられる姿を想像したりしながら、ルンビニーに到着したのです。
 ちょっとひと休みをして、ルンビニー周辺の開発基金にほんの少し寄付して、それから園内に入りました。そして写真を撮り始めたら、管理員のような人がきて、写真1枚に付き1ドルだといいます。でも詳しく聞いたら、カメラ1台で1ドルらしいことが分かりました。私は結局2ドルを払いましたが、これもここを保存するための資金として使われるのだそうです。
 大きな長方形のような池があり、しかもそのすぐ脇に大きな菩提樹があったので、てっきりここがお釈迦さまがお生まれになったところだと思ったのですが、本当は工事現場のような覆いのしてあるところが生まれた場所で、現在は遺跡の発掘調査が行われており、すべて完了した暁には、ここに新しいマーヤ聖堂を建立するになっているということでした。そしてそのすぐ後ろに、あの有名なアショカ王が建立した「大石柱」がありました。これはお釈迦さま生誕210年後の紀元前249年にここに巡礼したことをあらわすもので、地中に埋もれていたものを1896年、ドイツの考古学者ヒューラーによって発見されたものです。私が思っていたよりも大分小さい感じで、このすぐ脇にマーヤ夫人が手をかけたといわれているアショーカ樹があったということでした。
 しばらく辺りを歩き回った後で、仮に建てられているマーヤ聖堂に入り、50ルピーの大きなロウソクをいただき、献燈をして、祈りました。ここだけが、しっかりとお祈りできる雰囲気があり、友人のアンバブも仏教徒なので熱心に祈っていました。ここの中も、ゆったりとした悠久の時が流れているように思いました。ここの場所でお釈迦さまがお生まれになった、私はその同じ場所に今たたずんでいる、そう考えただけで、私の心がかすかに震えたようです。そう、今、同じ場所にいる、まさに感動的な一瞬でした。
 堂内には、中央に6世紀ごろに作られたアショーカ樹の枝に手をかけたマーヤ夫人とお釈迦さまの生誕の姿が石に彫られ安置されていました。ところが、顔の部分がいつの時代にかイスラム教徒によって削り取られてしまったので、その復元された石像(大理石製)が左側にありました。そして右側には、あの有名な「天上天下 唯我独尊」と最初の言葉を発したと言われているその姿がありました。この言葉は、普通には「我は世界の第一人者なり」と解釈されていますが、ここに立って想うと、違うように感じられました。
 私には、人はそれぞれみんな違う存在なのだから、一人一人が尊されるべきであり、自分という一番理解しにくい存在を確認するような旅、それがこの人生なのではないかと想われました。そうでなければ、一人一人を非常に大事にされたお釈迦様の優しさも伝わらないし、なにより八万四千の法門が説かれた理由も考えられません。今流に解釈すれば、一人一人が違う個性を持ち、持って生まれた資質も育った環境も違うけれども、みんな同じ尊敬されるべき人間なのだ、という価値観こそお釈迦さまの底辺に流れる思いではなかったのではないでしょうか。だからこそ、お釈迦さまは、差別ということを非常に嫌ったのです。
 私たちは、見える世界に住んでいますので、どうしてもついつい人と比べてしまいます。この比べることから、差別は始まります。でも、本来は、一人として同じ人間はいないのだから、その違う同士がお互いに生かし合い、そして助け合いするのが差別のない世界です。そのことを口を酸っぱくして説かれたのがお釈迦さまなのではないかと思います。
 私はここを立ち去るとき、もう一度、だいぶ傾きかけた夕陽に浮かぶルンビニーの姿をしっかりと目のなかに刻み込みました。考えてみれば、この夕焼け空だって、あの灰色の雲の向こうに光り輝く太陽があるからこそ、美しい微妙な色合いがうまれるのです。私はルンビニーで、目の前にある現象的なものより、本来的なものを見ることの大切さを学んだような気がします。これからは、美しい夕焼け空の雲の向こうの太陽の輝きに、もっと目を向けなければならないと想いました。



◎女性の守護力
 先日、ネパールの友人からメールをいただきました。その中で、ティハールという、日本でいえば収穫祭のようなお祭りのことが書いてありました。
 それは、女神ラクシュミーを家に招き入れ、繁栄と財運を祈るのだそうです。そして、女性が本来持っている素晴らしい守護力を、男性に与えることにより家の繁栄を祈るというわけです。具体的には、女性が男性にティカという額に赤い色を塗る作法があり、それをバイ・ティカといい、とても神聖なことなのです。
 日本では、男女平等ということで、すべてを同じようにすべきだと考えますが、本来、女性と男性では違うところが多々あります。それをネパールでは、「女性の守護力」として男性に与えることによって家庭を守ろうとする、それも大いなる智恵の一つではないかと思えました。
 その由来を尋ねましたら、ある古い物語の中で、姉が弟を死の王様ヤマ(日本では閻魔大王)の手から救い出したことから生まれたということを話してくれました。なんだかんだと言いましても、女性と男性が、その足りないところを補い合いながら、その力を合わせることこそが大切なことです。
 今回は、至極当たり前の話ですが、この当たり前のことが当たり前でなくなるところからいろいろな間違いが起こるような気がします。



◎楽しむために生きている
 私は、人間というものは、いつもニコニコしていて、楽しくて面白くてしょうがないという人生を送るために生まれてきたのではないかと考えています。そんな話をあるところでしましたら、「人生にはもっと大切で高邁な目的があるのではないのか?」という顔をする方が多いのに気付きました。
 そこで考えたのですが、たとえば子どもの時には何も世の中のことを知らないから、純粋に何でも楽しめたのです。遊び疲れて、家に帰ればご飯が美味しい、ただお腹が空いたそれだけを考えるのでご飯が美味しいのです。そのご飯やおかずを買うためにどのような苦労があったかなどと考えることがないから、ただただ美味しさを味わえば良かったのです。ところが大人になると、お金を稼ぐ苦労や世間的な悩みなどがそこに付加されるので、純粋に楽しむということができなくなってしまいます。
 ですから、美味しいものを食べたり、素敵な音楽を聴いたりするときには、私は全身で楽しめばよいと思います。子どもの時のように、その他のことを考えずにそれだけを楽しめば、心底から楽しめます。
 たとえば、学校の勉強一つをとって考えてみても、数学の問題を解くのにゲーム的な感覚で解き明かしていけば、おもしろさや楽しさなどが先行して、いつの間にか難しい問題ほど興味を持つようになります。読書などもそうで、一冊を読むことによって関心が膨らみ、さらにもう一冊ということになるのです。ですから、興味や関心などというものは、する楽しみを味わえば、自ずと出てくるのではないかと思います。
 「そこに山があるから登る」のではなく、登ることが楽しいから登るのです。重い荷物を持ち、汗を流し、足を引き吊りながらも登るのは、登ることによって「やったぞー」という達成感や快感があるからです。少しも面白くないことを、何度も繰り返せるような忍耐力を持った人間は少ないと思います。錯覚でも、間違いであっても、面白いと心が解釈すれば、それだけで何度も繰り返せるようになる、それが普通の人間です。
 だから私は、素直に人生を楽しむ心が必要だと思います。それが、もし辛いとか空しいとか面白くないとかを感じるとすれば、それは「あなたの見方、考え方をちょっと変えてみませんか」というメッセージなのではないかと最近は考えるようになってきました。



 ◎仏壇の意味
 秋の彼岸の時に、仏壇の前で焼香をしたとき、仏壇はほとんどが木で作られているのに、なぜ木偏の仏檀ではなく、土編の仏壇なのかと考えてしまいました。そこですぐ調べてみたら、昔のインドや中国では仏像を土製や石製の壇に安置していたからだ、と書いてありました。
 それにやがて屋根がかけられ、人々の仏道修行の場となり、そして寺院ができたのだそうです。ということは、仏壇は簡素化された寺院と考えることができます。そういえば、各家庭でまつっている仏壇を見たアメリカ人は、日本人は信仰心があまりないと聞いていたのだがその認識は間違いであった、という逸話を読んだことがあります。
 そう考えれば、仏壇は信仰心を養う場ではないかと思います。そして一家として連綿と続いてきた生命のよりどころであり、自分の存在を確認する場でもあります。そういう意味では、家の中心的存在であり、バラバラな家族をまとめ上げる大黒柱そのものなのです。
 ですから、仏壇をちゃんと安置し、毎日お参りしている家庭は、家庭円満です。子どもさんも素直に育ちます。たった一本の線香でも、心を込めて供えれば、そこに心の落ち着きや豊かさが溢れてきます。そして、その余裕の中で、自分や家族、その周りの人々のことなどを考えてみましょう。きっと優しい気持ちが生まれてくるはずです。
 私は、そのような姿を見ながら育つ子どもは、とても幸せだと思います。
 仏壇の字の意味から、ついついいろんなことを考えてしまったお彼岸でした。



 ◎お盆に思う
 お盆(この場合は旧盆)は、一年で一番暑いときが終わるころにやって来ます。そして自分の存在を、血というつながりの中で考えさせられるときでもあります。
 お盆そのものの説明は、『Q&A』に書いています。しかしその眼目は、この世の果てしのない欲望の世界をちゃんとコントロールしなさい、ということです。いつまでも満足することを知らない、他に施すことも知らない、そんな身勝手な欲望のままに生きると餓鬼道におちいりますよ、ということです。餓鬼道とは、欲しい欲しいと欲しても食べる(食欲を満たす)ことすらもできない世界です。でも考えようによっては、この世がまさに餓鬼道の世界でもあります。
 だからこそ、一年に一回、お盆という期間を設定して、それなりのお金をかけて、「私はただ自分の欲望のままに生きているのではありませんよ。私が今あるお陰(これが血というつながりの中の自分の存在)を、ちゃんと考えていますよ。」と親類縁者揃って確かめ合うことではないかと、勝手に想像しています。
 しかし、かたちとしては、精霊棚に真菰の盆ござを敷き、花を飾り、なすで作った牛やキュウリで作った馬(これは訪れてくるご先祖さまの乗り物です)、そして季節の野菜や果物などを供えるのです。それは、自分につながる故人に対する感謝の心、優しさの表れでもあります。
 でも、私は、お盆という行事を、たんなるご先祖の供養期間とだけしか考えて欲しくないように思います。



 ◎室生寺五重塔再建に思う
 昨夜(7月29日)、NHKスペシャル「室生寺五重塔はこうしてよみがえった」という番組を見ました。これは1998年の秋の台風で壊滅的な被害を受けた国宝「室生寺五重塔」の再建を描いたドキュメンタリーでしたが、この五重塔に寄せる室生の里の人々の姿にとても感動をしました。
 それと同時に、伝統というものに対しても考えさせられました。というのは、あの昔からそのままの姿で建っていたと思われた五重塔が、「女人高野」と言われるようになってから、徳川期と明治期に二度ほどそれらしいたたずまいに修正されていたのです。
 私も1990年4月にお参りに行きましたが、いかにも「女人高野」といわれるにふさわしく、こぢんまりとした優美な曲線の姿に何枚もシャッターを切りました。その時には、伝統の重みと周りの自然の荘厳さしか感じなかったのですが、この番組を見て、伝統というものも時代の要請に応えて初めて生き続けることができるのだと知りました。
 いくら伝統といっても、ただ闇雲に古いものに固執するのではなく、今、何が必要なのかという時代の期待にも応える積極的な姿勢が必要だと思います。だからこそ、今日まで生き続けて来られたのではないでしょうか。
 また、生き続ける必要があるからこそ、再建もできたのではないかと思います。特に宗教というものは、生きている人を対象にしていますから、まず生き生きとしていなければなりません。そういう意味で、この五重塔に今も寄せる室生の里人の深い信仰の姿に感動したのです。

 ※右上の写真は、1990年4月24日に私が撮影したものです。



 ◎ルンビニーへ行く!
 (この内容は、その当日にワープロで打った原稿通りです。)
 2000年4月8日、ちょうど灌仏会の日、私はカトマンズからルンビニーへと向かった。
 運転手は軽く引き受けてくれたが、私にも地図だけではどのぐらい時間がかかるか分からない。
 ルンビニーに近づくにつれて、野焼きの影響もあり、遠くが霞んで見えないようになってきた。でもこのはっきりとしない風景が、むしろ2500年前のお釈迦さまが説法して歩いていたと同じような風景に見えてくるから不思議なものだ。このぼんやりとした風景の中で、ここの人々は、ほとんど昔と変わらない生活をしているように思える。道路の脇の木立の中には、蟻塚も見える。サリー姿や、裸足で歩く人もいる。柴を集めている人もいる。
 今ちょうど12時を過ぎたところだ。田圃では、田植えが始まっている。温度は確実に30°は越えているようだ。暑い。
 野焼きをやっている場所に出会った。大木はそのままだが、下草だけが燃えている。これは一種の害虫防除ではないかと思う。その大木は、そのままで青い新芽が芽吹いている。おそらくお釈迦さまも、この同じ風景を見たに違いない、私はそう思った。そして、この煙るような風景の向こうから、糞掃衣一つを身につけたお釈迦さまがひょっと現れれて来るような気がした。昨年の枯れ葉も燃えている。こうして新しい世代の肥やしになっていくと考えると、これも大切なことだと思えてくる。
 少しずつルンビニーに近づくにつれて、心が浄化されていくように思う。自然に口数も少なくなる。じっと外の風景を見続ける。遠くに藁葺き屋根の家が見える。おそらく、そんな家から、お釈迦さまが通ると、人々が駆け寄ってきたのではないかと思う。今は車で走っているが、ここをゆっくりと法を説きながら歩いていたのだ。
 ここはネパールといっても、インド平原の端っこだ。見渡す限りの大平原だ。車も少ない。ルンビニーには、ほとんどの巡礼者がインド側から入るらしいが、こちらのネパール側からは少ないようだ。
 突然、車が軋んで大きな音を出して止まった。運転手があわてて外に飛び出した。タイヤが大きく裂けて動けない。これで、よく事故にならなかったものだ。車のホイールが遠くに飛んでいた。私はその間を利用して、近くの風景を撮った。20分程度でまた出発。しかし、今度はエンジンの調子が悪いという。私はまたその間に、近くの民家に飛び込んで、裏庭まで入り込み撮影した。これは30分ほどかかった。
 午後3時10分、バイロワを通過。まだ22qもあるという。外はすごい熱風が吹き、落ち葉が飛び散り、眼に埃が飛び込んでくる。しばらく眼をつぶっていたが、なんだか眼が乾いてぴりぴりする。しかもだんだんと道が細くなってくる。運転手も道を聞きはじめた。こんな風の吹き初める季節には、誰も行かないのかも知れない。道を舗装している。ということは、今まで未舗装だったことになる。
 午後3時40分、ルンビニーに到着。ちょっとひと休みをして、開発基金に少し寄付して、それから園内に入った。やはり、ここでお釈迦様がお生まれになったと思うと、ちょっと感傷的な気持ちになってしまった。それでも写真を撮り始めたら、一枚に付き1ドルだという。ちょっと話をしていたら、カメラ一台で1ドルらしい。私は結局2ドルを払った。本当に生まれたところは、現在新しいマーヤー聖堂を建立するための基礎工事をしているらしく、覆いがしてあった。その後ろにあの有名なアショカ王が建立した「大石柱」があった。思っていたより小さい感じがした。その後、仮のマーヤー聖堂で、50ルピーの大きな器に入ったロウソクをいただき、献燈をし、お祈りをした。そこではゆっくりとゆっくりと時間を過ごした。
 ここの場所でお釈迦様がお生まれになった、私はその同じ場所に今たたずんでいる、そう考えただけで、私の心がかすかに震えた。そう、今、同じ場所にいる、まさに感動的な一瞬であった。
 私の今の原点がここにある。2500年の時空を越えて、ここでつながっている。この空気を、この土を、この大空をともに共有している幻想に酔った。この一瞬を味わうために、あの砂塵が舞う苦闘の9時間があったのだ。そして、もう言葉が出てこない・・・・・。

 しばらくして、いかにもそれらしい場所があったので、そこで写真を撮ってもらった。そこを後にして、ネパールの仏教寺院に入ったら、大きなお釈迦様がいて、そこでもお参りをした。出ていこうとしたら、そこのお坊さんに声をかけられ、いっしょに写真を撮ることになった。そういえば、中国のラマ寺院でも、品格のあるお坊さんといっしょに写真を撮らせてもらったことを思い出した。私はどこに行っても、いろんな出会いを経験するが、はたしてそういう方々との出会いの意味は何なのか、ふと考え込んでしまった。
 そういえば、そのあと、各国の仏教寺院を巡ったが、その途中で野生のオオカミを見つけた。もう日本では絶滅してしまったオオカミがここではまだ生きている。
 やはりここは、2500年前お釈迦さまがお生まれになった時のそのままかもしれない。
 そして、お土産の数珠を買ったら、もう午後6時。そろそろ帰らなければならない。最後にルンビニーの園に落ちる真っ赤な夕陽を見ながら、帰路に着いた。

※上の写真は、ルンビニーの遺跡。下の写真は仮のマーヤ聖堂です。また近いうちに、もう一度心の整理をして、この時の心象体験を文字にしてみたいと考えています。



 ◎ルンビニーとは!
 今年は何年ですか、と聞きますと平成12年だと答える人も多いのですが、皇紀2660年と答える人は少ないと思います。でも西暦でいいますと、ちょうど2000年という区切りのいいこともあって、そう答える人は多いのではないかと思います。西暦というのは、キリストが誕生した年から数えるそうですが、本当はキリストは、紀元前4年頃、ガリラヤで生まれたんだそうです。
 では、仏教を開かれたお釈迦さまは、いつお生まれになったのでしょうか。
 実は私も正確には知らなかったのです。お釈迦さまのことを書いた書物はたくさんありますが、あまりにも伝説に彩られ、その生涯を極端に誇張して書いてあったりして、なかなか本当のお釈迦さまの人柄や生活などをしることは出来ません。そこで、今回は、なるべく史実に沿った形で、お釈迦さまの生まれたルンビニーについてお話ししたいと思います。
 姓はゴータマ、出家前の名前はシッダルタといいました。生存年代については異説も多いのですが、仏典研究の第一人者であります中村元博士は、紀元前463年から383年としています。なんでそういうことになるかといいますと、インドを初めて統一したアショーカ王は仏教を非常に信仰したわけですが、そのころになると少しは書いたものが残っているんです。さらにアショーカ王は、ギリシャ人の5人の王様に使節を送って、仏教の教えを伝えたといいます。もともと西欧やお隣の中国なんかもそうですが、年代云々には非常にこだわりますが、インド人は悠久をめざす民族です。だからこの世の100年や200年なんていうのは、問題にもならないわけです。でもギリシャの五人の王様は年代もはっきりしていますし、アショーカ王はお釈迦様が亡くなってから128年たって出たという記述がありますから、それらを考え合わせると紀元前463年ではないかと中村博士は考えたのです。
 お父さんはスッドーダナ(浄飯王)、お母さんはマーヤー(摩耶)夫人で、釈迦族の王子として生まれました。生まれたところは、ネパール領のルンビニーというところです。これははっきりと分かっています。というのは、アショーカ王の建てた「ここはお釈迦様の誕生の地である」と刻んだ大石柱が、1896年にドイツの考古学者フューラーによって発見され、そのルンビニーという村の税金を全収穫量の8分の1に減免するといった具体的な内容まで書かれていたのです。そういえば、玄奘三蔵は、西暦636年にこのルンビニーを訪ねています。そして、ここに数多くの仏塔や僧院があり、日夜修行に明け暮れていた修行僧の姿を生き生きと書き記していますが、もうその時には、すでにその大石柱が落雷によって半分に折れ、横たわっていたと『大唐西域記』に書かれています。
 このフューラーの発見は、仏教にとっては、とても大事なことでした。というのは、それまでルンビニーでお釈迦様はお生まれになったということは数々の文献からもはっきりしていたのですが、そのルンビニーという場所がどこにあるのか分からなかったのです。さらにお釈迦様に関することのほとんどが、学問的裏付けがとれなかったので、それまではお釈迦様は架空の人物ではないかと考えられていたのです。ところが、このルンビニーが発見されたことにより、その後お釈迦様の遺跡と伝えられてきたところが次々と発掘され、文献に書かれていたことが裏付けられ、歴史上の人物であったことがはっきりと分かってきたのですす。現在、このルンビニーは、アショカ王の石柱やマーヤー聖堂などがあるだけで、いたって静かなところだといいます。そして、1997年12月6日に、ユネスコの世界文化遺産に登録されたことは記憶に新しいことです。
 しかし、今度は、では釈迦族というのはどこに住んでいたのかという疑問が残ります。現在2つの説があり、一つは従来からのものでネパール領のティラウラコートだとするもの、もう一つは、1973年にインド政府が発表したものでインド領内のピプラーワーというところだというものです。
 しかし、現在の段階では、どちらとも言えないのですが、マーヤー夫人は太子を生んで、7日目で死んでしまいます。それは事実のようです。



 ◎「一歩さがって二歩進む」ことは当たり前です!
 こんなフレーズは歌にもありましたが、考えてみればしごく当たり前のことだと思います。たとえば、歩くという動作を綿密に検証してみると、右足が前に出ると、左足は自動的に後ろにさがります。この動作を連続的に行うのが歩くという行為で、前に進むためには必ず後退も必要です。
 たとえば、私たちを構成している細胞を考えてみても、新しい細胞が生まれ、その一方では古い細胞が死んでいく、その繰り返しの中で、私たちは生きています。いや、生かされているわけです。いわば生きながら死んでいるようなもので、全体として死ぬ方向に向かっていることだけは間違いありません。それが人生です。
 また社会全体を見回してみてもこのような例は多く、いくら時代が変わったとしても、まだまだ社会のあちこちには古き良き時代の風俗習慣が生きていることが多いものです。確かに全体としては新しい時代に進んでいるとしても、古いものを否定し、否定しきれないものを含み続けるのが普通です。言いかえれば、古いものを包み込み、しかも否定しながら、全体として新しいものに変わっていく、それもまた当たり前といえば当たり前のことです。
 私がインドを旅していたとき、ある仏教者に大黒天のことを伺いましたら、それは破壊の神様だというのです。私は、「日本の大黒さまは、どちらかといえば、いろいろなものを生み出す神様です」といいました。すると彼は、では同じことではないかというのです。
 このとき、私は、なるほどと思ったのです。モノでも考え方でも、古いものを破壊しなければ、新しいものは生まれてきません。たとえば、新しい家を建設しようとすれば、古い家を壊さなければ建てられません。あるいは、更地であったとしても、その地目を変えて家が建てられるのです。また新しい家の新しい設計は、今までの古い設計を捨て去らなければ、やはり新しい設計はできません。ということは、破壊と創造は究極のところでは表裏一体だと思えるのです。
 その時お参りした大黒天のお姿は、「My Collection Part 2」の15番に掲載しているのとほとんど変わりありませんでしたが、まさに破壊と創造とを併せ持った感じがしました。
 そんなことを考えながら、「一歩さがって二歩進む」ことは当たり前と思うと、気分もすごく楽になります。




 ◎「雑草は踏まれて強くなる」ことの意味を考えてみよう!
 雑草は踏みつけられても本当に強いのかと考えていましたら、前川文夫著『植物入門』におもしろい記述を見つけました。
 それを要約しますと、「オオバコは人に踏まれても踏まれても元気良く繁茂しているように見えます。しかし、人に踏まれたくてそんな場所を選んで生えているわけではありません。そういう場所だからこそ、普通の植物は人に踏まれて茎は折れ、葉がちぎれてしまい、成長できませんが、オオバコは葉のすじが丈夫でちぎれることもないので、なんとか成長できるのです。
 では、人の踏まないような良い条件のところではどうかといいますと、こういうところではオオバコも大きく育ちます。ところが、他の草たちはそれ以上に大きくなり、結果的にはオオバコは競争に負けて、1本もなくなってしまいます。」
 ということは、オオバコは自分の生きられる世界をちゃんと見つけていて、その特性を遺憾なく発揮しているということです。「雑草は踏まれて強くなる」のではなく、雑草はその場所にもっとも適した種類の雑草しか生えてこないからたくましく育つのです。
 人はそれぞれ持って生まれた個性や学習して身につけた特技などを持っているはずです。なにも人と同じことをしなければならないということもないでしょう。いや、むしろ、今は均質化の時代だからこそ、人と違うことをやってみる価値があるのではないでしょうか。そして、自分の生きられる道を見つけて、そこに全力投球をすれば、必ず雑草のように強く見えるはずです。





 ◎「素敵な風景の中に、その美術館はあった」
 友だちと福島の裏磐梯高原に写真撮影に行って来ました。そこで見つけたのが、素敵な風景の中にたたずむ「諸橋近代美術館」でした。
 美術館の展示も良かったが、それ以上に、全体のロケーションが素晴らしかった。手渡されたパンフレットにも書かれてあったが、「美術館の窓より望める裏磐梯の雄大な自然とともに、ごゆっくりとご鑑賞ください・・・・・」というのは、まさにその通り。私はその美術館の建物にも感心したが、そこに広がる大きな池に真夏の雲が写り、その水面がときおり吹く涼しい高原の風で波立つ風情に感激しました。その日は天気も良く、美術館の正面に望める磐梯山もすっきりと見えました。
 美術館や博物館は、もちろんその企画や展示内容が良くなければなりませんが、その周りの自然環境も大事だと思いました。外を眺め、うちを眺め、その間合いが私の目に心地よい刺激を与えてくれました。素晴らしい自然の中で、ゆったりとした充実した時間を楽しむことができました。
 もし素晴らしいロケーションの中にある美術館や博物館がありましたら、ご紹介ください。ぜひ訪ねてみたいと思います。



  ◎「いのちより大切なものがあると知った・・・」
 先日、山形美術館で開催された「星野富弘 花の詩画展」を見てきました。本などではいつも見ていたつもりでしたが、原画を間近で見ると、筆を口にくわえじっと描いている息づかいまで聞こえそうで、すごい感動でした。その植物を見る目の確かな優しさ、妻に対する信頼のこころ、そしてその集中力、すべての作品にやさしさがイッパイ溢れていました。
 私も植物は好きですが、植物のこころを考えずに、無理して花を咲かせようとしているようなところがあります。まだ花を咲かせているのに、来年のことを考え、早めに咲いている花を摘んだりします。あるいは勝手に植物を移植したりして、ビックリさせているかもしれません。
 ふと、そんなことを考えさせる「詩画展」でした。


 ○「いのちが一番大切だと思っていたころ 生きるのが苦しかった
      いのちより大切なものがあると知った日 生きているのが嬉しかった」
 ○「私にできることは小さなこと でもそれを感謝してできたら
   きっと大きなことだ」
 ○「造られたもので 目的のないものはないという
   価値のないものもないという
   動かない指を見ながら 今日は そのことを思っていた」
 ○「木は自分で 動きまわることができない
   神様に与えられたその場所で 精一杯 枝を張り
   許された高さまで 一生懸命 伸びようとしている
   そんな木を 私は友達のように思っている」
 ○「自分の顔が いつも見えていたら 悪いことなんか できないだろう
   自分の背中が いつも見えていたら 侘しくて涙が出て しまうだろう
   あなたは 私の顔を いつも見ている
   私の背中を いつも見ている」



  ◎「鉄眼さんを知っていますか?」のなかで昔の文章読本にも載っていたと書いたところ、その文章読本そのものを知りたいというメールをいただきました。そこで、その部分を抜粋してここに掲載します。そのままですと読みにくいので現代仮名遣いにしてありますが、ほぼ原文通りです。なお、この著作兼発行者は文部省となっていますから、著作権も文部省にあると思います。

 尋常小學「國語読本」巻11、第28課 『鐵眼の一切経』  一切経は、佛教に関する書籍を集めたる一大叢書にして、此の教に志ある者の無二の宝として貴ぶところなり。しかも其の巻数幾千の多きに上り、これが出版は決して容易の業に非ず。されば古は、支那より渡来せるものの僅かに世に存するのみにて、学者其の得がたきに苦しみたりき。
 今より二百数十年前、山城宇治の黄檗山萬福寺に鐵眼といふ僧ありき。一代の事業として一切経を出版せん事を思い立ち、如何なる困難を忍びても、ちかって此のくわだてを成就せんと、広く各地をめぐりて資金をつのる事数年、やうやくにして之をととのうる事を得たり。鐵眼大いに喜び、將に出版に着手せんとす。たまたま大阪に出水あり。死傷頗る多く、家を流し産を失いて、路頭に迷う者数を知らず。鐵眼この状を目撃して悲しみにたえず。つらつら思うに、「我が一切経の出版を思い立ちしは佛教を盛んにせんが為、佛教を盛んにせんとするは、ひっきょう人を救わんが為なり。喜捨を受けたる此の金、之を一切経の事に費やすも、うえたる人々の救助に用うるも、帰する所は一にして二にあらず。一切経を世にひろむるはもとより必要の事なれども、人の死を救うは更に必要なるに非ずや。」と。すなわち喜捨せる人々に其の志を告げて同意を得、資金を悉く救助の用に当てたりき。
 苦心に苦心を重ねて集めたる出版費は、遂に一銭も残らずなりぬ。然れども鐵眼少しも屈せず、再び募集に着手して努力すること更に数年、効果空しからずして宿志の果たさるるも近きにあらんとす。鐵眼の喜知るべきなり。
 然るに、此の度は近畿地方に大飢饉起こり、人々の困苦は前の出水の比に非ず。幕府は処々に救小屋を設けて救助に力を用うれども、人々のくるしみは日々にまさりゆくばかりなり。鐵眼ここにおいて再び意を決し、喜捨せる人々に説きて出版の事業を中止し、其の資金を以て力の及ぶ限り広く人々を救い、又もや一銭をも留めざるに至れり。
 二度資を集めて二度散じたる鐵眼は、終に奮って第三回の募集に着手せり。鐵眼の深大なる慈悲心と、あくまで初一念をひるがえさざる熱心とは、強く人々を感動せしめしにや、喜んで寄附するもの意外に多く、此の度は製版・印刷の業着々として進みたり。かくて鐵眼が此の大事業を思い立ちしより十七年、即ち天和元年に至りて、一切経六千九百五十六巻の大出版は遂に完成せられたり。これ世に鐵眼版と称せらるるものにして、一切経の広く我が国に行なわるるは、実に此の時よりの事なりとす。此の版木は今も萬福寺に保存せられ、三棟百五十坪の倉庫に満ち満ちたり。
 福田行誡かつて鐵眼の事業を感歎していわく、「鐵眼は一生に三度一切経を刊行せり。」と。 終わり
 昭和四年十一月九日印刷・昭和四年十二月二日発行




  ◎鉄眼さんを知っていますか?
 先日、京都に行ってきたのですが、京都の宇治というところに黄檗山萬福寺があります。そのすぐ近くに寶蔵院というお寺がありますが、ここにあの有名な『鉄眼版一切経』の版木があり、今でも大般若経などを昔ながらの方法で刷っています。
 鉄眼道光というお方は、昔の文章読本にも載っていますが、江戸時代の初期に、日本に仏教の経典をすべて集めた『大蔵経』、あるいは『一切経』ともいいますが、これがないことを残念に思い、その発刊を志しました。その当時の出版というのは、印刷するための版木を1枚1枚すべて手彫りで彫り上げ、それをまた1枚1枚紙に刷り込むわけです。したがって、『大蔵経』を刊行するということは、その年数もさることながら、その資金を集めるだけでも大変なことです。しかし鉄眼さんは、何年もかけて全国各地を行脚して浄財を募り、やっとその資金を集めました。ところがその時、大阪で大洪水が発生し、多くの人々が苦しんでいました。そこで鉄眼さんは、苦心して集めた『大蔵経』刊行の資金をすべてその災害で困っている人々のために使いました。
 そして再び、『大蔵経』刊行の資金を集め始めました。やはり苦心惨憺したそうですが、ようやくそのめどが立ったころ、今度は宇治の方面で大変な凶作に見舞われたそうです。鉄眼さんは、またしてもその資金を飢餓に苦しむ多くの方々のために使いました。
 そして三度目の托鉢を行い、ようやく資金を集め、『大蔵経』の刊行を進めていったのです。そして20年ほどかかり、6771巻の『大蔵経』を完成させたのです。
 ここに、鉄眼さんの素晴らしいところがあります。鉄眼さんは、世のため人のために『大蔵経』を発刊したかったわけですから、その前に多くの人々が苦しんでいるのなら、まずその人々の苦しみを取り除くのが大切なのです。それが仏教の慈悲の教えです。普通は、せっかく集めた資金なのだから所期の目的である『大蔵経』の発刊に使うべきだと考えるでしょう。しかし、その目的の真義は何なのかを考えれば、自ずと分かるはずです。
 それにしても、江戸時代初期の一人の僧が発願して発刊させた『大蔵経』が、今も昔ながらの方法で刷って役立っているということは、本当に素晴らしいことだと思います。
(上の写真は、寶蔵院の入り口。下の写真はその裏手にある鉄眼版一切経の版木を納めた建物。)



  ◎何でも続けることこそ大切です。
 あのトンチで有名な一休さんが、ときの将軍に「仏教とは如何なる教えか?」と聞かれ、「諸悪莫作 衆善奉行」と答えたそうです。この意味は、「悪いことはするな、善いことをせよ」ということなんですが、知識としては知っていても、実際に行うのはなかなか難しいことです。
 この逸話には原典がありまして、昔々、中国は唐の時代に、有名な詩人の白楽天が道林和尚にこれと同じような質問をしたそうです。この和尚さん、とても変わった人で、山の中の大きな松の枝に板を渡して、そこでいつも座禅三昧の生活をしていたそうです。そこを訪ねた白楽天は、いくつかの質問をした後に、「如何なるか是れ仏法の大意」とたずねたところ、道林和尚さんは「諸悪莫作 衆善奉行」と答えたのだそうです。すると白楽天は、この非凡な和尚さんのことだから、もっと高遠な教えでも聞けるものと期待をしていたのですが、あまりにも平凡な答えに「そんなことなら3歳の子供でも知っていますよ」と言ったそうです。すると道林和尚さんは、「3歳の子供も知ってはいるが、80歳のお年寄りもなかなかできはしないよ」とさらに諭されたそうです。これ以来、さすがの白楽天も返す言葉もなく、それ以後道林和尚さんに深く帰依したそうです。
 この世の中は、当たり前で分かり切ったことを続けることぐらい、難しいことはなさそうです。



  ◎日本人と西欧人の草花への思い
 先日、岩波ジュニア新書『英語の詩』というのを読んでいましたら、日本人と西欧人の草花に対する思いの違いを感じました。そこで、今回のその詩を取り上げてみたいと思います。
 題は「ひび割れた石塀に咲いた花」で、作者はアルフレッド・テニスン(1809〜1892)というヴィクトリア朝を代表する詩人です。

ひび割れた石塀に咲いた花

ひび割れた石塀に咲いた花よ
わたしはおまえを割れ目から引き抜き
いまここに、根のついたまま、わが手に握っている
小さな花よ・・・・・もしわたしにわかっていたならば
おまえというもの、おまえのすべてが、根からなにまでも わかったならば
きっとわかるにちがいない、神が、そして人間が

いちおう、原文の詩もここに掲載します。
 
Flower in the crannied wall

Flower in the crannied wall,
I pluck you out of the crannies,
I hold you here, root and all, in my hand,
Little flower・・・・・but if I could understand
What you are, root and all, and all in all,
I shoud know what God and man is.

 この詩は、石塀の割れ目に咲いた小さな花に目にとめ、その名もなき小さな花を通し、自然のたくましさ、不思議さに心打たれている姿を表現しています。しかし、西欧の詩人は、その小さな花の正体を探ろうとやっと咲き出した石塀の割れ目から根ごと引っこ抜き、科学者のような冷静な観察の目で見つめています。日本語訳ではそのニュアンスまでうまく伝わってきませんが、分かるということは、その花の正体だけでなく、それを含む全体像をも考えてのことです。だからこそ、神も人間もそこに登場するわけです。
 しかし、このような情景を日本人が歌えば、たとえば松尾芭蕉の

 山路来て 何やらゆかし すみれ草

となります。もちろん手折ったり、引っこ抜いたりせずに、その姿そのままに鑑賞します。鑑賞というよりは、思いがけぬ小さな花に出会えた喜びにひたってしまいます。
 いわば、西欧人の草花に対する姿勢を分析的とすれば、芭蕉のそれは直感的といえるのではないかと思います。そんなことを考えながら、下の『草木供養塔』についての文を読んでいただければ、日本人の自然観が少し見えてくるのではないでしょうか。



◎『草木供養塔』について
 甲子大黒天本山の境内地に、全国的にはたいへん珍しい「草木供養塔」があります。その側面には「弘化2年建立」(1845年)と彫られています。この石塔の起こりは、名君の誉れ高い上杉鷹山公の時代と伝えられています。
 安永九年(1780年)4月、米沢城下が大火にあい、その復興のため近くの山から大量の木材を切り出したので、山林の枯渇や荒廃が心配されました。そこで、草木の成仏と成長を願い、村人らの手で「草木供養塔」を建てたのが最初で、その後上杉領内に広がったといいます。これは当地の先祖の草木に対する感謝と畏れの気持ちのあらわれであり、生活の糧である草木の成長と成仏とを願う素朴で尊い石塔であります。まさに、これを契機に山林伐採後はすぐに植林し、また官府に御留山と認めてもらい保護するなど、百年の大計で山林草木の保護育成と山村の生活とを両立させたのです。そして、自分たちが受け継いだ緑豊かな大地を、そのまま後世の子孫にも譲り伝えようとしたのです。
 今、自然保護や地球環境の危機が叫ばれています。いくら今の生活が大切だとはいっても、そろそろ今の快適すぎる生活を考えるべきときに来ているのではないかと思います。 



◎『絢爛たる貧窮者』
 Q&Aでも書いたのですが、物を豊かにするのは心の豊かさであり、心を豊かにするには物の豊かさの裏付けがなければなりません。いわば車の両輪と同じ事です。
 そこで「絢爛たる貧窮者」という言葉について、もう少し説明を加えますと、いかに物質的に恵まれていたとしても、足ることを知らなければ、心はいつも飢え乾き苦しんでいるがごとしです。そこには、大黒さまのような笑顔が生まれてくる余地はありません。
 また、いかに美味しいものでも、惜しみながら出されたのでは、本当に味わうことが出来ません。たった1つのケーキでさえも、それを何人かで分けて少なくなったとしても、そのほうが美味しいと感じられる人になりたいと私は思っています。



◎「喜ぶ」ことが大切です。
 人間の感情表現として、よく「喜怒哀楽」という言葉を使います。大黒さまのような笑顔で楽しく生きていくためには、とくに「喜ぶ」という感情が大切です。
 しかし、この「喜ぶ」ということも、年齢を重ねるにつれて、だんだんと少なくなってくるように思います。幼いときには、ちょっとしたことにも一喜一憂していたのに、今ではそのように素直に喜べなくなっているのはなぜでしょうか。「そのくらいのちょっとしたことで一々喜ぶんじゃない」と、自分で自分の喜びの感情を押さえ込んでいるうちに、いつの間にか喜べない人間になってしまったような気がします。また、共に喜んでくれる人がいなければなおさらのことでしょう。
 今、大切なことは、どんな小さなことにも素直に喜べる自分を見つけることです。そんなちょっとした「喜び」の積み重ねが、大きな「喜び」につながっていくのです。



◎『悩み』を悩むな!
 最近、相談メールで、悩んでいるというのが多いようです。 私は、解決できる悩みならいくら悩んでもいいでしょうが、悩んでも自分で解決できない悩みなら、私は悩んでも仕方がないと思います。ある本に書いてあったのですが、友だちからお金を借りて、明日が返済日だというのに返すお金がない男がいたそうです。それでどうしようかと悩み、眠れなかったそうです。すると彼の妻が、「あなたも馬鹿ねぇ。あなたはどうやってもお金を返せないのだから、むしろ返してもらえないかもしれないと心配で眠れないのは、あなたの友だちじゃないの・・・」と言ったそうです。それを聞いた男は、「それも、そうだ」と思い、ぐっすりと眠れたということです。
 もちろん、これはジョークで、友だちから借りたお金を返さないというのは困りますが、ちょっと見方を変えると、悩みなんて以外とこんなものかもしれません。
 お釈迦さまの言葉に、
『過ぎ去った日のことは悔いず、まだ来ない未来にはあこがれず、 今日すべきことを明日に延ばさず、大切に踏みしめてゆけば、身も心も健やかになる。』
 というのがあります。
 この世の中、悩むより、今の今を精一杯生きることを考えたほうがよさそうです。
 

◎「英語版」について
 ある方の好意で、この甲子大黒天本山のページに英語のバージョンが設けられました。そこで考えたのですが、独特な宗教的言語を英語に翻訳することは非常に難しい反面、英語に翻訳して始めて具体的なイメージが浮かび上がるような気がします。
 たとえば、「無我」という言葉ですが、これを翻訳すると「 nothing has an ego 」といいます。我というのは、エゴの我なんです。また、「無常」というのは、「 impermanence 」といいますが、辞書には「一時的」という意味が載っています。すなわち、この無常という言葉は、すべて永遠に存続するものはないという意味です。しかし、私たちは、心のどこかで今の状態がいつまでも続くのではないかと考えています。でも、この世の中はすべてが一時的だと教えてくれるのが無常という言葉なんです。一時的と考えれば、少しは気楽というものです。
 このように、私は、英語という外国語を通して、今一度、難しい独特な宗教的言語を考えてみました。いわば、外国に行って、日本を見つめ直すような感覚です。
 皆様も、ぜひ、「 English version 」を見て、この感覚を感じていただきたいと思います。



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